京都 四条高倉の占庭から

子を思う親心はいくつでも同じ

今年は長く桜をたのしめるなあと思っていたのですが、

過ぎ去ってしまえば、ほんのひと時だったなと感じますね。

もう山は新緑の美しい季節に移り替わろうとしています。

 

先日、お子さんを出産されて間もないお客さまとお話しました。

以前からのお客さまなのですが、初めてのお子さんを占ってほしいということで。

きっと思慮深く、家族思いに育たれるのだろうなあ、

と思える命式のお嬢ちゃんのお話をしながら、グリム童話を思い出していました。

王女誕生のお祝いに招かれた、白い魔女たちはこんな気持ちだったのかも、って。

そして、いまからどんなお子さんになり、どのように成長していくのか、

親として、どのように接していくのがよいのか、考えてらっしゃるって、

愛だなあ~~~ と感じて、こちらもほんわかしあわせな気分になりました。

 

その数日後には、初占いの高校生の娘さんにお母さんが付き添いでいらしたり、

高校生の息子さんの進路の相談にお母さんがおいでになったりと、

お子さんを思う親御さんのお客さまが続きました。

占庭には、90代のお客さまが3人いらっしゃるのですが、

その方々は、みなさんいつも子どもさんのことを心配されています。

90代の方のお子さんなので、もう60代、70代です。

それでもやっぱりご心配なんですよね。

乳児から、現役をリタイアされた年配の人まで、親御さんから見れば、

同じ「子ども」なのですね。

 

そうしてみると、子育てには終わりなんてないし、心配の種は尽きません。

いつもお子さんのことを占っていて思うのは、

「一生懸命育ててこられたんですし、お子さんを信じてあげましょうよ」

ということです。

親の愛情という名の「心配」は、親御さん自身の「安心したい」気持ちの表れ、

ということが少なくありません。

ひとまず自分が安心したいために、

・進学してほしい

・結婚してほしい

・結婚相手はマトモ(自分の価値観において)であってほしい

・正社員で働いてほしい

など、リスクの低い堅実な道を選んでほしいと願っておられる人の

なんと多いことでしょうか。

 

そうですよね。

危険は避けてほしい、という気持ちはようくようくわかります。

元気でしあわせでいてほしい、というのは親の共通の悲願ですものね。

けれども、安全と思える道から外れた道を行くことと、不幸になるのは

同じではないですよね。

そう、それもだれもわかっているんです。

けれども、自分の子になると、わかっちゃいるけれど、、、、になってしまう。

 

円満な親子関係は夢です。

特に親にとっては。

そのためには、手や口を出さずに待つ、信じて見守る、心配しすぎない、

が大事なんだなあ、といろんな親子さんを見ていて感じます。

親も自立しないと、子も自立できません。

お互いが依存せず、それでも思いやり合っていけたら、

こんないいことはないなあ、と思います。

子育ては難しいですね。

きっと正解なんてないのだと思います。

自分なりに考えて、向き合うしかありません。

親は親として尊重し、子は子として尊重する、

これができてたら十分なんじゃないかな、と。

まだ現役の子でもあり、親でもあるわたしは、

そのあたりを目指したいなあと思っています。

 

親離れも子離れも、放棄するわけでも疎遠になるわけでもないのですが、

親離れ、子離れっていうと、すぅすぅするような淋しさを感じてしまいます。

けれども、それもお互いの自立のためですしね。

いろんな淋しさを胸に抱きながら生きていくのが人の道なのかもなー

なんてちょっとセンチな気持ちにもなったりします。

 

と書いて、いまの若い人に”センチ”とか”おセンチ”とかわかるのかしら、

と思ってしまいました。

えっと”センチ”ってね、センチメンタルのセンチなのですよ。

40歳は「不惑」?

今年はだんだん春になったという感じがしないんですよねぇ。

わたしだけがそう感じているのかもしれませんが、

徐々にいろんな花が咲いていくのではなくて、一斉に咲いた! 

っていう印象なんです。

桜も早くて、もう満開。

今日の雨で散り始めることでしょう。

 

これは四条通から見た今朝の木屋町の桜です。

曇天の下で、写真ではイマイチな感じですがキレイでした。

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3月の10日あたりから、京都は人出がどんどん増えてきて、

占庭も忙しくなり、なかなかブログも書けませんでした。

(久し振りのブログ更新で長文です。すみません。)

 

緊急事態宣言って、そこそこ効力があったのだなあと思いますね。

自粛しなくっちゃ、という方がそれだけおられたということですし。

宣言が解除になってから、タロットレッスンの生徒さんが増えました。

だいたい春は、何かを始めたくなる季節でもあるんですよね。

 

今日はお若い方には、え、そうなの? と思われるかなというお話をしましょうか。

20代、もしかしたらもっと若ければ若いほど、年齢に対するこだわりがあります。

25歳くらいにもなれば「もうBBAだから」と自虐される。

BBAというのは「ババア」ということなんですね。

そして「30までに結婚したい」などとおっしゃる。

若い人ほど年齢の数字に囚われてらっしゃるんだなあと感じます。

 

はっきり申しましょう。

若いということはすばらしい。

お肌もぴちぴちだし、髪もツヤツヤです。

それは加齢とともに必ずや衰えていくものであるのは、間違いないこと。

けれども、若くて価値のあるものは、それくらい、ということでもあるのです。

 

30歳になり、40歳になったときに、よくわかります。

肉体的なもの以外に衰えるものはないということが。

そうすると、20代、30代で早くもBBAと自虐するなんて、

どれくらいナンセンスであほらしく、くだらないことか。

ほんまにもったいなくてしょうがないわ、と言いたいです。

 

なのでね、どうか若い方は、いまの若さを誇ってほしい。

若いときしか誇れないものは、その時に思う存分誇るべき。

そして同時に、若さを失うことを恐れないでほしい。

肉体的には老化していくのはしょうがないとして、

年齢を重ねて豊かになっていくものも、思いのほか多いのでね。

 

占いをしていてよく思うのですが、40代はナマグサイです(笑)

20代よりも30代よりも。

生臭いというのは、言葉は悪いかもしれないけど、悪意ではないんですよ。

まだまだ枯れるわけないし、野望もあれば、責任も重くなる。

そして、老いに対する不安もそこはかとなく芽生えてくる年代です。

自分の人生もう折り返し? もしかしてもう折り返した?

このままでいいのか。自分の選んできた道でよかったのか。

方向転換するなら、生き直すのならば、いましかないんじゃないか。

不惑」なんていわれますが、実際はもしかしたら一番惑うお年頃なのかも。

 

で、不惑について検索してみましたら、こんな説明がありました。

 

「不惑」は年齢?正しい意味と使い方!由来の論語や他の年齢についても解説! | WURK(旧英語部)

わたしは15歳にして学問を志した(=学問で身を立てる決心をした)。

30歳にして独立した(=自分なりの考えをまとめて独立した自説が持てた)。

40歳にして迷わなくなった(=あれこれと迷わずに自由に物事を見ることが出来るようになった)。

 

https://eigobu.jp/magazine/fuwaku#:~:text=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%83%91%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%82%8F%E3%81%8F,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

なるほど。

生き方に迷うのではなくて「迷わず自由に物事を見ることが出来るようになる」

という不惑だったんですね。

何ものにも惑わされなくなる、みたいな悟った感じでは全然なくて。

それならば、合点がいきます。

自由に物事を見ることで、まだ自分にも「いろんな可能性がある」ということに

気づく、ってことなのかもしれませんね。

そうかあ。

だからちょっとなまぐさいのか(まだ言うか!)。

 

でね、50歳以降の説明もこう続きます。

50歳にして天命を知った(=天が自分自身に与えた役割・使命を悟った)。

60歳にして人の言葉に耳を傾けた(=何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった)。

70歳にして心に従って振舞っても道を外すことがなくなった(=自分の思うままに行動をしても人としての道理を外れることはなくなった)。

 

わたくし、とてもこうなれるとは思えずですね、こうありたいものだ、

と思うのがせいぜいです。

 

そして、自分のことはさておき、70歳。

キレる老人やセクハラ発言などで物議をかもしている80代の人などを見ていると、

70歳がこんなに立派って、マジ?

と思ってしまうわけですけれどもね。

 

その手前の60歳に今年なる身としましては、

60歳にして人の言葉に耳を傾けた

(=何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった)」

まずはこの境地に至れるようにならねば、と心しておきます。

恋愛スイッチ入っていますか?

2月末、占庭の近くのパン屋さんや、かに料理屋さんが閉店になりました。

去年閉店したドラッグストアのあとは、空き店舗のままですし、

錦市場も、四条通も、祇園あたりにも空き店舗が出ています。

そりゃあ、あれだけ歩いていた外国からの人たちがパッタリ途絶えたのですからね。

お商売が苦しいのもよくわかります。

そんな中、先日オープンしたばかりのフルーツサンド屋さんが賑わっているのは

明るいトピックで。

包装もとってもオシャレで、いわゆる映えるサンドイッチなんですよ。

 

さて、今日は久し振りに、占いの話を。

”恋愛体質” かどうか、って話題が結構よく出るのですが、

持って生まれた星の特徴で、そういうタイプかどうかはだいたいわかります。

が、そもそもどういう傾向を恋愛「体質」と表すのか? と考えるとですね、

いろんなパターンがあるので、端的にコレコレこういうの、

と簡潔には説明しにくい。

で、話が長くなるので、今日は恋愛体質全体についての話ではなく(ないんかい!)

その入口となる、恋愛スイッチについて、です。

 

”恋愛スイッチ" なんて言葉、聞いたことないですよね。

占庭へ来られたことのある方の中には、

ああ、それ、わたし言われたしー 

と思い出される方がいらっしゃるかもしれません。

 

さて、その恋愛ですが、どうやって始まっていくのでしょうか?

一目惚れして、突然恋に落ちる場合もあるにはありますが、

案外それはレアなケースだろうと思われます。

大半は、

なんでこんなにドキドキするの? と気づいたりとか、

なんとなく感じていた好意がじわじわ~っと育ち、この人のこと好きだなあ、

と思うようになってきたとかで、知らず知らずのうちに、恋愛モードに入ってた!

という感じとか、

好きだと告白されて、

ええっ! そうなの? それならばこちらとしてもやぶさかではないわ、

という感じで、恋愛モードに入っていくことなどが多いのではないかと思うのです。

芽生えてくる、想いが満ちていく、または受けて立ちましょう、

というイメージ。

そういう恋愛の入り方をする人は、恋愛スイッチが実はすでにONになっていて、

ひそかにエンジンがアイドリングをしてらしたわけですよ。

受け入れ態勢が水面下で整っていたというかね。

 

そういうタイプとは別に、ふだんはまったくのOFF状態、という方もおられます。

好意は好意のままで、恋に移行していくことがほぼない、というタイプ。

そろそろいい年齢だしとか、恋人のひとりくらいいないとまずいよねとか、

そんな外的、客観的な要因から恋人の必要性を感じたりしないので、

いつどういうタイミング、きっかけで恋が始まるのか、誰にも予測できません。

本人ですら予期することはありません。

ある日突然、

あ、この人すごくいい!

みたいな気持ちが生まれて、スイッチがパチン!とONになるのです。

めったにONにならないけれど、ONになれば別人のようにまっしぐらで、

あまり迷うということはないようです。

 

このOFF期間がめっちゃ長くてめったにONにならない人って、

わたしから見るに2種類の星があるな、というのはわかっていたのですが、

つき合い始めてからも、たまにOFFになってしまう人がいる、

ということを昨日、お客さまと話していて気づきました。

2パターンの一方は、一旦ONになると結構一途にべたついていくのですが、

もう一方の人は、刺激が薄れてきたり、ほかに気を取られる物事があると、

一旦、OFFになることがあるようなのです。

前者の星はウエットで、後者はドライな個性があります。

いつONになるのか誰にもわからないという現象は同じなのですが、

ON後の様子には大きな違いがあるわけですね。

なるほどー

わたくし、深く納得です。長年の謎が少し解けた思いです。

 

一旦OFFになると、連絡が疎かになったり、反応が薄くなったりします。

そりゃそうですよね。

そうすると、お相手の方は、非常に不安になる。

当たり前です。

いろいろ原因を探して、あれが悪かったのか、もう嫌いになったのかと

心配でたまらなくなるし、腹も立ちましょう。

しかしながら、スイッチがOFFになってしまっている方にしてみれば、

ちょっといまそういうモードには入れてないだけ、

という気持ちでしかないので、お相手に悪いなという意識もないわけです。

ということで、交際中にもたまにOFFになる人は、恋愛が長続きしにくいです。

 

いまスイッチがONなのか、OFFなのか、ランプが点れば便利なんですけどねぇ。

いやほんと、人によって、恋愛に対する熱も違うし、集中力も違います。

お互いが相手だけを想い、よい恋愛をホットに継続していくって、

なかなかの難事業なのかもしれないなー と思いますね。

春はそこまで

今朝は暖かくて、春物のコートでじゅうぶんでした。

あちこちから、つくしの写真が流れてきていて、今年は春が早いなあと感じます。

 

先日、フラッと城崎へドライブしたのですが、学生さんらしき人たちが、

そぞろ歩いてはる姿が多かったです。

男子学生のふたり連れが多くて、友だち同士で温泉街とかへ来るんだなあ、

とグループではないのも意外でした。

まあ、本来なら、卒業旅行シーズンですものね。

海外旅行は難しいので、国内の温泉地でも、となってるのかしら。

 

今季のカニもそろそろ終わりですが、カニのコースは高いので、

海鮮丼のランチで帰ってきました。

結構、下道を長く走ったのですが、そうすると難読地名がいっぱいあって、

ローマ字表記を確かめて、そう読むのか~~~ と驚いてばかり。

「祢布」という交差点があったんですけれど、読めます?

「Nyo」(にょう)と読むらしいのです。

読めませんよねぇ。ナビがどう発音してるのかもよくわからなかったほどで。

そういうのも遠出の楽しみですね。

出掛けなければ出会えなかったものですから。

 

関西方面は緊急事態宣言も解除になったので、そろそろ観光の方々も、

増えてきそうですね。

占庭は、忙しい日と、ひまひまな日が入り混じったこのごろです。

一時少なくなったタロット教室の生徒さんも、少しずつ増えてきています。

 

手相を教えてほしいというご要望はよくお聞きするのですが、

手相の本格的なレッスンをするつもりはないんです。

けれども、ちょっと親しんでもらうくらいのセミナーみたいなものならできるかも、

と考えています。

しかしながら、まだ数名集まって、お互いに喋って、というのは憚られるので、

今年中に開催できるものか見通しが立ちません。

先日、リモート占いの際に、カメラに手相をかざしてもらったのですが、

とてもわかりにくて、やはり画像で手相を観るのは難しいなあと痛感しました。

セミナーをするにしても、対面じゃないとなあ、とどうしても思ってしまいます。

 

電話占いやリモート占いは、見料を前払いしていただいているので、

今日思い立ち、すぐ観てちょうだい、という方への対応ができません。

それでお断りすることも多くて、とても心苦しいです。

ずっと前は、後払いでやっていたのですが、結局振り込んでいただけなかった、

ということが何度かあって、前払い方式に変更させていただくことにしました。

大半の方は、きちんとお支払いくださっていたので、

前払い方式にするのは、本意ではなかったのですが、致し方なく。

仕事でやっている以上、見料を頂戴するのは通常のことなのでしょうけれど、

占いでお金を頂戴することに、どこか後ろめたさのようなものを

感じてしまうのは何なんでしょうかね。

プロらしく胸を張って頂戴できるようになる日がいつかくるのかどうか。

自分なりの精進の道は続くのでありますよ。

親が離婚している。自分も離婚するのでは? 

四条大橋から遠く北の山々を眺めると、さすが春ですね。

晴れていても、ぼんやり霞んでいます。

霞かもやか、はたまた例のやつが盛大に飛んでいるのか、という季節です。

 

最近の占庭は、2月にあるまじきのんびりペースでして、

緊急事態宣言、効いてるなあ、という感じ。

それでも、おいでくださったお客さまから、

そんなことあんの!? という超タナボタ的ハッピー!話やら、

それはあまりにも失礼な!話など、

ただただビックリするしかない、というお話をお聴きすることが続いています。

一緒にうれしくなったり、言葉を失ったりで、いままで何度となく、

思い知らされてもきたことなんですけど、改めて、

信じられないようなことって、ほんとに起きるんだなあと痛感しています。

ほんまにいろんな人生があります。

そして、ひとりひとりそれぞれに懸命に生きてはります。

それを直に、見せて、聴かせてもらうことのできる占い師という仕事を通して、

どれだけたくさんのことを教えてもらったろうかと、ありがたく思います。

 

実はここのところ、いろんな角度からの

「結婚とは何ぞや?」

で、頭の中が「密」になっています。

そのなかのひとつで、以前からもよく訊かれることがあり、

ここのところ奇妙なくらい連続して話題に上がっていたことを

今日は書こうと思います。

それは、

「自分の両親が離婚していて、自分も離婚することになるんじゃないか? 

という不安がつきまとう」問題です。

これは、未婚、既婚を問わず、いろんな方から吐露されてきたお話です。

昔はそういうのを「因縁」とかよく言いましたよね。

わたしも昔、職場の人から、

「母子家庭三代続く、って言うよね」と聞かされて、

ええええ~~~~! と驚いたことがありました。

そして、えっと、わたしは何代目やったっけ? と考え、

ちょうど自分が三代目だと気づいて、ああ、わたしで終わるのか、

とほっとしたのですが、考えてみたら、わたしには息子しかおらず、

自分の子が母子家庭の親になることはないのでした。

 

で、話を戻しまして、結論から申しますとですね、

わたしは親が離婚してたら子も離婚、というつながりはないと思っています。

我が家の場合ですと、わたしの母には姉が、わたしには妹がいますが、

離婚していません。

わたしの母とわたしは離婚してしまったのだから、それじゃ、50%の確率?

というふうに考えることもないと思うんですよ。

遺伝するものじゃあるまいし。

 

世間では、離婚した親の子は、離婚に対するハードルが低いんじゃないか、

と思われる向きもあるようです。

が、それは逆に作用することのほうが多いんじゃないかと思うんですよね。

離婚のデメリットを身をもって知っていることも多いわけですから。

 

わたしもね、うら若き乙女だったころ、考えていましたよ。

結婚するのならば、仲のよい夫婦になりたい。

離婚は絶対にしない。

そのためには、ものすごく好きで何があっても嫌いにならない人と添いたい。

そして、子どもの前で夫婦喧嘩は絶対しない。

って。

それがわたしの思うしあわせな家庭像だったんですね。

だけど、それは難しそうだから、結婚はムリかな、とも思っていました。

ところが、死ぬほど好きな人と結婚することになり、紆余曲折あったものの、

子どももひとり授かりました。

夫だった人のことは、どんなにひどいことをされても、

言われても嫌いになれず、別れる気にも全然ならなかったのですが、

棄てられてしまってですね、呆気なくしあわせな家庭像は崩壊しました。

夫がいなくなってしまったので、子どもの前で夫婦喧嘩することもなく、

結果的に、婚前の決意が叶ってるところもあったりして、

人生、うまくいかないもんですねぇ。

 

しかしながら、わたしは自分の最初の結婚も、離婚に至ってしまったことも、

まったく後悔はしていません。

それらがあって、いまのわたしがあるのです。

なんかもう、全力を尽くした感があるくらいです(笑)

 

結局何が言いたいのかといいますと、結婚を望まれるのであれば、

また、すでに結婚なさっている方も含めてですが、

あらかじめ離婚の心配なんかしなくていい、ってことです。

親が離婚してるから、もしかしたら自分も・・・・

なんていう因果関係なぞない! と思いましょう。

あなたの人生はあなたのものであって、結婚も離婚もあなたの問題です。

何があってもその落とし前は自分でつけていくしかないんですから、

自分が選んだ人を信じ、愛し愛されて生きることを目指そうじゃありませんか!

 

誰でも心のなかに、いろんな不安を抱えていますよね。

その不安が暴走しないようにするには、自分なりに引き受けていくしかありません。

自分以外の人がどんなに励まし、大丈夫! と支えてくれたって、

その不安がすっかり解消することにはなりません。

結局は自分です。

何かコトが起きても、そんときゃそんときです。

生きていくって、それの連続でもあると思いますしね。

え~~~~! なんでぇ~~~~?! とジタバタしながら生きていく過程で、

自分自身がつくられていくわけで。

なので、このことに限らず、起こってもいないことに対する先回りの不安を

自ら育てていかないようしてね、とお伝えしたいのです。

いまのわたし これからのわたし

昨日はご予約の方が午後からだったので、朝、知恩院さんへお参りして、

八坂さんへ回って、茅の輪をくぐってきました。

実は、茅の輪くぐりをするのは初めてで。

くぐり方の作法を読みまして、ほ~~~ と新鮮な気持ちで、

八の字にぐるぐるぐると回ってお参りしました。

お寺も神社も、お参りすると、スッキリと晴れやかな気分になれるのがいいです。

八坂さんのおみくじは、かつて一度も厳しい内容だったことがなく、

いつも微笑んで見守ってくださっているような文面なのです。

 

緊急事態宣言が出されている上、昨日はすごく寒かったのもあり、

知恩院さんは人もまばらでした。

いつものように歩きながら、足元をしげしげと見たら、

枯れた松葉がたくさん落ちていましてね。

茶色くなった松葉を意識して見たの、もしかしたらすごく久し振りだったのかも。

急いで歩いてるときは、目に入ってないんですよねぇ、こういうの。

突然、昔の記憶が蘇って、

小学校の校庭の端っこに、松葉がいっぱい落ちてたなあ、

なんてしみじみ懐かしい思いに浸ったりしました。

時間を気にせずゆっくり歩いたり、見るともなくぼんやり風景を目に映したりって、

滋養になりそう。

 

わたし個人のことなんですけれど、昨年くらいから、

仕事に対する考えやスタンスが、少しずつ変化してきています。

これは占いとか、運勢とか、そういうのとは関係なくて、

年齢というか、世代的なものが影響してるのだと考えています。

もちろん、新型コロナによって変化を余儀なくされたことも、

少しは影響があるかもしれませんけれど、それほど大きくはないでしょう。

 

なんというか、もう完全に「下り坂」を歩いているんだなあ、という感じ。

もう、見方や考え方が現役っぽくないんです。

これから坂を上る人や、頂上付近でがんばっている人たちに、

道を譲ったり、応援したりする側のチームに入ったんだなと実感しています。

それが淋しいのかというと、全然そんなことはないんですよ。

ほっとしたというのと、晴れ晴れのハーフ&ハーフというところ。

ああ、自然ってのはこういうことなんだなあ、

と驚くほどすんなり受け容れている自分がいます。

 

けれども、まだ方向転換の途中でもあって、迷うこともあります。

迷いはするのですが、迷いに対する不安はそれほどないんです。

迷いながらでも歩いてたら、道が見えてきそうな気もするし、

見えなくてもその内どこかへたどり着くかな、と思えます。

 

年を取るのも悪くないなあ、って思ってますよ、マジで。

わたしは若かった頃のほうが道が苛酷で、生きるのがしんどくてですね、

40代は自由でたのしかったし、50代はやっと自分らしくあれたと感謝でいっぱい。

次に始まる60代も、きっと知らない世界が待っていると思うと、わくわくします。

身体は確実に衰えていくわけですが、いくつになっても、

新しいことを知るのはたのしいことですしね。

 

毎年、年の初めに一年の目標っぽいものを考えたりするんですけれど、

今年はしいたけ.さんの占いで、そういうのを決めなくてよいってことだったので、

そっか、考えなくていいんだ、とあっさり見切りました。

(自分の占いじゃないんか~い)

 ただ、ひとつ、今年やりたいこと、ってのはあるんです。

それは、爪を育てること。

爪も加齢によって弱ってきていましてですね、すぐに欠けたり割れたりするんです。

なので、今年は爪切りは使わずに、やすりで丁寧に整えるようにし、

角を丸くし過ぎず、健やかに保つ努力をしています。

たかが爪ですが、心をかけて大事にする、という行為は、

自分を大切に扱うってことと、ちょっと通じているようで、

精神的な安定とか満足感も得られるという、意外な効用があり、

驚いています。

もうあんまり自分自身にムリはさせられないので、セルフケアしながら、

いまできる仕事を自分なりに精一杯やっていくことと、

周りのひとたちのために働けることが、一番のしあわせなんだろな、

と思っているところです。

そこに愛はあるんか?

緊急事態宣言も延長になり、さすがにお客さまも減ってきまして、

今日はご予約がおひとりもなかったので、店舗営業は休ませていただきました。

体調不良とか、よんどころない事情があるとかでもないのに休むのは、

まことに後ろめたい気持ちになるのですが、いまの時期、

バスや電車で移動する人間がひとり減った、というのは悪くなかろう、

と思うことにしました。

メール占いの返事をお待ちいただいていた方も数名いらしたので、

今日は朝から集中して、そちらをがんばりました。

自分なりにちゃんと働いたので、後ろめたさはほぼ帳消しです。

 

メール占いは、ゲストとのやりとり(質疑応答ね)が少ないことと、

文章のみで伝えるということで、対面占いよりもずっと難しく、

時間にすると、対面占いの数倍かかります。

やっぱり対面占いが一番だなあと、毎回思うのですが、いまの社会の実情と、

ゲストの方それぞれの事情などもあり、それがかなわないこともありますので、

細々と続けてきました。

電話占い、リモート占いは、対面占いと同じ見料で、30分2500円なのですが、

メール占いは、占術によって金額を分けています。

今回、少し改定しましたのでお知らせしておきますね。

タロットカードによる占いのみ 1500円

生年月日による占いのみ 2500円

両方 3500円

いずれも事前振り込みをお願いしています。

ご希望の方がおられましたら、メールでお問い合わせください。

(kyotouraniwa@gmai.com)

 

さて、最近よく、頭の中で大地真央さんの声が蘇ります。

そう、例のちょっとコミカルなTVCMの決め台詞、

「今野、そこに愛はあるんか?」

です。

 

お客さまのお話を聞きながら、心の中で、

「そこに愛はあるんか?」

と、あの大地真央さんの「間」とイントネーションで尋ねたくなるのです。

恋愛、夫婦関係に限らず、親子、仕事仲間など、いろんな人間関係における問題、

その対処法、解決策を考え、選ぶとき、

「そこに愛はあるんか?」と問いたくなったり、

「そこに中途半端な愛は要らんのよ」と言いたくなったりもします。

愛ってのは厄介なものですよねぇ。

ま、実際に口に出して言うことはないですけれどね。

 

でも、これ、結構使えるフレーズでもあるなあと思っています。

おためごかしなことを言われたり、ウソっぽい言い訳をされたりしたときに、

とまっすぐに相手を見て、

「そこに、愛は、あるんか?」

感情のこもらない口調で切り返すのは、

なかなかいいんじゃないかと。

言われたほうは、ドッキリするだろうなあ。

いまだ! というタイミングで、スカッと言うてみたい。