京都 四条高倉の占庭から

悪魔のカード

明日は節分ですね。

わたしはこの豆まきっていうのが好きでして。

「福はー 内ぃーーーー!」だけ言います。

鬼は外は、ナシ。(家の中に悪さをしている鬼はいないから)

家の中に豆をまくのも、踏んで粉々になるのがイヤなので、ナシ。

マンションの玄関を出て、下の駐車場に停めてある車に当たらないように、

家族並んで豆をまきます。

これがなんともウキウキするんですよねぇ。なんでかしら。

あの豆は、明朝、野鳥が食べるのだろうなあ、と想像するのも楽しいです。

 

 

さて、今日はタロットカードのお話を。

タロットカードは1組(1デッキ)78枚で成っているのですが、

その内、大アルカナと呼ばれるカードが22枚あります。

この22枚のカードは、それぞれにタイトルがつけられています。

「愚者」「魔術師」「皇帝」「恋人」という具合に。

どのカードもドラマチックで、いかにも西洋の占いツール、って感じ満載です。

 

今日はその中の「悪魔」のカードについて。

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これです。

 

タロット占い教室のおためしレッスンの時に、好きなカードと嫌いなカードを

選んでいただくんですが、このカードなどはわかりやすい嫌われるカードでして。

この、いかにも邪悪といった風貌の悪魔がいやらしいですし、

鎖に繋がれた裸の男女も不穏ですよね。

15番目のカードということもあって、悪魔の角の間には、刺さるように

逆五芒星が表されています。

タロットの世界観では「5」という数字の概念はあまり良いものではないようで、

五芒星もエネルギーは強いのだけれど、安定感のない、落ち着かないものの象徴に

使われることが多いです。

これが六芒星になると、ぐっと落ち着いて、良い意味で使われます。

それもタロットの世界観での「6」という数字は良いものとされているからです。

 

で、この悪魔なんですが、どう見ても人ではない顔に、

しまりのない身体をしています。

裸の男女も、角や尻尾が生え、もはや人間ではなくなっています。

実はこの男女「恋人」のカードのアダムとエバのなれの果て、とも言われています。

このカードですね。

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この「恋人」のカードの時は、まだ人間でもなかったんですよ。

この後、楽園を追放されることで、命は有限となり、出産の苦しみが生まれ、

労働もしなければならない人間となるわけです。

悪魔のカードは、その人間の心の闇を表しているのです。

 

ですので、悪魔がジャーン!と現れて、良くない事を起こすとか、連れ去るとか、

不幸に陥れる、なんて意味はこのカードにはありません。

誰の心の中にもある、黒い部分、獣的な部分、ダメな部分の影響が、

今、明るみに出ていますよ、ということが言いたいカードなのです。

 

怠ける。ウソをつく。不正を働く。魔が差す。暴力・暴言。邪な気持ち。不倫。

ズルズル。だらだら。コソコソ。

みたいなことを表します。

これらは、悪魔の仕業ではなく、自分自身の心の弱さの問題なんですね。

そこにどれだけ正面から向き合えるか?

ってところがポイントなわけです。

このカードが出たら、自身の品性・品格を問われていると思わねばなりません。

なかなか厳しい警告ですね。

 

恋愛や結婚などを占っていて、相手のところにこんなカードが出たら要注意です。

うかうかと信じてしまうとマズイことになりそう、というのは、

誰が見ても明白です。

最悪、DVや結婚詐欺なんてこともあるかもしれません。

十分な警戒をしなければ。

 

悪魔というのは、日本人にとっては、あまりなじみのないもので、

案外、ぴんとこない存在です。

西洋の人たちと、日本人では、きっと捉え方が違うんだろうなと思います。

タロットカードは西洋人の感覚で編まれているので、キリスト教や、

西洋絵画のお約束的なものなどが当たり前のように織り込まれているのですが、

それらは日本人には縁のない「当たり前」なことも多いので、

絵を見ても意味がよくわからない、というカードもあったりします。

そこはもう覚えていくしかないわけですが、その西洋的なわからなさが、

神秘的にも感じられて、タロット占いの魅力であるとも言えるんですよねぇ。