京都 四条高倉の占庭から

「占いはなぜ当たるのですか」

台風10号が通り過ぎました。

九州方面のみなさま、ご無事ですか?

こちら関西でも、時折、強風が吹いたり、ザっと雨が降ったりと

不安定な空模様が続いています。

地盤の緩んでいるところも多いと思います。

どうかどうか今しばらく、ご用心くださいませ。

 

先日、鏡リュウジさんの『占いはなぜ当たるのですか』を読みました。

鏡さんが31歳だった1999年に書かれたものです。

そんな若いころにお書きになったとは信じられないほどの、

隙のない、完成された持論を展開されていて、

タイトルの問いに対する答えも、非常にクレバーで美しいものでした。

ただただ、すごいなあ~ と感心しまくりながら読み終えたのですが、

ふと、そもそも占いが「当たる」ってどういうことなのだろう?

という疑問が湧いてきたのです。

 

わたしも見料を頂戴して占っていますので、その占いが当たらないと、

それはやっぱりお話になりません。

ですので「占いは当たる」が、前提なわけです。

けれども、占いと予言は違うものなので、

「言い当てる」ことばかりが当たる占いというわけではないだろう、

と考えているところもあるのです。

 

占いは当たるものだというお考えの人は、占いを信じている人で、

占いなんて胡散臭いものだというお考えの人は、占いを信じていない人、

ってことですよね。

ここ半年の間、新型コロナについて、いろんな情報や憶測が

入り乱れて飛び交いまして、誰もが翻弄されました。

そして、その間の世間や、身近な人たちの考えを聞いてきてよくわかったのが、

「人は、自分が信じたいものを信じようとするんだな」ということでした。

占いも同じだなあ、と思うんですよ。

占いを当たるものと思いたい人は、聞いたり読んだりした「占い」の中に、

なんらかの啓示的なメッセージを見出そうとし、

現実の日常や心情と相通じるものを当てはめようとされます。

占いを当たるものとして楽しみたいからですね。

 

占いアンチの方も同様に、占いなんて当たらない、ということを信じてらっしゃる。

そんな根拠のない、非科学的なものに左右されるのは滑稽だと思われるのでしょう。

強烈なアンチの方は、占いは人を不安に陥れることもあるとか、

人生を狂わされる人だっている、と憤りや不安を露わにされる場合もあります。

そうですね。

実際に、かつて占いで身を滅ぼしてしまった人もおられたのでしょう。

けれどもそれは、おそらくごく少数の、特殊な占い師によるものではなかったか、

と思いたいところですが。

 

いずれにしても占いは生活に必須なものではないですし、占いを当たるものとして、

信じる・信じないは、個人のお考えで、どっちだっていい、と思っています。

そもそも、わたし自身は、占いが「当たる」かどうかということを

それほど重要視していません。

(いい加減に占ってるってことじゃないですよ。真剣にやってます。)

それに、ゲストの方だって、占いだけでものごとを決められるなんてこと、

ないですしね。

 

雑誌やネット記事などで「今月の〇月生まれの運勢」的なものを読むときって、

今月の自分のムードみたいな、ふわっとしたものを読み取ろうとしますよね。

何かを期待したり、励まされたり、時には気分を引き締めたり。

が、よほど印象的なことが書かれている場合以外は、すぐに忘れてしまいます。

それでもつい読んでしまう、というのがそういう占いの楽しみ方。

 

一方、個別の占いはまったく趣向が違います。オーダーメイドですのでね。

こちらは、ゲストの方が、自分のことを話される、というのが一番の違いです。

ご自身の状況、心境、不安、願望、計画などをまずお聞かせいただきます。

時には、怒り、悲しみ、後悔、戸惑いなどのお話を伺うこともあります。

それらのお話を聴いた上で、ではどういう占術を使って、どういった占い方をし、

どのようなお話をお伝えすることができるのか、を占い師は考えます。

 

けれども、占いの話に至る前の時点で、ゲストの肩の荷が軽くなることは、

ままあります。

先日も「予約しただけで、もうだいぶスッキリしてたんです」と

来られた時にはすでに明るい表情になってらっしゃった方がおられました。

話をしている間に、気持ちの整理ができて落ち着かれ、

占いがオマケみたいなものになる場合もよくあるくらいで。

 

いま抱えている、このやり場のないキモチを誰かにぶちまけたい、

と思ったとき、

< 誰でもいい むしろ全然知らない人に話したい > という人もあれば、

< ある程度自分のことを理解してくれている人に聴いてもらいたい >

という人もあります。

同じ占い師をリピート利用される方は、後者ということです。

どちらにしても、持ち重りのする感情や、どうしようもできない状況などを

誰かに話すことでちょっとラクになる、ということが、

個別の占いの大きな効用なのだろうと思います。

「当たる」ことが第一というわけではないというのは、そういうことなのです。

 

とはいえ、やはり占いは「当たる」前提でないと成立しないのもたしかですしね。

わたしは、「当たる」たびに「占いって不思議ですよねぇ~」

とお客さまと一緒に驚いてしまう、ちょっとおかしな占い師ではありますが、

これからもよい占いができるよう精進したいと思っています。