京都 四条高倉の占庭から

ご縁を感じるって?

お天気が回復し、京都のお花見は今日がピークでしょう。

京阪電車の特急は満員。

ですので、各駅停車でゆっくり座って来ました。

桜もきれいですが、鮮やかな黄色のレンギョウ、真っ白なユキヤナギも美しい。

そうそう、四条通のアーケードの照明に、ツバメが巣作りを始めていましたよ。

春爛漫ですね。

 

毎年、この桜のシーズンはお店が暇です。

たぶん、心が浮き立つ季節で、ゆっくり悩んだり、落ち込んだりしてる場合じゃ

ないんでしょうね。

占い師の出る幕ではない季節ってことなんだなあ。

案の定、ヒマヒマだった昨日、久し振りのお客さまが来てくださいました。

お仕事で遠方へ転勤なさっていたのですが、帰任されたのです。

特に今すぐ占ってほしいことがあるわけでもないのに、お顔を見せてくださるって、

ほんとにうれしいことでね。

転任先でのこと、帰ってらしてこれからのことなど、いろんなお話が聴けて、

とても楽しいひとときでした。

 

占庭のような占い師ひとりだけの小さな店でも、いろんな方がおいでになります。

そのたくさんのお客さまの中で、ご縁を強く感じる方もあれば、

するっと通り過ぎていかれる方もありまして。

それは当然のことですね。

 

ご縁を強く感じるって、どういうことなのでしょう。

なんとなく、お互いに心をゆるせる感じ、ってことかしら。

その、すんなり感というか、言葉が自然に沁みていく感覚というか、

そういうことは、そこはかとなく感じられるもので。

 

そうなってからの距離の縮め方というのも、人それぞれで、

友だちのようになっていく方、遠い親戚のような関係になる方、

いつまでもゲストと占い師という距離が変わらない方。

ほんとうにいろいろです。

目に見える距離感が変わらなくても、お互いの信頼度っていうのは、

ちゃんと構築されていくものだなあということも感じます。

占いは一期一会なのですが、そこから心の深いところをふれ合える瞬間もあって、

ああ、いい仕事だなあ、って思えます。

 

もちろん、力足らずで満足いただけなかったと感じる場合もあります。

いくら言葉を尽くしても、まるで壁に向かって話しているように感じられ、

まったく心に届いていないということが痛いほどわかる時。

せっかくおいでいただいたのに、と申し訳ない気持ちになります。

けれど、それもこれも、ご縁なのだろうな、とも思うのです。

いつもいつも必ずしもマッチすることはない。

けれども、そこから学ぶこと、感じることもあり、成長の糧になる場合も

きっとあるのでしょう。

 

「起こることすべてに無駄はない」

とは、よく聞く言葉ですが、それを噛み締める瞬間です。

意味がないように思えるご縁にも、きっと無駄はないのでしょう。

「正」からも「負」からも、得るもの、知ることはあるのですね。

 

楽しいことばかりの中で成長していくのは、至難の業。

しんどいこと、つらいことの前に立ち尽くすところから、

人の成長は始まるのかもしれません。

そういう意味で、まさにピンチは飛躍のチャンス。

と、自ら叱咤激励して、乗り越えていかねばならない時っていうのは、

誰にも訪れるのだと思います。

そんな時は、勇気をもって前を向くだけ。

過去は何もしてくれませんから。