京都 四条高倉の占庭から

じかにふれること

昨夜から少し涼しくて、今朝はちょっと雨も降り、ほっとしています。

晴れ女で、極端な雨嫌いなわたしですら、ほっとするくらいなので、

よほどの暑さと乾燥だったのだろうなーと思います。

雨は遠くの台風の影響からなんでしょうか?

迷走している台風、さて、どう進んで行くのでしょうね。

 

8月は「ダリ展」と「ギリ展」に行きまして、『シン・ゴジラ』も観たし、

穂村さんのトークイベントにも行って、オフ大充実の月でした。

こうして好きなものを観て、楽しめて、ほんとにありがたいこと。

先日来の謎の腰痛も癒えてきて、健康にも感謝でありますよ。

ふつうに歩けるって、ほんとにすごいことなんだなーと。

痛い目にあわないと実感できないのは、情けないことですけれどね。

 

「ダリ展」「ギリ展」どちらもとてもよかったのですが、

この美術展に行く、ということが好きです。

初めて美術館に行ったのは、小学5年生の時。

倉敷の「大原美術館」でした。

担任の先生の個人的趣味だったと思うんですけれど、

大原美術館所蔵作品をスライドで見る授業がありまして。

(あ、もうこのスライドなんて死語かもなあ・・・・)

そこで、初めて「絵画を観る」疑似体験をしたわけです。

それまで、図工は苦手だし、画を描いても下手くそで、

まったく興味がなかったんですが、この授業はワクワクしました。

自分が何にこんなにワクワクしてるのか、さっぱりわからなかったんですが、

それでも「本物を観たい!」という気持ちがぐんぐん高まってきて。

それこそ、まったく興味のない親に頼んで、連れて行ってもらいました。

 

連れて行った父は、やっぱり「何がええねん?」な感じでしたが、

わたしはもう感激してしまってねー

もちろん、どんな絵画がどう素晴らしいのかなんて、わからないんですよ。

だけど、惹かれる作品とそうでない作品があって、

直に見ることでしか感じられないことがある、ということは、

子どもにだってわかったんでしょう。

それ以来、美術好きになりました。

相変わらず図工はダメだったけど、それでも好きだと思えるようになって。

画がうまくなくても、何を作っても不恰好であっても、

美術を好きになることはできるんですよねぇ。

 

ひとりであちこち出掛けられる年齢になると、いろんなところへ行きました。

楽しくてたまらなかった。

両親は「お前は変わってる」としか言いませんでしたけれどね。

そうしてみると、こういうのって、遺伝とかは関係ないのかな。

 

いまでも、美術館、博物館は大好きですが、

正直に申しまして、現代美術にはさっぱりわからないものもたくさんあります。

良い悪いなどはないと承知しながらも、自分の中で評価のしようがない。

「わからないからつまらない。見てもしょうがない」

と言う方の気持ちも、とてもよくわかります。

だけど、わけがわからないなりに、圧倒されたり、感動したりもするもので。

時には不快になる場合もあったりしますが、それも含めて「表現」なのでしょう。

なので、一観覧者としましては、好きか嫌いか。

単純に好悪でいいんじゃないかと思っています。

それを快と感じるか、不快と思うかですね。

それは音楽も同じで。

わたしは楽器も歌もやらないけれど、ライブに行くのは大好きです。

やっぱりジャンルにはこだわらず、そこに胸打つものがあるかどうか、

なんですよねー

どちらも、直に本物に触れる、っていうのが重要なんです。

それから、他人の好みにケチをつけてはいけないということも大事。

感性の領域というのは、ほんとに人それぞれですもんね。

観覧、観劇、鑑賞の他、音楽フェスに行ったりするのも、

世の中にあふれている雑多な中から、自分の感性に響くものを見つけたり、

自分なりの選別作業をしに行ってる、ってことなのかもしれません。

うん。それ、楽しくないはずがないですよね。