京都 四条高倉の占庭から

引っ張ってくれる人

本格的なお盆の帰省ラッシュは明日の祝日からだと思いますが、

夏休みを選べるお仕事の方などは、すでに旅行や帰省をされているようですね。

占庭にも遠方からお越しくださる方が増えてきています。

ここ数日でも、愛知、三重、千葉と、旅行を兼ね、もしくは占いが主目的で、

というありがたーいお客さまも。

ありがたいのですが、そんなに遠方からわざわざおいでいただいて、

それだけの意味なり、価値なりを提供できているのか、甚だ不安です。

が、最近はなぜか帰り際に「スッキリしましたー!」とおっしゃる方よりも、

「おもしろかった~!」とか「楽しかったあ♪」という方の方が多くて。

自分では何も変えてはいないのですが、

楽しみを求めて来られる方が増えているのかな、と感じます。

 

ま、とにかく「来なけりゃよかった、、、、」とお感じになっていなければ、

わたくしとしましては、ひとまず役割を果たせたかしらと、ほっとする次第です。

それに、本来、占いっておもしろいし、たのしいものだと思ってやっていますしね。

そう思っていただけたら本望です。

 

さて、今日はパートナー選びについて。

特定のお相手がいない方の恋愛や結婚について占うとき、よく、

「どういう人がいいと思いますか?」とお訊ねします。

やっぱり定番の「やさしい人」という答えももちろん多いのですが、

時代ですかねぇ、「ちゃんと働いてる人」という、

それ、基本中の基本やからね、と言ってしまうような答えも結構あります。

あとは「穏やかな人」「しっかりしている人」。

意外に多いのが「タバコを喫わない人」。

こちらも時代ですね。

 

そしてタイトルになっている「引っ張ってくれる人」というのも多いんですよ。

なんだかそれって「夫唱婦随」っぽくて、いまの世にそぐわない気がするんですが、

バリバリ仕事をなさっている女性でも、そういう方がおられます。

本人の星が「ついていくタイプ」もしくは「支える役割の人」であり、

パートナーの星が「リーダー型」、「わが道を行くタイプ」であれば、

まさに相手は「引っ張ってくれる人」であり、ご自身は従い支える組み合わせ、

ということになります。

けれども、そんな風に、まさにドンピシャ!はまってるわ、ってことは

めったにありません。

むしろ、お話を聞いていて、なぜ引っ張っていってほしいなんて思うのかしら?

と不思議に感じてしまうことの方が多いんですよ。

と申しますのも、

「あなた、自分が思うように引っ張っていった方がラクじゃないの?」

と思えるような人が、引っ張ってほしいなんておっしゃるから。

 

たしかに、

 

 自分よりもしっかりした考えの人が

 こちらの意向も吟味した上で

 強いリーダーシップを外へも向けて発揮し

 行動に責任を取ってくれる

 

というのが理想、というのはよくわかります。

そういう人を「引っ張ってくれる人」と思ってらっしゃる。

でもねー そんな都合よく素晴らしい人、実際にいます?

 

まず、どんなにしっかりしている人でも間違ってしまうこともあるし、

しっかりしている自信のある人ほど、自分の考えを通そうとしてしまいがち。

引っ張っていくことにこだわると、ゴリ押しで暴走しそうになったりも。

強いリーダーシップはひとつ間違うと押しつけや支配にもつながりかねません。

責任感の強い人はプライドも高いことが多いので、その扱いにくさもある。

と、どれも長所と短所が紙一重だったりするんですよね。

 

ですから、自分の考えがあり、行動力もそこそこある人であれば、

引っ張ってもらおうなんて考えず、むしろ、柔軟に意見をきいてくれる人や、

「全力でキミを支えたい」と思ってくれるような「ついていきたい」、もしくは

「並走していこう」タイプのパートナーを選んで、

そこそこ自分のペースで家庭を運営していった方が、

ずっとストレスも、モメ事も少なくていいんじゃないかなあ、と思うわけです。

 

お互い「我」は必ずあるので、それをどこまでどういうカタチで通していくか、

というのは、共に歩んでいく上で、結構重要なところじゃないかと思います。

引っ張ってくれる人に依存するというのは、相手よりもかなり多めに、

自分の「我」を手放したり、抑えたりする、ということでもあります。

ラクに生きようとして、ちがうしんどさを抱えることになったりもします。

 

やっぱりね、依存ってのはよくないです。

夫婦としては、どちらかがどちらかに寄りかかり過ぎない、

共に歩み、共に成長する「共存型」を目指していた方がいいと思います。

そのためには、精神的にはどちらもが自立しておかないとね。

うん。これはなかなか高い理想。

そう簡単にはいかないだろうけれど、できればそうありたいなあ、

と思っておきたいところです。