京都 四条高倉の占庭から

不完全な恋

実に春らしいポカポカ陽気に誘われて、今日は三条まで電車に乗り、

そこから散歩しながら占庭まで来ました。

外国からの観光客の中には、半袖Tシャツで歩いてはる方も。

いくらなんでも、それは早すぎると思うんだけど。

 

春休みになって、日中に、中高生と思しきカップルが歩いているのを見かけます。

ちょっと恥ずかしそうに、微妙な距離を取っているのが、なんとも初々しくて。

おばちゃん、なんか甘酸っぱい気持ちになりますわ。

男子と女子が3人ずつくらいのグループで歩いている場合もありますね。

男子チームと女子チームが、またちょっと離れてたりして。

その意識しまくりの、もどかしさがよろしいですねぇ。

ああ、こんな頃があったよ、アタシにも・・・・

と思い出すのは、いったいもう何十年前のことなのか。

 

そういう恋愛のトバ口での足踏み状態から、どどどどどどっと

恋愛に踏み込んでしまう時って、ありますよね。

ドーーーーン!と恋に落ちる、ってやつですね。

これって、両方が恋愛体質でないと起きない、ってわけではなくて、

どちらかが非常に積極的に手に入れたいと思った場合でも起きるわけでして。

 

ふたりともが恋愛体質の場合は、熱くなるのも深くなるのも、

そりゃあ早いのですけれど、お互い慣れているので、

そこで困惑したり、不安を感じたり、っていうことはありません。

「恋とはこんなものよ!」と、そのすべてを享受されます。

熱しやすい分、継続し、安定走行へもっていくまでが難しかったりしますが、

そうなれば次の恋へ移行するという裏技を持つタイプでもありますし。

 

で、どちらかひとりが熱量の高いカップルの場合、です。

自分の想いをストレートに表し、愛情を注いで止まない相手に対し、

どう応えたらよいのか、戸惑う恋愛低体温派との組み合わせ。

 

低体温派の人は、誰かを好きになっても、そもそもがそれに気づきにくい。

好きだと気づいても、

 

 ああ、これは恋なのかしら。

 そうなのかしら。

 ほんとに?

 気のせい? いや、気の迷い?

 

となかなか確証を得られません。

その上に、

 

 こんな自分の気持ちを打ち明けられても相手は迷惑かもしれない。

 困らせてしまうのは本意ではない。

 ヘンにぎくしゃくするくらいなら、このまま仲よくしている方がいいじゃない。

 それにさ、何か自然に寄り添っていける時がくるかもしれないしー

 

と、善意で腰が引けているわけです。

 

そこへ、そんなことは頓着せずに、グイグイ来られると勢いにのまれてしまい、

自分の判断基準や、価値観が揺らいできたりするんですよね。

そして、考えます。

 

 こんなに愛してくれるってすごいことじゃない?

 折角のこの想いに応えないなんてこと、傲慢なのではないかしら。

 こんなにまで自分を求めてくれる人は、もう二度と現れないかも!

 

って。

愛されること、求められることはうれしいことです。

好意を持っている相手から、そうされると、この人を失いたくない!

と思ってしまうのは当然の成り行きでもありますよね。

自分にはない熱量で迫られると、その言動は自分基準では測れないほどの

大きな愛の持ち主なのだとしか思えず、圧倒されてしまうわけですが、

そこはちょっと冷静になってみてください。

 

その熱さも、勢いも、ほとばしる愛情も、もしかしたら、

とにかくあなたを 独占したい! という欲求からのことかもしれません。

自分を選ばせたい一心で、勝負を賭けてきていることだってあるでしょう。

そういう人は、恋をすればその度、同じように突っ走るのかもしれない。

相手があなただからそうなっている、というのではなく、

違う相手であっても、好きになればまっしぐらになる体質の人、

という可能性は結構高い。

 

これは、そういう熱い人を信じてはいけませんよ、と言ってるのではないんです。

その熱さに特別感を覚えたり、その想いに応えなければと思ったりして、

振り回されてしまってはダメだと思うの。

と言いたいのです。

 

「この人が好き!」という想いから出る行動は人それぞれです。

どんなに想っても、

 気持ちを押し付けるようなことはできない、

って自制する人だって、たくさんいらっしゃいますものね。

自分の「好き」の基準で相手の気持ちを判断はできない、ってことですねぇ。

 

でも、ついほだされてしまうのも人情。

ほだされて惚れちゃうことだってあります。

けれども、最初に相手の感情にコントロールされてしまうと、

その後も支配されてしまいがちなのは確かです。

ですので、その点は、重々お気をつけくださいね。

愛し愛されてこその恋愛です。

愛し愛しだけでも、愛され愛されだけでも、それは不完全な恋なのですよ。