京都 四条高倉の占庭から

最終目標

8月に入りましたね。

もう随分と長い間、強烈に暑い気がしているんですけれどねぇ。

まだまだ続きそうですね。

 

こちらは先日お参りした知恩院さんの蓮。

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もうすぐにお盆だなあ、って感じますね。

占庭は、お盆休みはありません。

お盆期間中も、通常通りの営業です。

関西へお帰りになる方、ご旅行の方、どうぞお立ち寄りください。

 

「あの世」つながりで、ヨーガの先生から聞いた話を。

沖縄には、ユタと呼ばれるシャーマン的存在がありますが、

奄美の方では、ノロと呼ばれる巫(かんなぎ)がおられるそうです。

わたしが通っているヨーガ教室の先生が、あるひとりのノロの方と

懇意にしてらして。

その方が高齢で具合がよくなく、ご自身で、もうあまり長くない、と

おっしゃってるのだそうです。

それを聞いて、つらく、淋しくなり曇ってしまった先生の表情を見て、

ノロの方はニッコリ笑って、

「どうしてそんな顔をすることがあるの? これからいいところに行くのに」

とおっしゃったそう。

現世は修行の場で、やっとそれを終え、やれやれ、というところなのですって。

先生はその話を聞いて、死ぬことが怖くなくなったと話してらっしゃいました。

 

そうですよね。

死んだあと「いいところ」へ行くのならば、悪くないですよ。

 

でもそれって、現世でのふるまいや、徳を積んだとか積まないとかってのと

関係があるのではないかしら?

と、ふと不安になってしまうのが一般人というもので。

 

タロットカードには「審判」というカードがありましてね。

キリスト教でいうところの「最後の審判」がモチーフになっています。

終戦争が終結し、千年王国へ迎え入れられるか否かの審判の始まりを知らせる

ラッパが吹き鳴らされるシーンが描かれています。

善き人は千年王国へと迎え入れられ、邪な人は奈落へと落ちていく。

これは、日本でいうならば、お寺にある地獄絵図ですね。

正直、真っ当に生きていれば神様が見ていてくださる。

ウソをつけば閻魔さんに舌を抜かれるし、悪事はすべてお見通しで、

それらは各種地獄へとつながっている。

だから、心正しく、善く生きなければなりません。

という戒めです。

どちらも、信仰へと誘い、勧善懲悪の理を説くもの。

死後への不安や恐れは、万国共通ってことですねぇ。

「バチが当たる」的な抑圧って、意外に根強いんだなあとも感じます。

 

それに引き替え、そのノロさんがおっしゃる「いいところに行く」

っていう言い方は、とてもいいなあと思います。

生まれたからには、必ずや全員がいつか行くべきところですものね。

いいところなら安心だ。

と、単純なわたしはそう思うことにしました。

 

漫画家の水木しげるさんは、

「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はないよ」

と描いてらしたしなあ。

そういう考えも、ちょっと気楽にさせてくれますよね。

 

どうせ死ぬまでは生きなければならなくて、その間、

わからない不安や、得体のしれない恐れで心を痛めるというのは、

ナンセンスだなあと思えてきます。

だからね、できるだけ笑っていましょうね。

どんな顔をして生きても、同じ一生ならば、笑っていたほうがきっといいですよ。

 

命が終わるときに、

ああ、よく笑った。 みんな、ありがとうね!

って思えたらいいなー

それがわたしの最終的な目標かも、と思っています。