京都 四条高倉の占庭から

お手紙拝見

夏の間、ぬるま湯しか出なかったマンションの水道水が、

昨夕、水に戻っていました。

今年は暑いよ、異常だよ、残暑厳し過ぎるよ、いつになったら涼しくなるのよ、

と思っていたのですが、

キッチリ8月の終わりには夏も去ろうとしてるじゃないの!

と、なんだか裏切られたようなキモチになるのはなぜ?

今朝、四条大橋から見渡した空も、秋の顔になっていました。

服装はまだ夏のまんまなのですけれど、季節は半歩前を歩いているようです。

 

今月は、メールや電話での鑑定依頼をたくさん頂戴しました。

ありがとうございました。

電話鑑定は、お互いに会話ができるのがよいところ。

聞きたいこと、確かめたいところをその場で解消できるメリットがありますし、

声のトーンや話し方で、感情をも交感できるのがいいんですねぇ。

お互いをより知ることができます。

 

もちろん、メール鑑定にもメール鑑定ならではの良さがあります。

 メールで依頼し、メールで返事を受け取るわけだから、

 リアルに関わるのが苦手な人向きってことでしょう?

と思われるかもしれませんが、そこだけではないですね。

一番大きなメリットは「まず文章で伝えていただく」ということ。

占いで訊ねたいことに関して、現在、ご自身がおかれてらっしゃる状況、心境、

今後への希望などをできるだけ詳しく教えてくださいとお願いします。

お客さまは、そこで考え、わたしに伝わるようにと整理整頓して、

文章にまとめて送ってくださいます。

 

 状況を客観的に説明する。

 現在の心境はこんな感じ。

 将来への希望、不安、それに対する葛藤などを素直に書いてみる。

 

という作業が必要になってくるのですね。

文章を書くのがお好きな人なら、それほど苦ではないかもしれませんが、

そういうのはとても苦手、っていう方も多いはずです。

ですので、これらは、本当に、できる範囲でお知らせくださればいいのです。

 

で、ですね。

そうして、状況説明や、お気持ちを書いてわたしに送ってくださると、

そこでもう、ひと仕事終えた!という感覚をお持ちになる方も多いんですよ。

とにかく持ち重りのしていたボールを遠くへ投げ切った! 

みたいなスッキリ感があるのだそうで。

そこまでで、ご自身の抱えてらしたモヤモヤとした思いの何割かは解消し、

知らぬ間に、視線が前へと向いてらしたりもします。

わたしからの返事はもういいかな、と思う方もあるくらいです。

自分の気持ちを文章にするっていうのは、すごい効果があるんだなあ、

と驚きます。

 

わたしが若かった頃なんてのは、パソコンも携帯電話もなかったので、

手紙を書くのは身近なことでした。

不在かもしれない相手の家に電話をかけるよりか、

ゆっくり手紙を書いて、読み返して、ポストに投函する方が日常的で。

手紙は、便箋数枚、というのがまあふつう。

そう。それくらいの長い文章を昔はみんな書いてたんですよねー

まあ、もちろん、でっかい字で、

「好きだっ!!」

だけ。

みたいなインパクト勝負のラブレターもあったでしょうが、

その手は何度も使えませんしね。

 

うっかり書き損じたら、修正液も修正テープもない時代なので、

砂消しでこすったり、カッターの刃先で削り取ったりしようとして、

穴があいてしまって、やっぱり書き直さねばならなくなったりしてねー

そうして、大事に言葉を届けたんですよね。

 

いまの時代は、長いメールを送り合うってこともあまりないですし、

SNSなどでの短い文章のやり取りが主流です。

瞬時に返事や反応を得られる。

文章というよりかは、文字での会話っていう感じですよね。

ですので、じっくり自分自身について、自分の気持ちについて文章で伝える、

ってことが自然に少なくなってきているのでしょう。

だからこそ、その作業が、よりご自身の整理整頓に役立つのかもしれません。

 

そうして届けてくださったお手紙を拝読し、わたしも精一杯の返事を書きます。

どんなお顔の、どんな声の方かまったく知らない人へ宛てて。

思えば不思議なことですね。

 

メール鑑定依頼を受け、見料をお振込みいただき、追加の質問などをお送りし、

占って、返事を書いてお届けする。

そこで、やり取りは完了となります。

けれども、多くの方がそれを読んでの感想や、ご自身の思いをお伝えくださいます。

これがとてもうれしいです。

顔の見えない関係ながら、そこにたしかなつながりを感じられるんですね。

ありがたいです。

占庭は、いいお客さまに恵まれ、ほんとにしあわせ者だなといつも思ってます。