京都 四条高倉の占庭から

かわいくなくてごめんね

2キロ・小22本のニンジンですが、使い切りました。

ニンジンは切った状態で、加熱せずに冷凍してOKということを知りまして、

今日、キャロットラペと野菜だらけカレーに使った後、

残ったものすべて、拍子切りと半月切りにして、それぞれ冷凍保存袋に入れ、

冷凍庫へ。

 

ああ、何というこの、やり切った!感 & 安堵感。

ほんとうにムダにならず、よかったです。

 

突然ですが、サプライズってのがありますよね。

お誕生日などのお祝い事などを本人には内緒で進めておいて、

当日ビックリさせる、あのサプライズです。

昔はあんなこと、市民が日常的にしてなかったですよ。

いつ頃から一般化してきたのかしら。

なんかすごく西洋的な匂いがします。ま、何ちゅうても英語だし。

 

そして、もう安いサプライズから高いサプライズまで、世間にあふれすぎていて、

仕掛けられた方も、本気でサプライズなリアクションができなくなってきてません?

あれは、驚き方に期待されるところもあって、

期待が大きいとガッカリされることだってあって、

もうなんだかすみません、みたいになってしまうことすらあります。

実のところ、ほとんどの場合が、仕掛ける側の方が盛り上がっていて、

楽しんでしまっているんじゃないかしら。

仕掛けられた側が、それにうまく驚いて喜んで見せる、って難しそう。

 

と思うわたしは、お察しの通り、サプライズが苦手です。

うまくご要望に応えられそうな気がしません。

ホントにうれしくて、ビックリして、きゃーーーー! 

みたいなことありますよ。そりゃ、わたしだって。

でも、滅多にないんです。

同様に、贈り物の上手な受け取りも苦手です。

 

そういう時、ピピッと相手や周囲の温度を察知して、

瞬時に同じくらいまで温度を上げ、仕掛けた側の人たちを

十分満足させれられるような人、すごいと思うなあ。

しかも、あざとさを感じさせずに、それを自然にするなんてことは、

「空気を読む」の、三枚くらい上手をいってる気がします。

誰もはできないですよね。

だから、やっぱり、わたしみたいに、サプライズは苦手だ、

と思っている人、結構多いかもしれないですね。

もうサプライズの大安売りはやめようよ、と言いたいです。

もはや、

「ここはサプライズくらいやっとかないと失礼じゃない?

 期待されてんじゃない?」

みたいな本末転倒なサプライズだって、ありそうでねぇ。

 

公開プロポーズなんかも、見るといたたまれなくなるんですよー

素敵! とか、うらやましい! なんて気持ちは湧いて来ず、

もしかしたら、受けたくないと思ってる人だっているかも、とか、

こんな公衆の面前でしてもらいたくなかった。

だけど、そういう態度もできないし・・・・みたなフクザツな気持ちかも、とか、

イヤじゃないけど、今じゃないねん!

と言いたい人だって、きっとあるだろうに、なんて思ってしまうんですね。

 

大袈裟でないサプライズはいいんですよ。

ちょっとした意外性、受けた側の表情が自然にほころぶような心づかいとか。

これがまた難しいわけですが、こういうことをさりげなくできる人って、

憧れますよねぇ。

 

あ、そうか。

賑々しいサプライズが苦手なのは、

「楽しいよね!」

「ビックリしたけど、うれしかったでしょ!」

と一方的に押し付けられてるような気分になるのがあかんのかもなあ。

ちょっと、待って、待って、まだそこまで温度が上がってへんねーーーん、

って焦らされてしまうのが負担なのかもしれません。

いやー ほんと、かわいくない性格でごめんなさい。

 

 ということで、どうかわたしにはサプライズは仕掛けないでくださいませ。

よろしく、お願いします~

(ここは「時効警察」のナレーションの由紀さおりさん風に)