京都 四条高倉の占庭から

自信はないが気位は高い問題

立冬です。

本格的な紅葉はまだこれからですが、冬が近づいてきているということですね。

ベランダには、毎年恒例の夫の手による干し柿が吊るされ、

ああもうそういう季節かあ、と感じます。

なかなかいい風景です。

先日、ちょっと遠出をしましたら、寒冷前線が南下するタイミングにぶつかり、

小雪が舞う、路肩に雪の積もる山道を運転することになってしまいました。

外気温は2℃。

交通量の多い道で凍結の心配はなかったのですが、さすがにハラハラしました。

無事に帰れてよかったです。

そして、昨日は、インフルエンザの予防接種も完了しまして、

少しずつ冬支度が進んできています。

 

占庭は、11月に入り、忙しさが一段落しまして、こうしてブログを書こう、

という気持ちにもなれました。

書けない間、ずっと考えていたのが「自信はないが、気位は高い問題」です。

どういうことかといいますと、

・自分には何の才能も取り柄もない。

・何かをやれそうな自信が持てない。

という自己肯定感のなさと、自己評価の低さを切々と訴えられつつ、

・自分はひどくないがしろにされている。

・もっと大切に扱ってもらいたい。

ということも並行して訴えられる方がとても多いなあと感じていて、

そう考えることでご自分を苦しめてらっしゃるようにも思えたのです。

 

自信は持てないが、人として尊重はしてほしい。

それは当たり前のことですね。人は誰もが尊重されるべき。

そして、気位が高いというのは悪いことではありません。

プライドがその人の背骨になり、まっすぐ立たせている場合も少なくないです。

自負心、自尊心はとても大事。

しかし、その気位が周りを否定したり、攻撃してしまうのならば、問題です。

いろんなお話を聴いていて、ちょっとした違和感、引っ掛かりを感じる場合は、

その、否定や攻撃がチラリと覗くときだなとわかってきました。

 

 自分は何もできない=何もしない=だから誰も傷つけない

 誰も傷つけない自分を傷つける人がいるのはおかしい=もっとやさしくされるべき

 

という感じでしょうか。

ちょっといじわるな言い方に感じられたらごめんなさい。

この「自分に自信を持てない」ということと、「もっと大事にされたい」を

セットにしてしまうのがまずいんじゃないかなあ、と思うのです。

 

生まれついての才能で成功している人は、ごくごく少数、というか、

どんな才能の持ち主でも努力なくして成功はないだろうと思えます。

才能や取り柄がないから自信が持てない、というのは別のお話ですよね。

自信は、練習や失敗など実践することで経験値を上げていくことでしか、

身についていかないものです。

才がないから何もできない、しない、というところで止まっていたら、

自信は永遠に持てないだろうと思います。

誰だって失敗はしたくないものですが、失敗を恐れて何もしなければ、

前進も望めないということになってしまいます。

 

できそうなことから始める、失敗したらがんばって修正する、

周りの人に助けてもらい、いつかは助けてあげられるようになろうと思う。

助けてもらったり、助けることを「迷惑をかける、かけられる」

と思ってはダメですね。

もしかしたら、その一線を踏み越える勇気と覚悟が、

一番のポイントなのかもしれません。

そこは誰でも怖いし、助けてもらうのは恥ずかしいとも感じてしまうわけですが、

なんとか突破したいところ。

 

自分なんて何をやってもダメだから、と傷つかない安全地帯に退避せず、

等身大でできることから始めていき、周りの人を大事に扱い、貶めないこと。

それは、ご自身の品位を高めることになると思うんですよね。

不思議と品位というのは伝わりやすい。

マウンティングを取るのは、気位を満足させることでしかありません。

自分と周りの人を大切にすることは品位を上げる元だと思います。

どうぞご自身も含めて、ないがしろにせず、品格を上げていきましょう。

 

あ、それともうひとつ。清潔感。

すっきり、小ざっぱりしている人は、それだけで品よく感じられます。

印象も大事ですもんね。