京都 四条高倉の占庭から

かわいいおばあちゃんに

各デパートがしのぎを削るチョコレートシーズン、ですが、

今年はさすがに特設チョコレート売り場に人が殺到、

みたいなことはないようです。

例年のような試食もできないでしょうしね。

しかしまあ、ひとかけ何百円(千円以上のものも!)もの高級チョコよりも、

リンツのリンドールのほうが断然おいしい、と思うわたくし。

四方八方チョコレート! という売り場を見て回る楽しみのほうが

大きかったのかもしれません。

 

占庭には親子やきょうだいで来られるお客さまも、結構おられます。

母娘だけではなく、母息子、兄妹ということも。

仲のよい母娘さんの場合、

「かわいいお母さんだなあ」

感じることが多いです。

娘さんのお話の中でも「ウチのお母さん、かわいい人なんです」

ということをお聞きすることは、ままあります。

他人から見てそう感じることはあるにせよですね、

子どもから親を見て「かわいい」と思うポイントってどういうところなのか、

イマイチわからないよなあ、と思っていました。

 

先日も、娘さん(リピーターさん)と一緒においでになったお母さんが、

「占い、初めてなんです。緊張します~」

とおっしゃっていたのですが、占い始めてからのリアクションも新鮮で、

とてもたのしくおしゃべりできました。

お帰りになるころにはすっかりリラックスされていて、瞳もキラキラで。

そうか、かわいいお母さんって、まさにこういう人なのね、

と思ったのです。

 

甘え上手とか、親らしくなくていつまでも年を取らない子どもみたいとか、

ドジっぽくてかばってあげたくなるとか、そういうんじゃないんですよね。

要するに、見る側が、他人だろうが、子どもだろうが、

年齢や、職業や、見た目なんかも関係なく、

「かわいい人だなあ」と感じるフレッシュさがある、ってことですよ。

でもって、ちょっとだけ危なっかしいところもある。

うん。言葉にしたら、なんてことない当たり前のことですね。

 

その時に、あ、わたしにはムリだ、と思いました。

ちょっと、子どもから「かわいいお母さん」とか思われてみたいとかね、

わたしも考えてみたりしたんですよ。

そういうの、なんかうれしいじゃないですか。

だけど、どう考えても、わたしに、かわいい親要素はない、

ということを痛感しました。

あんなかわいいお母さんには到底なれへんもーん。

 

で、ですね。そこで考えたんですよ。

年取ったら、口うるさい、憎々しいばあさんになるんじゃなく、

かわいいばあさんになりたいもんだ、とか、よく言いますでしょ。

あれね、年取ってからかわいくなろうとしても無理なんちゃうかな、って。

元々、かわいい人要素がなければ、かわいいばあさんにはなれないでしょ。

 

愚痴不満の多いいつも不機嫌な人や、マウントを取りたがる人はもとより、

自分がガマンすれば丸く収まるからと感情を抑制する人、

周りに迷惑をかけてはいけないという責任感の強い人、

正しくありたい正義感の強い人なども、年を取ってかわいくなった、

とはなりづらいんじゃないかと思ったんですね。

かわいいおばあちゃんになりたいと思うのならば、やっぱり、

中年期にはかわいいおばちゃんになってないと難しいかもなあ、と。

 

いますでに、かわいいおばちゃんになり損ねているわたくしはですね、

せめて陽気でほがらかなおばあちゃんを目指そうじゃないか、

と思うことにしました。

ええ、キッパリ、かわいいはあきらめました。

いまからそういう人相をつくるべく、何事も悩みすぎず、

できるだけ笑顔で過ごすようにしようと思います。

今日の先に、未来はあるんです。

ひとつひとつの上機嫌の先に、陽気でほがらかなおばあちゃんがあると信じて。