京都 四条高倉の占庭から

「ヤギの人」さんのツイートを拝借します

先日、友人が、

「みゆきさんとこ、いろんな人が来はるやろ~」

とプレゼントしてくれたのがこれ。

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へぇ~ この人、おせいさんって名前なんや。

と思ってよくみたら、おいせさんって書いてありました。

そういえばお伊勢さんのお土産なのでした。ハハハ。

 

お浄め塩スプレー/フレグランススプレー

天日で乾燥されたミネラルいっぱいの塩とフランキンセンスローズマリーなど様々な天然エッセンシャルオイルの繊細な優しい香りで、気になるところをお浄めください。香りと浄化を楽しめるフレグランススプレーです。 

ということです。 

ユニークですよねぇ。

ローズマリーの香りがとても好きなので、このお浄め塩スプレーは、

大のお気に入りとなりました。

 

 

さて、今日は久し振りの「拝借シリーズ」です。

ツイッターで目にして、まさに! と膝を打ちました。

 

引用①

 時間前

自分を粗雑に扱うことは、周囲に対して「自分は粗雑に扱っても良い人間です」というメッセージを発してしまう事になる。

所有者が雑に扱うものを、他の人が丁寧に扱うことは基本的に無いからだ。

 

端的に、でもすごくわかりやすく書いてありますよね。

 

 自分が自分をないがしろにしていては、

 誰からも大事に扱われない存在になってしまう 。

 「粗雑に扱ってもらってOKな存在です」と公言しているに等しい。

 

というところでしょうか。

自身を粗雑に扱うというつもりではなく、

謙虚であろうとした結果、そういう態度になってしまっている、

ということもあるかもしれません。

謙虚であるということと、自分を貶めて表すということは混同されがちです。

驕ったり、高慢であったりというのは、みっともないことだし、

他人からも嫌われることなので、ひとは謙虚であろうと意識するのでしょう。

そこで、できれば謙虚なひとだと認識されたい、なんて思ってると、

知らず知らずになんだかおかしなことになってしまっていたりね。

 

謙虚と遠慮はちがうし、自虐はもっとちがいます。

謙虚っていうことばの意味は、

自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。

なのだそうですよ。

遠慮でも自虐でもないのがよくわかりますよね。

だから、謙虚でありたいがために、謙遜したりへりくだったりするのは、

だいぶズレている、ってのもよくわかります。

そうすると、じゃあ、自分を粗雑に扱わない、ってどういうこと?

となります。難しいです。

 

引用②

自分を大切にする仕方が分からない、ということはある。

そういう時はせめて「雑に扱わないようにしよう」と思うことから始めると良いかも知れない。

 

ここで、大事にされたことのない自分には、どうすればいいのかわからない、

的な反論が出てくることが推定されるわけですが、

今回、それは却下しますよー

考える前に、それを言うたらダメ。

そこはもう想像力をフル回転ですよ。

人間、体験したことしかわからないはずがない。

そして、最初から正解にたどりつかねばならないわけでもないのですし、

とにかく自分なりの思考錯誤をまずはやってみましょう。

 

引用③

どうしてもそう出来ない時はある。

でも少なくとも、そうしたメッセージになってしまうという事は、知っておいたほうが良いのではと思う。

 

そうですよね。

いろいろ考えてみて、想像もしてみて、やってみて、

それでもやっぱりわからない、ってことだってあります。

そういう場合、

 自分にはわからない。できない。

と悲観したりあきらめてしまってはダメ。あきらめたら忘れてしまうもの。

そういうことにつながってしまうのだ、

ということをひとまず、こころに留めおくことが大事なのだと思います。

 

引用④

積極的になるには結構エネルギーがいる。

思い切りも必要だ。

そういう時は「せめてより悪い事は避ける」という消極的な態度に切り替えるのでも良いと思う。

 

防御だって、立派な戦略です。

動かないことで、リスクを回避できることもあります。

その際の気の持ちようが大事、ってことなのだと思うのです。

 

あきらかな自虐や、遠慮ばかりでなく、

「いいんです、いいんです、わたしのことなんかどうだって。

 どうぞお気になさらず~」

みたいなライトなものも含まれると思っておきましょうね。

 

少なくとも、自分自身が納得していること以外、

他者へ向けて自分を軽んじた言動をするのはやめよう。

 

と、まずはそのあたりから意識していきましょかねー