京都 四条高倉の占庭から

自由と平和

本日の京都の予想最高気温、39℃ですって。

なんかもう甚だしい暑さですよ。

そんな中、知恩院さんにお参りに行ってきました。

朝から歩いて顔がドロドロになっても困るので、この季節はちょっと贅沢。

京阪三条駅からタクシーを奮発します。(というてもワンメーター)

今年も蓮がきれいに咲いていて、 写真を撮ったものの、

蓮の美しさよりも、陽射しの強さと暑さがより伝わるかと・・・・

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うーーーむ。相変わらずの写真下手。

 

お盆の帰省シーズンで、昨日から高速道路はえげつなく混んでるようですね。

毎年、この時期、ジャティックの道路交通情報を見ずにいられません。

来週は西日本に大型台風がやってくるようだ、ということもあってか、

前半に交通量が集中したのかもしれませんね。

今朝も渋滞の赤いラインがぐんぐん伸びていました。

午後になってからのほうがまだマシなようです。

けれどもそうなると、暑さがねぇ、、、、

いずれにしても、車で帰省される方は、どうぞお気をつけてくださいね。

 

8月、子どものころは、戦争関連の番組が増えるのがイヤでした。

暗くて、つらそうで、怖くて。

 もういいじゃないの、そんな昔のこと。

 戦争なんてもう起きないだろう。見たくないよ。

と思っていたんですね。

けれども、最近はもっと伝えていかないと、と真剣に感じるようになりました。

 

わたしの両親は、終戦時、小学4,5年生でした。

戦時中は子ども時代だったわけです。

それでも、周りの大人たちがどうだったか、生活がどうだったか、

そういう時代の空気感は、しっかり記憶している年齢です。

そんな年代の親たちは、戦争についてどう考えていたかというと、

「あんな悲惨なことは二度とあってはならない」であり、

「戦争がいかにむごくて、愚かなことか、誰もが身に染みたはず」だから、

さすがにもう二度と日本が戦争をするなんてことはないだろう、

というものだったように感じます。

なので、わたしも、また戦争へとつながるような時世には、

少なくともわたしや子ども世代の間には、至ることはないだろう、

と思い込んでいました。

 

けれどもここのとろ、それはすごく甘い希望的観測だったかもしれない、

と不安になるようなことが、続いています。

ほんとうに怖い。

怖いけれども、ただ恐れて、目と耳をふさぐのではなく、

NO!という意思表示と、戦争を選ばないためには、いまどうすればよいのかを

ちゃんと考えないとだめですよね。

 

以前読んだ、近未来小説のなかで、AIが支配する世の中になれば戦争はなくなる、

という話がありました。

AIが発達すれば、敵対するどちらものコンピュータが計算するわけですよ。

戦争になれば、どれくらいの損害があり、どちらに勝機があるのか。

その答えが出た段階で、合理的な落としどころをまた計算で出していくので、

戦争には至らないと。

AIにはメンツや、プライドや、意地はありません。

それらに流された間違った判断や暴走がないのは、悪くないな、とも思えます。

それならいっそAIがつくる社会のほうがいいのではないか、

なんて思ってしまったのですが、人間が思い描く理想の社会と、

AIの目指すところはおそらく同じではないでしょうしね。

というか、AIが地球を支配するようになったら、

AIは何を守ろうとし、何をつくろうとするんでしょうか。

なんてことを考えるのも、この世にSF小説があるからで、

それを読み、こうして文章にできる自由があるからですよね。

自由も平和も、当たり前にそこにあるわけじゃない。

先人のたいへんな努力や苦労の末にもたらされ、

幸運にもたまたまそういう時代に、わたしたちは生きている、

ということを忘れないようにしなければ、と思うのです。