京都 四条高倉の占庭から

ウイルスと共生

昨夜、お風呂に入っていて考えたんですけどね。

というか、新型コロナが蔓延するようになってから脳裏をかすめてたのが、

ナウシカ腐海に入るときに、ガスマスクをしてた姿。

腐海であっても、あのマスクでOKってことですよね。

いま、新型コロナウイルスの特効薬とかワクチンとかの開発が、

世界中で進められていて、みんなが心待ちにしているところです。

そういうことって、特殊な知識や技能のある人にお任せするしかない。

どうかがんばってください、とお願いし、応援することしかできません。

でも、ナウシカのマスクみたいな防御するものの開発は、

もっと広い職種や技能を活用できるんじゃないかしら? ってことなんです。

もちろん、これは、わたしのくだらない妄想なので、

こいつアホやな、と思って読んでください。

 

今回のコロナ禍で、世界は変わるだろう、と言われていますよね。

ただ不景気になるだけじゃなく、経験したことのない転換を求められる、

というのは、なんとなく一般市民にも感じられます。

今後、コロナだけじゃなく、また違う疫病や、地球環境の変化などで、

いままでのようなごくふつうの生活は望めなくなるかもしれません。

その際に、疫病を退治する、環境問題を解決する、

では、どうにもならない事態も出来してくるんじゃないかと思うんです。

そう考えたときに、ナウシカのマスクが思い浮かぶわけです。わたしの場合。

いつの時代かには、高機能&オシャレな防菌マスクをみんな着けるようになるとか。

いやいや、マスクだけではだめかもしれなくて、

全身を覆う防菌スーツが開発されるとか。

そうなると、それがどれくらい快適であるか、カッコイイかが問題になります。

しっかり防菌しながら通気性は保たれてて、

いや、それどころか空調機能なんかついてたりするかもしれない。

いかにスマートに、自分らしく防菌スーツを着こなせるか、

なんて情報がファッションサイトで流れて、

人気ブランドが来年の春夏防菌スーツコレクションを発表したりしてね。

変化を受け容れるためには、そこに愉しみや文化やムーブメントがなくちゃね、

ってことで。

 

防菌スーツやマスクを使わないのであれば、どうするか?

飲食店や、劇場やライブハウスは、カプセル型のパーソナルスペースにする。

音声は聴こえて、コミュニケーションはとれるけれど、空間としては遮断されてる。

これはハラスメント防止にもなりそう。

飲み会や接待で、酔っぱらってなれなれしくボディタッチしたり、

無理に飲め飲めとお酒をついだりできないですもんね。

 おおお、これはいいんじゃね?

 

というようなことをお風呂上りに夫に話しましたら、

おもしろがるどころか、脱力とも落胆ともつかない表情で、

「オレはふつうに楽しみたいよ」

と言われてしまいました。

 

そんなことわかってるよ。

みんなそう願っているんだよ。

ね。