京都 四条高倉の占庭から

掏摸

ここのところ、中村文則さんの『掏摸(スリ)』を読んでいました。

息苦しくなるほどの緊迫感。

わたしの苦手なハラハラドキドキ満載で、しかもそれをクリアしたところで

単純にカタルシスを享受できない内容で。

いやー、実にハードボイルドな純文学でした。

主人公は裕福な人間しか狙わないスリ師です。

そう聞くと、なんか鼠小僧的エエもんなイメージをもたれるかもしれませんが、

そんなイージーな救いは用意されてないのでした。

 

スリに遭ったことはおありですか?

わたしはいままでで一度だけあります。

ちょうど28年前のいまごろでした。

お盆の酷暑のさなかに引っ越しし、離婚したばかりで、

生後8ヶ月の子どもを抱え、心身ともにヘロヘロでした。

これからどうして生きていこうかと途方に暮れながら、

とにかくこの子を育てなくっちゃ、ということだけが確かなことでした。

 

そんな時、暑い家に閉じこもっていてもいけないと思い、

スーパーへ出掛けました。今はなきサティ。

そこのベビー用品売り場に、月に一度、保健師さんが来られて、

乳児の身長や体重を測ったり、育児相談にのってくださったりしていたんですね。

その保健師さんは年配で、いつもニコニコと、ゆったりとされていて、

心をゆるせる方でした。

その人に会ったら元気が出そうな気がして。

 

容赦ないギラギラの太陽。

暑すぎて、人もあまり歩いていないくらいの午後でした。

ベビー用品売り場の奥まったスペースで身体測定をしてもらい、

なんでもない会話をして、気持ちがほっと緩みました。

やっぱり来てよかったな、と思いながら帰る時、スーパーを出ようとしたあたりで、

マザーズバッグの中に財布がないことに気づきました。

そのバッグはパッチワーク風の生地を自分で縫って作ったもので、

バケツ型の上部は巾着のようにヒモを絞って蓋できるようになっていました。

そのヒモがぎゅっと絞れていなかった。

 

財布がないとわかったとき、どこに落としたんだろうか?とまず考えました。

だけど、何も買い物していなくて、落としようがないよなあ、と。

あるとするなら、ベビー用品売り場だけ。

行ってみたけれどありません。

元々、家から持って出なかったのではないか、とも思ってみますが、

その可能性も限りなく低い。

スーパーのサービスカウンターに届けて、警察署にも行きました。

 

掏られた、とは思いたくなかったけれど、状況はそれ以外に考えられなくて。

すごくショックでした。

この世には神も仏もいないのか、と、生まれて初めて思いましたね。

こんなにダメージを受けて、やっと生きてるような状態の時なのに、

よりによってこんな時にこんな目に遭わせなくてもいいじゃないか、と。

へたり込んで泣きたい気分でした。

踏んだり蹴ったり。弱り目に祟り目。

あっぷあっぷ溺れているところで、頭を押さえらえたようなもんですよ。

自分がボロボロになってるのをあんなに感じたことはないですねぇ。

だけど、あの時のわたしは魂が抜けたように、ボーーーーーーっとしていて、

掏ってください、と言わんばかりの風体だったんだろうなあとも思います。

 

財布を掏られると、財布もなくなっちゃうわけです。

それを買うのが、またひどく腹立たしいし、消耗してしまうんですよねー

あの時、もうほんとにガックリきて、世の中だか、誰だか、

とにかく何かを誰かを恨みたくもなったのですが、今思えば、あれが底でした。

沈んで沈んで、底に足がついた瞬間だったんでしょうね。

底に足がつけば、本能的に蹴るもんなんですよねぇ。知らなかったけれど。

 

もちろんそこから急浮上できたわけではありませんが、

溺れたままではいられないという気持ちにはなれた気がします。

お盆の頃には、つい思い返してしまいがちなところへ、

『掏摸』なんか読んじゃって、いろいろ思い出してしまいました。

 

でももう、30年近くの年月が流れたわけでね。

子どもも元気に育って社会人になったし、

わたしもノンキに好きな仕事をさせてもらっています。

ちゃんと浮き上がれたなあ、と心の底から感謝が湧いてきます。