4月から2ヵ月休業してる間、いろんな方が生存確認の連絡をくださったり、
自粛要請解除が出るころには「いつから再開ですか?」と尋ねてくださったり、
ほんとうにありがたいことでした。
もうこのままお店をたたむ可能性もあるかも、と思っていたのですが、
やっぱりひとまずは再開して、今後がどうなっていくのかを見届けよう、
と気持ちが強くなりました。
みなさまには心から感謝しています。
6月2日火曜日から占庭の営業を再開いたしますが、当面は、
① その日のご予約のお客さまが終了しましたら、早じまいします。
② 前日までにご予約がおひとりもいらっしゃらない場合は臨時休業とします。
という具合にやっていこうと思っています。
ですので、お手数ですが前日までにご予約いただき、マスク着用で、
おいでくださいますようお願いいたします。
勝手を申しましてごめんなさい。
さて、本日のタイトル「コンテンツ」についてです。
わたしはツイッターで、興味のある方を広範囲にフォローしています。
占いに限らず、「おもしろい!」「かわいい!」「なるほど!」「それはいい!」
などを集めているわけですが、たのしいです。とっても。
そのたのしいなかで、うーーむ、、、、と考えたことが、
この「コンテンツ」ってことなんですね。
フォローし始めたころは、それほどたくさんのフォロワーさんがいなかったのに、
ちょっとしたキッカケから、爆発的にフォロワーさんが増加した、
という方が、いままでに何人もいらっしゃいました。
最初はね、うれしいんです。
そうなの! みんなもわかってくれたのね! っていうファン心理で。
だいたい、フォロワー数が4桁くらいまではそういう気持ちでいられます。
だけど、5桁、6桁となっていくと、そのアカウントは、
元々の「人」が見えなくなっていくことが、ままあります。
それくらいのフォロワーを集められるとなると「ビジネス」にしませんか?
という話も出てくるんだろうなと思うんですよ。
それは、ちっとも悪いことではないし、そもそもがそのために始めた方だって、
たくさんおられると思います。
フォローし、応援していた人が、そうして”成功”されるのを見るのはうれしい。
ところがですね、ビジネスになっていくと、その人が気分のままにツイートする、
ということがしにくくなっていくんでしょうね。
ビジネスに結び付けてくれた誰か、どこかの意向を汲んだり、
激増したフォロワーさんの期待にそうように、嫌がらせや中傷に遭わないように、
と配慮したツイートに変わっていくのが、淋しく残念で。
それはもうSNSの宿命っちゅうか、しょうがないことなんだと思うんですよ。
だけどね、そうなると、その人はもう個人ではなくコンテンツになってしまいます。
結果、興味関心は急降下してしまい、そっとフォローを解除することもありました。
もちろん、コンテンツになっても、魅力が衰えない人もおられます。
また、どんなにフォロワーさんが増え続けても、ビジネスに寄らず、
ひとりひとりに誠意を尽くそうという方もいらっしゃったのですが、
それはそれで、くたびれが見えて心配になってしまうこともありました。
いまは「イイネ!」の数で、ウケているかどうか、
流れをつかんでいるかどうかがわかる世の中です。
その「数」で見えるというのが、良し悪しなんですよねぇ、きっと。
数は一過性&流動的です。
一度、数をつかんで認知されたら、それを保ち続ける「期待」という枷を
はめられてしまう、もしくは自分ではめ込んでしまうこともあるのだと思います。
みんなから求められ、認められ、褒められるコンテンツになることは、
素敵なことなのかもしれませんが、それを継続させていくことで、
自分の言動を測るものさしが、気まぐれな他人のものさしに取って代わられることも
ありそうに思います。
そうならずにいられる人は、自分も周りも客観的に測れるものさしを
芯に持ってらっしゃる、ということなのでしょう。
こういう時代にあって、うまくコンテンツを使いこなせる人、
もしくは逆に、望まれるコンテンツの枠に収まらない人が、
浪費されず、風潮に左右されない魅力を放ち続けられるのかなと思います。
コンテンツになるには、才も運も必要です。
それはとてもすごいことだけど、わたしはあんまりうらやましく思えないんですよ。
なんだかたいへんそうだなあ、と思ってしまうので。