京都 四条高倉の占庭から

ご注意ください

木屋町の桜は三分咲きくらいでしょうか。

この陽気ですと、あっという間に満開になるかもしれませんね。

今日は本当に暖かい。

 

実はいま、わたくし、帯状疱疹に罹っておりまして。

皮膚科の先生がおっしゃるには、ピークを過ぎたあたりで受診したらしく、

手遅れ気味だったそうです。

いかにも帯状疱疹、という発症の仕方ではなかったので後れをとってしまいました。

無念です。

 

で、水ぼうそうにかつて罹った方、もしくは予防注射を受けている方は

問題ないのですが、どちらもしてないよ、という方には、

水ぼうそうを発症させる可能性もあるそうで。

近々、占庭へ行ってみようかな、と思ってくださっているお客さまは、

どうかご注意ください。

特に赤ちゃんには接しないように、ということですので、

今週いっぱいくらいは、できればそういう方とは接触しないように気をつけます。

 

水ぼうそうも予防接種もしてないよ。

水ぼうそうに罹って、大手を振って、会社(学校)を休みたいよ!

という方は、積極的に接触してみてください。

いえ、冗談です。すみません。

 

しばらく本の話を書いていなかったので、今日はカテゴリー「読書」で。

ブログを読んでくださっているお客さまの中に、たまーに、

「本の話が好きなんです」という奇特な方もおいでになるんですよ。

うれしいです。

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子著 

 

小川洋子さんの小説は、独特の静謐さがあります。 

のっぺりとした静けさではなく、張りつめた、

ギリギリのところでバランスを保っている、しんとした世界。 

けれども音がないわけじゃない。 

風も匂いもあるのです。 

 

抗えず、けれども甘んじるには過酷な現実。 

それを不幸であると断言することは簡単です。 

しかし、その不幸と添うようにして生きていくしかない場合、

それは単体の不幸ではなくなります。 

そのひと全体を支配することになる。 

 

それでもひとは生きていくしかないのですよね。 

 

小川洋子さんの小説には、そういうひとがよく登場します。 

しあわせいっぱいのひとは、現れない。 

現実離れしているようで、リアルなのは、主人公の痛みをどこかで誰もが、

共感できる余白があるからではないかと思います。 

 

ちいさくて、しずかで、すぐに忘れてしまうようなかすかなしあわせを

大切にすること。 

耐えること。 

あきらめても、投げ出さないこと。 

 

それらを教えてくれます。 

声高に自己主張することが、いかに下品であるかも。 

 

主人公の少年は、11歳で成長することを自分の意思でやめます。 

それはすぐに『ブリキの太鼓』を連想させますが、色合いはまったく違います。 

少年は「大きくなると取り返しのつかないことになる」という、

強迫観念にとりつかれてしまったのです。 

その理由はいくつかあります。(でもそれは小説のなかにあるので、書きません) 

どれも、寓話のようなお話です。 

けれどもその悲しみは、とても現実的に思える。 

 

いい作品でした。 

チェスがわかれば、もっと深く愉しめたのだろうな。(少年はチェス指しなのです) 

 

「ミイラ」というのは、登場する少女の呼び名です。 

わたしは彼女がとても好きです。 

(2009/8/25)