京都 四条高倉の占庭から

「もう」ではなく「まだ」

自分の年齢を言うときに「まだ」って言いますか? 「もう」って言いますか?

「もう〇〇歳なんです」って言う人が大半だと思うんですよ。

若くても、そうでなくても。

わたしもつい「もう50も半ばなんでー」とか言いがち。

だけど「もう」っていうよりか「まだ」って言ったほうが、

なんとなく元気出てくるなー 

と思ったので、これからは意識的に「まだ」と言うことにしようと決めました。

ま、わざわざ言わなくても、こころの中で思っておけばいいかな、ということで。

 

「おいくつですか?」

「(まだ)55歳です」ってふうに。

 

「もう」って言うと、なんかムダに歳だけとってしまいました、、、、

みたいな「不本意なこれまで」を感じさせませんか? 先細り感というかね。

 

「まだ」って言うと、それだけで「前向きなこれから」が広がるような

気配が感じられませんか?

ま、それはただの錯覚かもしれませんけれども。

でも、そこはかとなく励まされるようなこの感じ。

なかなかいい錯覚のように思います。

 

 

さて、今日は久し振りにカテゴリ「読書」で。

 

宮部みゆきさんといえば、ミステリ作家で、SF作家で、時代小説作家でもあり、

ゲーム小説も多いという、多才で多作な作家さんです。

そのどれもがクオリティが高く、エンターテイメント性も備わっていて、

内容に温かみがあり、すばらしい。

わたしは『龍は眠る』で大ファンになって、それ以来、ずっと読み続けています。

今日、ご紹介する作品は、講談社創業100周年記念出版の書下ろし。

とてもいい小説です。

 

『小暮写眞館』宮部みゆき

 

なんといっても”小暮写眞館”という字面がいい。

それだけで、少し遡った時代にワープできそうな気がします。

(といっても、現代の物語なんですけどね) 

いかにもミステリというようなミステリではないし、

人情話、って言ってしまうのもなんだか・・・・ 
家族、親戚、学校、友だち、恋愛、袖摺りあう他生の縁まで、

生きていくうえでイヤでも関わらなければならない面倒やしがらみ、

不幸、不運などが描かれます。 
それでも救いはある。 
逃げるよりは、やるだけやってぶつかって、砕けたってそれから立ち直ったらいい、 
って思えます。 


それから、誰かを愛するということは、やはり人として生を受けたなかでの

最高の祝福であるな、と。 
ま、ベタですが、そこへ落ち着きます。 

たいへん出来のいい小学二年生の弟、ピカちゃんが、不登校についてこう語ります。 

「ボクは思うけど、不登校の子って、学校が嫌なんじゃなくて、学校が怖いんだよ」 
と。 
そんなこと、子どもはみんなわかっている。他人事じゃないから。 
大人はみんな、ひとくくりに<いじめ>って言うけれど、それは大雑把である、と。 
それは立派な差別と迫害だ、ってね。 

学校が嫌で行かない子も少数ながら存在するとは思うけれど、

それでも「行きたくても行けない」子が圧倒的多数なのだろうな、とは思います。 
他人事じゃない、っていうのも、今の社会を映しています。 
”差別と迫害”これは、昔から変わらない。 


自分の子どもが大きくなってから、こういうこと、

真剣に考えることから遠のいていたのかもしれない。 
今も、今日もつらい思いをして、苦しんでいる子が、

たくさんたくさんいるだろうに。

物語のエピソードひとつひとつがそんなふうに、 
忘れた気になっていたよね? 
というように、チクリとした痛みを連れてきます。 
けれども宮部みゆきさんだから、温情があるし、人情が沁みる。

 
こうして庶民は生きていくもんだ。

けれどそこには、身の丈なりの矜持も持っていなければ。

という気持ちになれるのです。

(2011/6/24)