京都 四条高倉の占庭から

「この世界の片隅に」

先日、ソラマメの豆苗を初めて買いました。

ふつうの豆苗とは違って、野蛮な感じがするくらいごつい。

ごついと言うても、豆苗なので、比較的、ということですけれどね。

で、さっと茹でて、胡麻和えにしてみたんですが、これがおいしい!

いつもの豆苗ならば火を通すと、木綿糸のようになってしまうけれど、

ごつい分、茎の形状を保っていて、お味もクセがなくてね。

ただ、残念なのは、一般的な豆苗のように、料理に使った後、

水栽培で、もう一度収穫するってことができないらしいということ。

それは、元の豆の違いっていうことなんでしょうね。

 

 

今日はぽっかり予定が空いたので、ずっと機会をうかがっていた映画を

観に行ってきました。

この世界の片隅に」です。

たくさんの人が絶賛してはって、観たほうがいい!と誰もが言う映画。

泣かずにはいられないと聞いていたので、涙腺の弱いわたしは

もう絶対あかんやろなあと覚悟をしながら観ました。

でもね、意外とおいおい泣くことはなかったんです。

 

この映画は、泣かせようとか、恐れさせようとか、感動させようとかいう

悲しみや怒りの押しつけがまったくありませんでした。

喪失の痛みを憎しみや恨みにつなげていかないのです。

失くしたものや、無いものを嘆くのではなく、今ある場所で今日を生き、

明日になれば明日を生きる。

どんなときも、どういう状況でも、「暮らし」をできるだけ手放さずに

生きていくことで、いろんなことを「保って」いくしかなかった人が、

たくさんたくさん、おられたのだということを教えてくれる。

誠実な庶民は、そうして生きる外の道を知らなかったし、

そう生きることが、事実、最善の道でもあったのだと思います。

 

主人公のすずさんは聖女のようでありました。

ぼーっとしてると言われる、絵を描くのが大好きな天然の女の子だけれど、

何も、誰も疑わず、比べず、働くことを厭わない無垢な存在です。

なんかね、すずさんを見てると、

目から鼻に抜けるような才気走った人なんてナンボのもんじゃ!

とか思ってしまうんですよ。

そういう人は、ロスも少ないし、効率よく働きもするだろうけれど、

損のないように自身の正当性を訴えたり、言い負かしたりもしそうでしょ。

すずさんにはそういうところがない。

どうにか、この人に、不幸が訪れませんように。

大きな悲しみに呑まれませんように、と祈らずにいられません。

けれども、実家が広島であること、婚家が呉港のすぐそばであることから、

それらから逃れることはできないのだろうということも、

観客は予め知っているわけですが、それでもなお。

 

時は巻き戻せないし、止めることもできません。

それはそのまま、人の命ということなんですね。

この世界の片隅に」は、戦争反対!と叫んではいません。

戦時中も、笑ったり、恋をしたりという日常があり、

同時に容易くその日常は無残に踏みにじられるのだということが、

淡々と描かれています。

 

観て泣く、というよりは、知らない間に涙が流れている、という感じでした。

何を見て涙が流れたのか、何に心を揺さぶられたのかを

明確にコレとかココとか言えないんですよねぇ。

 

すずさんの声は、のんが演じているのですが、広島弁が上手でね。

岡山弁と広島弁はよく似ているので、わたしにも上手下手がわかります。

いい役者さんだなあと、また改めて思いました。

 

そして、やっぱり、わたしも言いたくなりました。

たくさんの人に観ていただきたいです。

戦争映画は苦手だ、と思う方ほど、観てほしいなと思います。

既存の戦争映画とは、まったく違うものですから。