先日の成人の日、晴れ着のお嬢さんをたくさん見かけました。
華やかでいいもんですねぇ。
しかし、あの晴れ着というものも、色柄に流行があるんですよね。
古典柄も根強い人気がありつつ、モダンなもの、斬新なものもあるようで。
今年、驚いたのは、スカジャンみたいな色合いのお振袖に、
金髪に巨大な紅白の水引みたいな髪飾り。
それが似合ってはるんやから、すごいですわ。
ネットニュースでは、抜き襟を通り越してオフショルダーに着付けた
しどけない晴れ着姿の女の子を見て仰天しました。
あれはやめた方がいいです。
品がどうこうより、絶対寒いでしょ。
オシャレはやせ我慢から、とも言うけれど、風邪ひき間違いなしだなあ。
北九州市の男の子の衣装にも、度肝を抜かれましたねぇ。
あれは一種のコスプレなのか、それとも、コンゴのサプールに近いのか、
とか考えてたんですが、どうもどちらでもない気がして。
で、思いついたのが、カスタマイズです。
あのワケのわからないド派手なお金のかかった衣装は、
成人式の自分自身をカスタマイズしてる、ってことなんでしょうね。
カスタマイズ&パフォーマンスなんやなあ、と思うと、なんとなく納得。
なんかねー、デコトラみたいだな、って。
で、今日はその話とはまったく関係のない本の紹介です。
しばらく、本の話を書いていないなと思ったもので。
ちょうどアメリカの大統領がオバマ氏からトランプ氏へ引き継がれる今、
タイムリーな内容だと言えるかも。
『狂王ヘロデ 』曾野綾子 著
帯に、
「紀元前のユダヤに君臨した狂気の王の恐るべき生涯。人間の欲望と権力、
”悪”の本質を問う」
と、ありました。
どんなに滅茶苦茶な王様であったのか、と思っていましたら、
とても頭のよい、政治家としてもたいへん優秀な王様でありました。
ただ、王というものはいくら良い政をしても、それはすぐに忘れられ、
悪いことばかりがいつまでも怨みとなり残っていくものなのですね。
確かに、民温情をかければ、もっともっとと願うものでもあります。
あまり人の好い王様であれば、軽く見られてナメられます。
結局は恐怖政治というのが、いちばん治めやすく、効果がある。
人間っていうのは情けないもんですね。
ヘロデ王には、唯一本音を話せる、側近アキャブ将軍が居たことは
幸運であったと思います。
アキャブは常にヘロデ王を見下したり、利用しようとせず、
常に同じ態度で仕え続けます。
そのアキャブに、
「どうしたら幸福になれる? 私も、私の子供たちもだ」
と、ヘロデ王がいつになく気弱な質問をしたときのアキャブの答えこそ、
王として生きねばならない者の、過酷な宿命を実に的確に言い当てたものでした。
「王たるものは、幸福など求められてはいけません。
通常の人間なら、受けた運命の中に、どのような意味を見つけているかによって
幸福になれます。
しかし王たるものは、受けた運命に満足されてはいけないのです。
さらなる発展と強力な威勢をお考えくださいますように」
一国を背負う者の運命というのは、徹底的に利己的であってはならないし、
個人的に誰かに好かれようとすることも、道を誤る元である場合が多い。
果てしない孤独。
それが莫大な財力や、ゆるぎない権力と対になったものなのです。
これは普遍的なものだなあ、と思いますよ。
この一文に、この物語が凝縮されていました。
(2010/8/4)