京都 四条高倉の占庭から

ヒモを飼いたいヒト

どうも毎年12月の声を聞くと「師走や~~~」と、アワアワしてしまいます。

もうお約束のようなものなんですけれども、案の定、気忙しいキモチになります。

するべきことは山積なれど、できることからひとつずつ、ですね。

どうせ年末には時間切れになるんだし・・・。

 

 

結婚願望のある若い女性と話していると、その家庭像というか、

その手前の結婚像というか、に、「安定」を求めるかどうか、

というところの個人差が大きいなあと感じています。

最近の世の中の風潮として、

「非正規で働く人は絶対ダメ!」

という方も、もちろん多いのですが、逆に、

「自分にもっと甲斐性があれば好きな男性を養えるのに!」

という方も、それほど少数派というわけではないんですよ。

 

実際、お客さまの中にも、奥さんの方が転勤族で、主夫のダンナさんがついていく、

という方もおられます。

家計の柱になるのは奥さんで、主な家事育児とパート勤務がダンナさんという、

一般的な家庭では反対と思われる形のご家族だって珍しくありません。

それで円満でハッピーならば、何ら問題のないことですものね。

いささか下品な言葉で失礼しますが、いわゆる「ヒモを飼う」というのとは、

まったく違う形態です。

 

が、ですね、まさしく「ヒモを飼いたい願望」の強い方というのも、おられます。

たぶん、いつの世にもそういう人が、一定数は存在しているのだと思うのですが、

この「ヒモ」ってのは何なのでしょうか?

イメージとしては、働かない、勝手気ままに生きている、万事だらしない、

というどうしようもない男像が浮かびます。

けれども、ただどうしようもないだけの男ならば、

だれが「飼いたい」と思うでしょうか?

そのどうしようもなさの中に、これまたどうしようもない魅力が潜んでいなければ、

ヒモにはなれそうにないわけで。

では、そのどうしようもない魅力とはどういうものなのか?

いろいろと思い浮かびはしますが、これはもう、個人的な嗜好によるところが

大きいと思うので、具体的な例を挙げるというのは意味がないかと思います。

けどまあ、可愛げは必須じゃないですかねぇ。

憎み切れないろくでなしになるためには。

 

とは言うてもですね、ただ可愛いだけじゃペットであって、ヒモじゃない。

ヒモと呼ばれる人には、皮一枚下に、なんともいえない酷薄さが隠れているように

思うんですよね。

そのヒモに翻弄される人生を選ぶにやぶさかでない女っちゅうのも、

なかなか業が深いということで。

そういう女性は、そこに情緒を感じてしまうのだろうなあ。

ま、男と女は一筋縄ではいかないのがおもしろくもあり、難儀でもある。

恋に生きるも、情にからめとられるも、幸不幸、吉凶さまざまでありますよ。