京都 四条高倉の占庭から

正義は不自由だ

今朝は早い時間のご予約がなかったので、出勤前に知恩院さんへ。

京阪電車祇園四条駅から四条通を東へと歩いていくのですが、

いつもは外国人観光客で歩きにくいほどの歩道もガラガラです。

南座祇園花月は休演。通りの路面店も、営業時間短縮の貼り紙があちこちに。

タクシーも空車が目立ちます。

 

知恩院さんは、9年も掛けた御影堂の大修理が完了していて、

4月の半ばから落慶法要が営まれる予定なんですけど、

どういう形で行われるのでしょうね。

こういう時だからこそ、仏さまのお力にもすがりたいところですが。

 

帰り道の参道で、ふわっといい香りが流れてきました。

沈丁花でした。

マスクをしていても気づかせてくれるのはさすがというか。

ほうっと気持ちが和みました。

いつも通りに暮らしているつもりでも、やっぱりどこか緊張してるんですかねー

ありのままであることが癒しになる。自然の力は、えらいもんですね。

すぐにバスに乗らず、歩いていてよかったです。

 

飲食店も、いまはお客さんが少ないのだそうです。

閉店してしまったら困る贔屓のお店に、足を運んでおきたいと思います。

みなさんもそうなさっては? とは言いません。

いまの世の中、誰もが「正義」の側に立とうとしているような気がしてなりません。

でも、「正義」って人によって違うところもありますでしょ。

みなさんもこう考えましょうよ、と促すのは悪くはないですけれど、

こうすべき! になるのは怖いです。

自分の正義、世間の正義を他人に押し付けたり、それで叩いたりするのは、

とても恐ろしい。

自分は正義の側に立っていると信じている人は、

違う意見の他人を断罪する権利をも得ていると勘違いしてしまうんですよね。

断罪する側にもされる側にもなりたくないので、

「正しくありたい」気持ちの強い人とは、近くなりすぎないようにしています。

お互い、いい距離を保っておけば大丈夫。

 

さ、今日の占庭もご予約が少ないので、いつもは混んでいるおいしいお店に、

お昼を食べに行ってきましょかね。