京都 四条高倉の占庭から

しつこいようですが何度でもいいますよ

最近はそれほど見かけなくなった、トイレットペーパーの三角折り。

「掃除しました」印でもあるらしいのですが、

ひと昔前は、そうしておくのが次の人への心遣いである、

みたいなマナー的圧力がありました。

わたしはめんどくさがりだし、劇場などのトイレなどでは、

「こんなん折ってるヒマがあるなら、さっと出てきてー!」と思うタイプ。

先日、

「三角折りは不衛生なのでやめて!!」というネット記事を読んで、

ほーーー、なるほどーーー、と思いました。

用を足した後、洗っていない手でトイレットペーパーを触るということで、

もしかしたら何らかの「菌」が付着する可能性がある、ということらしいです。

たしかに、ノロとか、まったくないとは言えないですよね。

なので、気にする人は、折ってある部分をちぎり捨てて使うのだそうで、

二度手間になるし、ムダだからやめて欲しい、書いてはりました。

な、なるほどね、、、、と思うものの、そこまで気にしてたら、

不特定多数の人が使用するトイレで用を足すのは、大変だなあ、

と思ってしまうのは、わたしがテキトーな性格だからですかね。そうですね。

 

さて、このブログにも何度も書いてきたことを再度書きます。

と申しますのも、多過ぎるからです。

自分への点数が辛すぎる人が。

 

恋人がほしい、結婚相手と出会いたい、と思ってらっしゃる人に、

「いま、自分で自分に点数をつけたら百点満点で何点ですか?」

とよく訊ねます。

「誰にも発表しないんだから、いい点つけてね」と言うてもなお、

「50点くらいかな・・・・」とおっしゃる方がとても多いです。

そういう方は「自信がもてない」と思ってらっしゃるのと同時に、

控えめで謙虚な人、ということに間違いありません。

感じのいい方なのに、なんで50点?と不思議でしょうがない人ばかり。

ちょっとキビシイことを言わせていただきますとね、

「50点」と評価することで、安心しようとなさっているところも

あるんじゃないかと思うんです。

「どうせわたしは50点くらいの人間だから、こんな毎日なんだ」って。

 

 がんばってない自分が悪い。

 もっと欲をもてない自分が悪い。

 

とうまくいかない原因をすべて「自分」にすることで、

気が済んでしまってはるんです。

全部悪いのは「自分」って。

 

それはね、ほんとーに、ご自身に対して失礼だなと思うんですよ。

ちゃんと働いて毎日を生きていく、それだけでも大仕事です。

そこをまずはちゃんと評価すべきなんじゃないかと思いますよ。

 

「自分は50点と思っていたら、50点くらいの人と出会って、

 50点くらいの恋愛をして、50点くらいの結婚をして、

 50点くらいの人生になる、って言われてるのよ。それでもいい?」

とお訊きすると、みなさん、それはイヤとおっしゃいます。

イヤ、というお顔をされると、ホッとします。

「それでもしょうがないですね」とか言われると困ってしまいますから。

 

それに、自分は50点と思ってらっしゃる方でも、

「それじゃあ、あなたは50点の男の人を好きになる? 結婚したいと思う?」

とお訊ねすると、それもイヤ、とおっしゃいます。

ここでも、よかった、と思いますね。

50点の人ではイヤだ! という気持ちは正しいし、よいことです。

そのためには、自分も50点くらいだし、という評価ではいられない、

ということにつながるので。

 

自己評価というのは、誰かにしてもらうものではないので、

自分対自分の個別懇談のようなものです。

外向きの自分、内向きの自分双方が向き合うような。

そこに他人の目線を入れる必要はないんです。

誰だって、自分好きなところもあるし、ここはほんまにイヤな奴、

って思うところだってあるはずなんですよ。

そこを一旦、全部ぶちまけてみて、好きなところは好き、と思ってみる。

客観的にイヤと思えるところは、少しずつ克服する努力をしようと

ちゃんと決意する。

その上で、がんばってる部分をよりクローズアップして褒めてあげてください。

 

 よくやってるよ、ワタシ。

 

って。

スタートはそこからです。

80点、90点のパートナーとめぐりあうためにも、

自分自身にちゃんとよい点をつけてあげてください。

これはもう、お願いですから、と言いたい。

しあわせをつかむのに、遠慮なんかいらないんです。

ガツガツしてほしいというのじゃないんですよ。

自分に遠慮をするのは、無意味であるし、

自分自身をないがしろにしていることにも通じてしまうのよ、

ってお伝えしたいだけなのです。

みんな、しあわせになってほしいの!