京都 四条高倉の占庭から

「感謝」について

朝晩、冷えるなあと思うようになりました。

イチョウも色づいてきて、秋の深まりを感じます。

 

占庭は、明後日・25(木)臨時休業とさせていだきます。

ちょっと遠方へと出掛けますので、メール鑑定をご希望の方は、

土曜日以降の受け付けとさせてください。

また、メールでのお問い合わせの返信が、少し遅くなるかもしれません。

申し訳ありませんが、どうかご了解くださいませ。

 

今日はここのところ、ずっと引っかかっている「感謝」という言葉について、

ちょっと考えてみたいのです。

感謝という言葉はいい言葉ですし、感謝する、ということは大切なこと。

それはもう間違いないことなんですね。

けれども、なんかいつでもどこでも使われすぎていて、

もうお腹いっぱいなんですけどー という気持ちになってきました。

 

たしかに、わたしもよく使っています。

「周りのひとに感謝してくださいね」みたいに。

けれども、ちまたで使われている感謝とは、

ちょっとニュアンスが違うんやけどなあ、という気もしていて。

 

よく聞く「感謝しよう」のなかに、

 私利私欲に走るんじゃない

 謙虚でいなさい

 ありがたいという気持ちを忘れるな

 文句ばっかり言うてたらダメ

みたいなニオイがついていることがないですか?

なんか指導的なニュアンスや、押しつけに近いこともあるように思います。

それだけ使いやすい言葉であるということなのでしょうけれど。

 

わたしが「感謝してね」で言いたいのはですね、

 

「いま、自分は満たされている」と一旦思ってみてほしい

 

ということなんです。

それはだれかのためではなくて、ご自身のために、なのです。

周りに感謝するためには、現在の自分をありがたいなあ、

と受け容れなければなりません。

ああ、わたしって、いま、恵まれてるんや、と

いまある自分を満たされた存在として、認識してみる、

という作業をすることになるわけです。

 

もちろん、なにもかも満たされた環境とか、状況にある人というのは稀で、

満たされない部分を抱えながら生きている人が大多数です。

けれども、その満たされない部分を見つめて気落ちするのではなく、

小さくてもいいから、満たされている部分を見て感謝することで、

全体的な満たされ度が、錯覚であったとして上がるんじゃないか、と。

それは、きっと心にも体にも、とてもいいことなんじゃないかしら。

 

と、そういう気持ちで、感謝もしてくださいね、と言ってるわけなのですが、

そこはなかなか伝わりづらいところなんだろうなあ、と思います。

 

「感謝」という言葉は耳ざわりがいいし、反感を買うこともない、

使いやすく、便利な言葉です。

でも、他人に使うときは、押しつけにならないようにちょっと注意も必要かな、

とも感じます。

自分自身に使う場合には、戒めに使うのではなくて、

ああ、満ち足りている、

というよろこびを感じられる言葉であってほしいなあと思うのです。