京都 四条高倉の占庭から

占い師が決めるのではなく

今朝、ベランダで洗濯物を干していましたら、遠く東の空の雲間から、

天使の梯子がいくつも降りてきていました。

いやあ、眼福でした。

なんと言いますか、荘厳なような、神秘的なような、啓示的なような。

まあ、そんな風に人間が勝手に感じているだけの、自然の現象なわけですが、

いいものですよねぇ。

思わずひれ伏したくなる自然の美しさっていうのは。

 

さて、今日は占いの話をいたしましょう。

ストレスが強くかかってきたときに、身体に出る人か、ハートにくる人か、

っていうのは、生まれ持った星の並びで、だいたいわかります。

これね、見た目で判断してはだめですよ。

見た目とハートは違うものなので、だまされないようにね。ふふふ。

 

が、ですね。

今日、そういう星の人ではないのに、手相ではとてもつらそう、

という方がおられました。

元々はメンタルが弱い人ではないはずなのに、今はとてもしんどい、

ということなのだなあ、とこちらは解釈いたします。

これは相当なダメージだな、と。

 

そう。

命式では元来、その方が持ってらっしゃる特徴がわかりますし、

手相ではその方の現在の様子がよく出ています。

(過去のことも結構出ています。意外と未来は曖昧なことが多いもので)

なので、そのどちらも重要。

現在、同じようにこころがダメージを受けてらしたとしても、

元々メンタルが強い人が弱ってらっしゃる場合と、

そもそもデリケートな人が弱ってはる場合では、

占った上での話の持って行き方が違います。

気の持ちようによる今後の展望や、いますべき対処法も変わってきますのでね。

 

このように併せ観る、ということで、矛盾が出てくる場合もあるわけですが、

その一見、矛盾と感じられるところこそが、ポイントになってきたりもします。

 

何よ、その一貫性のない占いって、と思われるかもしれませんが、

わかりやすく割り切れる人間なんていませんし、そこに矛盾や葛藤があって当然。

たとえ現状の問いに対する「答え」が明確であっても、

それができたら苦労はしないのよ~~~ ムリ!

なんてことだって、普通にあるものです。

その日常生活の上に、占いもあるのですから、そこは臨機応変に読み解き、

お伝えしていかねばなりません。

 

とても難しいです。

難しいけれど、だからこそおもしろいし、奥深いし、対話も生まれます。

その対話を通して、お客さまは納得されるだけじゃなく、諦められたり、

もうちょっとやってみるか、と腰を上げられる場合もあるんですね。

それは占い師の力ではなくて、ご自身の決断であり、決着なのです。

 

占い師は占いで観えるもの、お伝えできることを誠心誠意お話しする。

そして、それを受け取ったお客さまが、自分で決めていかれる。

それが占い師が勧めた方向ではないことだって、よくあります。

けれども、それでいいんです。

そんなん占いの意味ないやん、って思われるかもしれませんが、

むしろそういう逆の選択のときほど、大きな意味があると思っています。

 

ですので、わたしがお話ししたこととは別の方向へ舵を切られたとしても、

わたしは全然気を悪くはしないし、その選択を支持したいとも思います。

占いは「決めてもらう」ものではなくて、能動的に「決める」ためのものなので。