京都 四条高倉の占庭から

正義は難しいです

今年は記録的に早い梅雨入りで、正直にここのところ雨が続いています。

こんなに早く梅雨に入ったら、あっという間に夏やん、

すぐに台風がやってくるやん、

と思ったのですが、梅雨明けは平年並みという予報なのですね。

そうであれば長雨が心配になってきます。

どうか災害が起きませんように。

そして、農作物がちゃんと育ちますように。

 

先日「ドローンで屋根点検」というチラシが入っていまして、

なるほど~ と唸りました。

高齢者へ向けてのワクチン接種の予約をネットでせよ、

という時代だけのことはありますね。

 

占いのお店をしていますと、通常の生活上では接点がないはずの方と知り合います。

いろんな職業の方の仕事のお話や、とても裕福な暮らしをされている方のお話も

お聴きします。

知らない世界を垣間見て、へぇ~~~~ そんなことが、

と興味関心を満たされることもあれば、

勉強になったり、考えさせられることもたくさんあります。

それで、いつも「人それぞれだなあ」というところに帰着します。

 

頭では、人はみんなそれぞれの思いがあり、考えがある、

とわかっているつもりでいるのですが、それらを予想外な形で提示されると

動揺して、言葉に詰まる場合もあります。

それはちょっと受け容れにくいな、というお考えであったとしても、

即座に否定することはできないので、ひとまず心の中にある、

 

 そうかあ。そんな考えもあるのかあ。

 

という引き出しに入れることにします。

もちろん、時には、

いやいやいや、それはあかんでしょ、いくらなんでも、、、、

と言いそうになる場合もあるのですが、

自分の「良心」や「正義」と占いを混ぜてしまうことはご法度ですし、

占い師が断罪するなんてことはおこがましすぎますしね。

けれども、そういう場合、やっぱり肯定するわけにもいかず、

 

 そうですか。あなたのお考えはそうなのですね。

 

というところで立ち止まるしかない。

それが正しいとか、間違っているとかは言う立場にないし、

伝える必要もないと思っています。

ゲストは占い師に常識的なことを言われたり、ましてやお説教されたいなんて

求めてらっしゃらないはずです。

こちらは見料を頂戴してお話ししているわけですし。

ですので、わたしは「占い的にはこうですね」というお話をします。

タロットカードを引いたなら、出てきたカードそのままの意味を伝えます。

ゲストの気持ちを正すような脚色を加えることはしません。

占い師の良心において。

なんていうとカッコつけすぎかもしれませんが、ギリギリ正直でいたい、

ってだけのことでもあります。

もちろん、話の延長線で、わたしの個人的な意見を尋ねられた場合は、

誠意をもって思うところをお話しします。

 

でもね、それでお気持ちを変えられる人は、このままではマズイだろう、

ってことをもうよくわかってらっしゃる方なんです。

占いのお客さまに限らず、大半の人は、自分の考えを信じたいし、

肯定してもらいたいと思っていますよね。

それが無体なことであったなら、膨大な言い訳を考えたり、

周りの誰彼の同意をかき集めねばなりません。

そうすると、どんどん視野が狭まり、排他的になっていきます。

結果、諭してくれる人も失い、いつの間にか孤立無援になっていた、

なんてことはよくあることです。

 

「これはマズイかも」と思ったときに、立ち止まったり、違う考えも容れてみる、

ということが、人の器とか品格につながっていくんだなあ、

と感じることも多いです。

自分で考えることができる。そして、違う考えに対してやわらかくある、

って難しいけど大事なことですね。

 

タロットカードには「正義」というカードがあるのですが、これが難しい。

カードの意味としては「正義は正しい」「正義が勝つ」みたいな単純なものですが、

Aさんの正義とBさんの正義が同じではなく、どっちも間違っていない、

ということはままあります。

人対人ではなく、国対国、というふうに考えると、もっとわかりやすいですね。

カードリーディングの際、この正義のカードに詰まってしまうことは多くて、

そのたびに、正義というものが、どれだけ難しいものであるかを

突きつけられるような思いがします。

そして、自分の正義なんてのは危ういものだなあと、ため息がもれたりするのです。