京都 四条高倉の占庭から

占い師から「言葉を買う」ということ

鴨川の川床の撤去が始まっています。

金木犀が香り、見上げればすっかり秋の空になっているというのに、

気温だけがまだ夏のまま。

10月に入っても、半袖、サンダルで汗だくです。

心身にこたえますねぇ。

 

占庭が入っていますビルが、いま、水漏れしていて、お手洗いの照明が使えません。

大家さんが懐中電灯を置いてくださっているのですが、

昼間でもやっぱり相当暗いです。

修理まで、まだしばらく日数がかかるそうですので、

おいでになるお客さまは、できたら用を済ませていらしてください。

暗いお手洗いって、それだけでめっちゃ不安になるし、不便です。

ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。

 

今年は、なんだかとても忙しくなり、メールや電話での占いを

お休みさせていただいていました。

が、夏を越え、ちょっとゆとりが出てきたので、少しずつお受けしていこうかな、

と考えています。

メールや電話での占いは、見料を先に振り込んでいただいたり、

返事に数日頂戴することになるので恐縮なのですが、

もし、ご希望がありましたら、ホームページのこちらの [予約方法] から、

お問い合わせください。http://kyotouraniwa.web.fc2.com/03charge.html

またすぐに休止することになったら、ごめんなさい。

 

基本的に、情報量としてのコスパは対面占いが格段によいので、

わたしとしましては、どうしても対面占いをお勧めしたく、

お近くにお住いの方は、どうか占庭まで足をお運びいただきますよう、

お願いしたいです。

 

 

今日、こんなツイートが流れてきました。

 

カツセマサヒコ
 
@katsuse_m
 
八百屋で野菜を買うように、パン屋でパンを買うように、占い師から、言葉を買いにいく。そう考えると、「占い」は信じる・信じないではなく、自分専用の言葉を売ってくれる場所であり、人なのだと、気付かされます。

 

これは、実際に占い師に占ってもらった経験のある人ならば、

ああ、ほんとそう、っておわかりいただけると思うんですよ。

そして、それこそが対面占いの一番いいところなんですよね。

こんなふうに、大事なところを簡潔に、わかりやすく切り取って表現できる、

カツセマサヒコさん、すごいです。

 

個人を占うということは、その人のためだけの占いをするということです。

ゲストの言葉を聴き、占い、それぞれの占い師の言葉で答えていく。

ストンと腑に落ちることもあれば、そうでないこともあるでしょう。

そこで、

 当たるの? 信じていいの?

ということが気になるのは、もちろんわかります。占いなんですしね。

けれども、そこにとらわれすぎるのは、もったいない気もするんです。

 

友人でも恋人でも家族でもない人から、自分だけに発せられた言葉を味わう、

って、なかなかないことだと思うのです。

占いに行くというのは、言葉を買うというよりは、その経験を買いに行く、

のほうが近いかもしれません。

 

占い師は、言葉に対して真剣です。

適当にごまかしたり、マウンティングなんかしたら言葉は死んでしまう、

ということを知っています。

 

占いでお話しすることは、ひとりひとり違います。

だって、人の生き方は多様で、多彩ですからね。

誰もが唯一無二なんです。

そして、普段はさらすことのないコアな部分にも触れさせてもらえるのは、

わたしが占い師だからです。

この仕事を通して、わたしはたくさんのことを学びましたし、

それによって人生が豊かになったのは間違いありません。

占い師って、胡散臭いとか思われがちですけどね、実にすてきな職業なんですよ、

と言いたいです。