京都 四条高倉の占庭から

筒いっぱい

ありがたいことにお客さまの多い日が続いていまして、

忙しく過ごしていました。

やっぱり「TVで占いしてるのを見て行ってみたくなって」とおっしゃる方が多く、

「対面占いは初めて」という方が大半です。

そういった方がなぜ「占いの館」的なところではなく、占庭を選ばれたのかは、

ホームページをご覧になって、あやしくなさそうと判断されたのか、

見料が安いので、試しに行ってみるにはお手軽だったのか、

ネットのクチコミサイトなどを参考にされたのか、

だいたい、そのあたりだと思います。

楽しんでお帰りになる方もあれば、抱いていた「占い」のイメージとはズレている、

とお感じになる方もおられると思うのですが、それもご縁のものといいますか、

そこも含めて当たりハズレがあるのが占いというものなのかもですね。

 

 

「筒いっぱい」という表現をお聞きになったことがありますでしょうか?

わたしが聞いた際には、

「あの人はすぐに筒いっぱいになりはるから」という表現ででした。

キャパが小さく、すぐにいっぱいいっぱいになり、余裕がなくなってしまう、

という意味合いで使われていました。

 

けれど、「筒いっぱい」で検索してみると、

<兵庫の方言>

精一杯。

  • つついっぱい頑張れよ
  • (精一杯頑張れよ)

というほか、「ギリギリ」「目一杯」という意味もあるようでした。

 

なるほど、意味としては似通っているけれど、微妙に違う、って感じですね。

今日、ここで書きたいのは、わたしが聞いたときの意味合いでのことなので、

どうか、そのようにお含みおきください。

 

この「筒」について、いろいろと考えてみました。

ひとの精神的なキャパ、もっと言うなら、許容量ってことでしょうか、

それを「筒」と言い表しているとしますね。

その「筒」は、もちろん人によって大小があるとは思うのですが、

大きさ自体は、そんなに差はないんじゃないかと思ったりもするのです。

そりゃあ、たまにものすごく器量の大きな、度量の大きい人っていうのは

実際、おられます。

けれども、めったにお目にかからないですよね。

そういう規格外の人を除外したならば、ひとの筒の大きさなんてのは、

もしかしたら誤差の範囲なのかもしれません。

むしろ、大きさよりも、その「筒」自体の弾力の差が大きいんじゃないかなあ、

と思います。

 

通常のときは、一般的な大きさなのだけれど、

どんどんモノが入ってきたときには、筒がぐぅんと広がって持ちこたえられる、

みたいな。

何事にも共通していることですが、同じ形を保つ固さやマジメさも大切だけど、

柔らかくしなやかであることも大事。

そして、そのほうが強いです。

「筒」はタケカンムリだし、青竹のイメージがしますよね。

竹の筒は、ふくらんだりしぼんだりはしないもの。

でも、それがシリコンだったら、ゴムだったら、と考えてみたらどうでしょう。

 

精神的に追い詰められて、もうパツパツ、筒一杯だ~

と感じたときに、

実は、この筒はシリコンでできてるのよ、ふっふっふ、

と心の中で唱えてみると、一時的に伸びて変形はするけれど、

中身をあふれ出させてしまう事態を阻止できるかもしれません。

その後、また元の形に戻るためにも、弾力としなやかさが重要で。

ゴム風船のように、どこまでも薄く伸びてキリなく膨らんでしまったら、

いつか破裂してしまいますしね。

そうなると取返しがつきません。

際限なく受け容れることは誰でもムリ。

自分で扱えるキャパを把握して、柔らかくありたいわけですが、

この塩梅がとても難しい。

まずは変形を恐れず、少しずつ伸びる練習をしていけたらなあ、と思います。