京都 四条高倉の占庭から

タロットを学ぶ目的

梅雨明けとともに、とんでもない猛暑がやってきています。

被災地の方々のことを思うと、ほんとにまずは体調を崩されませんように、

と祈らずにいられません。

 

明日からの三連休は、京都は祇園祭のハイライトみたいな期間で、

ものすごい人出となります。

こんなこと大きな声では言えませんが、小さいお子さんとかね、

歩行者天国に連れておいでにならないほうがいいです。

大人でもしんどいですし。

まだ、昼間に山や鉾を見て回られて、上にあげてもらったりするほうが、

暑いのは暑いですけれど、楽しいのではないかと思いますよ。

 

占庭ではタロット占いのマンツーマンレッスンを開講しています。

マンツーマンなので、おひとりおひとりのペースでレッスンを進め、

予定のカリキュラム(なんていうほどのもんじゃないですけど)が終了すると、

レッスンも修了となります。

その後、リーディングの練習に通われる方もおられますし、

あとは自分で練習します、という方もいらっしゃいます。

不思議なのは、修了される生徒さんが続くと、

ちょうどまたそのころから、新しい生徒さんが来てくださるようになるんですよね。

なので、レッスンが毎日ぎちぎちに詰まっているということにもならず、

生徒さんが途切れることもなくて、とてもありがたいです。

 

新しくレッスンを始められる方には、

「どうしてタロットを勉強したいと思いはったんですか?」

といつも訊ねます。

「いつか占い師になりたくて」というお答えが多いのですが、

なぜ占い師になりたいのか、の理由はさまざまなんですね。

「歳をとってもできそうな仕事だから」

「副業にしたいから」

という、収入目的の方も多数おられるのですが、

占い師って一部の非常に有名な方を除いては「儲かる」商売ではないので、

おそらくは、ふつうにどこかへお勤めに出られたほうが、

収入としては有効に得られるんじゃないかなあと思います。

とお話しすると、ちょっとガッカリされてしまうのですけれどね。

 

ほかには、

「占いを通して、経験を織り交ぜたアドバイスができれば」

「自分も苦労が多かったので、つらい人を助けてあげたい」

という方もおられます。

他者のために、という動機は素敵なのですが、ちょっと危うさもあります。

 

経験を織り交ぜたアドバイスは両刃です。

タロットカードを引き、たまたま出たそのカードを読んで、

ゲストの方へとお伝えしていくのがタロット占いなのですが、

そこに経験からの視点が入ってしまうと、ズレます。

自分で感じたことをゲストのことを思ってアドバイスしようとすると、

リーディングを無意識にそちらへと誘導してしまいがちになるんですね。

カードのリーディング結果を伝え、その後に、ご自分の考えをゲストに話してみる

というのならばいいかな、と思います。

 

「助けてあげたい」はもっと怖い。

占いで誰かを精神的に助けてあげることはできないと思うんですよ。

もっといえば、誰かを助けてあげることは誰にもできないと思っています。

弱ったメンタルを立て直すことができるのは、

やっぱり最終的には自分自身、ということなのだろうと思います。

だから、そこを目的にすると、占う側の人までもつらくなってしまう。

だって、助けてあげられない場合はともに苦悩するしかなくなりますしね。

 

いろんなお話を聴いて、占って、お話しして、その間に、

ゲストの方が、ちょっとラクになりはったり、スッキリされたり、

ということは結構あります。

お店に入って来られた時よりも、お帰りになる時のお顔のほうが晴れていたら、

占い師にとって、こんなにうれしいことはありません。

けれども、それは、結果的にそうなることがある、ということで、

それを目標にして占うのは、ちょっと違うかなと思うのです。

わたしはゲストの方を救ってあげられる力が自分にあるなんて、思っていません。

ちょっとほっとされたり、気を楽にしてもらえたらいいなあ、

とは思っています。

そして、占いっておもしろい、使えるね、と知っていただけるとうれしいです。

 

占いは占う側とゲスト間の相性もあります。

どなたにも満足していただける占いを提供するのは、難しい。

そこの満足確率の高い占い師が、よい占い師という場合もあれば、

確率は低いけれど、一部の人にとっては最良の占い師という場合もあるのでしょう。

けどまあ、それらも結果的にそうなる、というわけで、

詰まるところ、誠心誠意占って、お客さまに託す、に尽きるんじゃないでしょうか。