京都 四条高倉の占庭から

わたしの贅沢

いきなりの春も春。

なんてうららかな陽気でしょうか。

一週間後にお彼岸を控えて、ちょっと勇み足なんちゃう?

と季節に問いかけたいような月曜日です。

 

今日は占庭の定休日で、わたくしはヨーガのレッスンに行っていました。

わたしが通っているお教室は、最初に30分余りダンスして、

その後、みっちりスクワットの後、そこから1時間余りをヨーガ、

という2時間強の充実レッスンです。

 

で、ですね、じわ~っと体を曲げたり、伸ばしたりしてるとね、

あちこちの滞りやこわばり、痛み、違和感、不具合、みたいなものが、

言葉少なに訴えてくるので、

 

 ああ、しんどかったよね。

 ここのところ忙しくて、酷使してたよね。ごめん、ごめん。

 ちょっと無理させてしもてたなあ。

 

と自分の体でありながら認知していなかったこと、

薄々わかっていながらスルーしていた部分に気がつきます。

 

そこで超当たり前なことにハッとしたりするんですよ。

 

 わたしの体も心もひとつしかない。

 そしてこれはどちらもわたしのものだ。

 

ということとかに。

だれよりも自分が労わらねばならず、だれよりも愛しんでやらねばなりません。

それをするりと忘れてたことに気づかされるわけです。

 

家族のため、恋人のため、仕事のため、スケジュールのためなどに、

無意識に自分を置き去りにしたり、ないがしろにしてしまうことは、

実はとても多いことだと思うのです。

そして、それで気力や生活が充実することだってあるわけで、

その水面下の無理や疲労にはなかなか気づきません。

それらが積もり積もって、心身に不調を来してしまうまでは。

 

ヨーガのよいところは、自分の心や体と対話できる、ということだと思っています。

わたしのやり方はですね、

まず体の隅々まで届くような呼吸をしていきます。

そして時間をかけ、ゆっくりと体を折ったり、曲げたり、伸ばしたりしつつ、

しんどい部分にぶつかったら、そこを撫でさするような気持ちで労わります。

「そかそか、ここがつらかったんやね」

と話しかけるように。

そうしてゆるゆるほぐしながら、

 ああ、気持ちいいなあ~ 

と心と体が思わず声を漏らすようにもっていけたなら、もうオッケー。

カッコいい形になっていなくても、不完全でもいいんです。

自分の体に問いかけながら、できる範囲でやっていれば。

あの人みたいに、素敵なポーズを決めたい、とかは考えなくてヨシ。

 

そうこうしていると、どれだけ肩に力を入れて過ごしていたか、

息を詰めた毎日であったか、が浮かび上がってくるんですねぇ。

で、ムダに入っている力を抜いて、できるだけいつも通りの

フラットな自分へ返っていくよういざないます。

 

それらを誰の手も借りず、自分自身でできる、

というところがヨーガのえらいところだと思うんですよねー

心身を一旦、バラバラの部品に分解してしまって、

またそれらをあるべき場所に戻して組み立てていくような作業を

レッスンの時間内でやっているような感じでしょうか。

 

週に一度、2時間余りを自分の心身のためだけに使うなんて、

すごーく贅沢なこと。

それをさせてもらえているいまをほんとにありがたく思っています。