京都 四条高倉の占庭から

老いていく存在価値

ほんとうならば、今日は祇園祭山鉾巡行の日だったのだなあ、

と、今朝、晴れた空を見て思いました。

雨じゃないのはいいけれど、今日も暑かったろうなあって。

そんな感慨にふけっていたら、もう7月も半ばを越えていたのだと気づきました。

そろそろ夏休みなんですね。

ほんとに飛ぶように日々が過ぎていきます。

 

ご心配をおかけしております顔面神経麻痺ですが、徐々に快方へ向かっています。

急激に悪化することもなく、少しずつ少しずつ、動かせるところが広がってきて、

強張り感も、少なくなってきている感じです。

このまま、そろそろとよくなっていってほしい~~~

 

まだ怪しい笑顔ではありますが、なんとか笑えるようにもなってきました。

この、表情を出せる、ということが、こんなにありがたいことだとは、

ふだん意識したことなかったですねぇ。

できるだけ笑って生きたい、をテーマとしているわたくしですが、

物理的に笑えないなんてことになるなんて。

いやはや、生きてたらいろんなことありますね。

 

そんな中、わたしが住んでいる自治体では、今年60歳~64歳の人の

新型コロナワクチンの接種が始まりまして、わたしも1回目を受けました。

もうすぐ60歳になるんですよ。

60歳といえば、ひとまずの定年退職を迎えるお年頃です。

友人たちも、今後の働き方などの選択を迫られているようです。

 

長年働いてきた会社を辞め、毎日が日曜日になった男性が、

しばらくすると精神的に不安定になってしまわれるケースを

幾人も聞いてきました。

それは、きっと、どこにも「所属」していない立場に不安を覚えられるのでは?

と考えていたのですが、そればかりではないのかも、と思うようになりました。

サラリーマンとして、長年にわたって毎月お給料を家計に入れていた人が、

その定期収入を失う不安も大きいのだろう、と。

働いて得た収入と、年金等で得る収入は、たとえ同じ金額であったとしても

感覚が全然違うのかもしれませんね。

 

「仕事をせず、労働の対価を得ることのない自分の存在価値をどこに見出すのか」

それが、定年後の男性に降りかかってくる大問題なのかも。

仕事をがんばってきた自負のある人ほど、それは強く出るような気がします。

 

 働かない自分にどれほどの価値があるのか?

 お金を生み出さない自分も尊重されるのか?

 自分の生きている意味は?

 

など考えて、不安定になってしまったり、落ち込んでしまったりされることも

あるのかと思うと、なんだか気の毒でしょうがないです。

いままでがんばっていらしたのにね。

 

長年続けてきた生活をガラっと変える、って大変なことなんですよね。

がんばって働いてきたのだから、のんびりする、趣味を愉しむ、

と最初は思っていても、その日がずっと続くとなると不安になる。

そうなってしまう気持ちは、わかるような気がします。

 

「誰が養ってると思ってるんだ!」とか言う人、

さすがにいまの時代は少ないでしょうけれど、そういう人ほど、

陥りやすいとも思えます。

働いて、家族の生活を支える、それだけじゃない、存在感を

若い内から得ておけば、老後は気楽に過ごせるかもですね。

 

しかし、そもそもですね、存在価値があるのかどうかなんて、

考えてもしょうがないですよ。

存在してるんですから。

生活が変われば、新しい毎日、違う日々を探っていくだけですよね。

せっかくの新鮮な刺激です。

不安と捉えずに、びっくりしたり、困ったりもしながら、

身の丈に合った、新しい自分をつくっていけばいいのだと思います。

いっそワクワクしてもいいくらいですよ。

エラくなくてもいいし、立派である必要もありません。

そっち方面のがんばりはもう必要ないんです。

なるべく機嫌よく、ある程度老いも受け容れつつ、できるだけ元気に過ごす。

それができたら、それこそがサイコーの存在価値になる、

と思うのですけれどいかがでしょうか。

当面の営業についてのお知らせ

数日前より、顔面神経麻痺になり、顔の右側がちょっとイカれています。

そのせいで、昨日、予定していました、うのたまごさんとのZoomイベントも

キャンセルしてしまうことになり、ご迷惑をおかけしました。

うのさん始め、参加を予定してくださっていたみなさま、

ほんとうにごめんなさい!!

わたし自身も残念でなりません。

またいつか元気になったら、ぜひ参加させていただきたいです。

 

いろいろ不具合はありますが、食事も摂れてますし、会話もできます。

命に別条のある病気ではないので、あまり心配しすぎず、治ると信じて、

気長に治療していくほかありません。

見た目は結構見苦しいのですが、マスクで口元は隠れます。

眉の位置が左右で1センチくらい高さがズレてたり、

若干滑舌の悪いところもありますが、仕事ができないほどではないだろうと、

今日から営業を再開しました。

 

とはいえ、そういう状態ですので、フルで営業というのもどうかと思いまして、

しばらくは、ご予約の方のみ、そして、体調悪化の折には大変申し訳ないのですが、

ドタキャンの可能性もお含みおきください、ということで、お願いいたします。

 

担当医師からは、

「この病気は、治る人は治るし、治らない人は治らないんですよねー」

という、たいへん正直なコメントを頂戴し、あとは自分の運を信じるのみだな、

と思っています(笑)

自分の運の強さには自信があるので、たぶん大丈夫です。

 

早くよくなることを祈りつつも、焦らずに治療していきたいと思います。

ご迷惑をおかけし、ほんとうに申し訳ありません。

どこかで手放さなければ一生モン

今年はちゃんと6月末にみな月をいただきまして(二日続けて!)、

よい夏越の祓でありました。

今日から7月で、京都は祇園祭です。

今年も、山鉾巡行はありませんが、祭事は行われます。

四条通も提灯が揚げられ、コンチキチンが流れています。

 

こちらは寺町通 ↓

f:id:uraniwamiyuki:20210701135224j:plain

こちらは四条通四条河原町の角です) ↓

f:id:uraniwamiyuki:20210701135234j:plain

 

今年も巡行はないけれど、山鉾建ては、半数くらいされるそうです。

が、それでも「見には来ないで」という制限付きなのが淋しいことですね。

厄除けちまきも今年はあるようです。

まさに「疫病退散」を願います。

 

今日は、前回の話の中にあった「手放さなければ一生モン」について書きますね。

ちょっとわたしの愚痴も混じってしまうのですが、ご勘弁ください。

こう考えるようになったのは、実は母を見てのことでした。

わたしの母はいま85歳で、ケアハウスで暮らしています。

家から車で10分足らずのところで、週に一度は必ず面会に行きます。

ここはコロナ禍にあっても、家族の面会完全お断り、とはせずに、

制限付きで認めてくれていまして、助かっています。

母とわたしは性格も、ものの考え方も全然違っていて、お互い理解しにくい親子。

険悪な仲ということはないのですが、愛情でしっかりつながっているのか、

というと、そんなことはない関係です。

ケンカするのはしんどいので、揉めないようにやってきた、というところ。

病を得て、半身が不自由になったことでひとり暮らしはできなくなりました。

倉敷のケアハウスに入ったものの、月に一度高速を飛ばして通うのも大変で、

わたしの家の近くのケアハウスへ移ってもらったのです。

そして、身近に世話をするようになって、いろんなことがわかってきました。

母の性格、社会性、対人関係など、そうだったのかー と思うことが、

それはそれはたくさんありました。

案外「女子」だったんだな~ とか。

そして、老いていくということはこういうことなのだな、と教えられました。

あまり折り合いの良くない親の世話をするというのは、楽しいことではありません。

けれども、しなければ知りえなかったことがたくさんあったので、

ただ消耗するのみではなく、よかったとも思っています。

自分が老人になったとき、周りの人にどういうことを言ってはいけないのか、

どういう態度をしていれば周りの人は安心なのか、を知ることができました。

老いていくことの不安や苛立ちは、あって当然です。

それらをどう受け容れるのか、どうあきらめるのか、そこが難しい。

母は楽しい話をすることが、ほぼありません。

自分のつらさや、苦しみ、痛み、苛立ちをわかってほしいので、

そういう話ばかりになってしまうんですね。

もっといたわって、大事にしてもらいたいのです。

いまに続く自分の不幸を振り返り、過去の恨みや怒りを蒸し返します。

それらの話を繰り返し聞いていて、わたしはほんとうに呆れてしまったんですよ。

まだそんなこと言ってるの? って。

 

母親(わたしの祖母)は、姉や弟ばかりをかわいがり、自分はかわいがられなかった

姑や小姑にこんなことを言われた、された、つらかった

夫(離婚してます)はこんなことをした、苦労させられた

 

という話を延々とします。

もはや大昔のことばかり。

どの人も、もう亡くなってから何十年も経っています。

とっくの昔にこの世の人ではなくなった人への恨みをいまだに抱え、

繰り返し巻き返し、怒り、苦しんでいる85歳。

どうしてこうなっちゃったんだろう。

 

たしかに不幸な生い立ちで、つらいことの多い、かわいそうな人生でした。

それは間違いないけれど、その恨みや怒りを持ち続けてきたことで、

不幸から抜け出せなかったんじゃないかとも思ってしまうんですよね。

恨みがましい感情が、自分をも蝕んできたんじゃないか、って。

ここにくるまでに、どこかで、それらを手放すキッカケはなかったのだろうか、

と思わずにいられませんでした。

 

わたしだって、母にもっと愛されたかったし、肯定してもらいたかった。

もっと上の学校へも行かせてほしかったし、子どもらしくいさせてほしかった。

そんな思いはあります。

けれども、恨んではいません。

親は立派な人間とは限りません。

それは自分も親になってよくわかりました。

親によい人間であることを求めすぎてもしょうがない。

誰もが未熟なひとりの人間でしかないのですから。

 

で、話を戻しますとですね、

自分で抱えている恨みや怒り、憎しみなどの感情は、

どこかで手放す意識を持っていないと、それに一生支配されてしまう、

ということなんですよ。

85歳になってなお、憎々しげに怒りをぶつける母を見ていて、

こんな風になりたくないなー と思ったし、恨みや怒りはしぶといな、

とも思いました。

なかなか自然に消えていくとか、いつか忘れる、ってことはないのでしょう。

それならば、この思いは少しずつ手放していこう、と意識しておかないと、

ずーっと持ち続けることになりかねないってことです。

ヘタしたら一生。

いい人になるためとか、デキた人間と思われるためとかじゃなくですね、

自分がラクになるため、美しくあるために少しずつ手放していこう、

と思っておきたいです。

いつかキッカケは訪れるはず。

それを見逃さず、掴んでいかなくちゃ、です。

人相を悪くしないだけではなくて

四日前の金曜日に放映された、NHKドキュメント72時間」、

占庭のすぐ近くのコーヒー豆スタンドのびーんず亭さんが舞台の回でした。

こちらのコーヒー豆は、何度か買ったことがある程度で、

わたしは全然いいお客ではなかったのですが、お店の方がみなさん感じがよく、

いい印象を持っていたので、なんだかうれしかったです。

さすがにテレビの反響は大きくて、翌日の土曜日は朝から行列。

日曜もずっとお客さんが並んでらして、急に人気スポットになっちゃったなー

という感じです。

ほんとうに小さな小さなお店なので、これは一大チャンスですよね。

このにわかな人気が今後にどうつながっていくのか、気になるところです。

 

余談ですが、このお店のお隣に女性ばかりの鳥肉店がありましてですね、

こちらのお店の方もみなさん明るくて、すごく感じがいいんですよー

唐揚げ、焼き鳥、チキンカツなどの手作りお惣菜も売ってらして、

これがまたリーズナブルでおいしい。

お昼ごはんのおかずに、ほんのちょっとだけ買うこともできるので、

とても助かっています。

対面で量り売りしてもらえるお店って、ありがたいですね。

街中の大きな百貨店のすぐそばに、こういうお店が並んでたりするのも、

京都のいいところだなあと思います。

 

さて、今日は、以前も書いたことがある、人相についての話なのですが、

ちょっとそれに追加したいことが出てきたので、そのお話を。

 

人の顔は、形状記憶装置みたいなところがあって、

その人の心持ちや口癖などが、長年重なって作られていきます。

なので、若い方よりも、中年以降の方のほうが、その方の「本性」が、

お顔に出ているなあと感じます。

いつも不平ばかりを口にしていると、やっぱり不満そうな顔になっていくし、

楽観的な方は、ほがらかなお顔立ちになっていくのだなあ、と。

だから、恨み、妬み、嫉み、後悔、悪口を言ってると、人相が悪くなります、

ということなのです。

もちろん、そういうことをひと言も口にしちゃダメ、っていうんじゃないですよ。

あまり頻繁に、繰り返し言わない方がいいだろうな、ということで。

悪口を言ってるときの自分の顔を自分では見られないわけですけど、

いい顔はしてないはずです。

わたしはいろんな方のいろんなお話を聴くのが仕事なのでわかりますが、

そういう時は、誰でもどうしたって憎々し気な顔になってしまいます。

 

でもね、そうして黒い気持ちを吐き出して気持ちを切り替えられたり、

ちょっとスッキリされたのなら、OK。

それで少しでも黒い気持ちを手放していただけたのなら、

こちらとしましては、お話聴けてよかったなあ、と思えます。

 

けれども、そういった感情を手放さず、ずっと持ち続けていると、

それは表情に刻まれてしまうんですね。

もちろんその方の人相は、福相から遠ざかってしまいます。

運にも見放されてしまうので、それはやっぱりよくないです。

だから、憎しみや恨みばかりを繰り返し口にするのはおやめになったほうがいい、

ご自身のこれからのために、と思っていたのです。

 

けれども、最近、ちょっと気持ちが変化してきました。

自分の中の黒い感情を吐き出してキレイになれるかどうかは、

その吐き出し方にもよるのかもしれない、と。

思い切って話してみた最後、ちょっと笑顔になれるかどうかが、

ポイントのような気がしてきたのです。

つらかったこと、誰かを恨んできたこと、妬んでしまったことなど、

話し終えられて、ご自身の中で何らかの区切りがついたら、

ちょっと恥ずかしくなったり、しょうがないよねと思えたりして、

ふっと笑顔が浮かぶ方が結構おられます。

そうするとね、その方が負っていたダメージが軽くなるように思えるんですよ。

苦いお顔のままだと、ダメージは少しも軽くならない。

スッキリ爽やかでなくてもいいので、笑顔で話を終わらせるというのは、

自分自身のダメージを軽減させる効果もあるんじゃないかと思うようになりました。

 

実はわたしは昔から、いろんなトラブルや、イヤなことがあった後、

「それでもまあ、〇〇にならなくてよかったわ」

となんでも「よかったわ」で話を終わらせたいクセがあったのですが、

あれは、強制的に自分のダメージを軽減させようとしていたのかもしれません。

これはもう人相云々の話じゃないなと思ってですね、

人相を悪くさせないためというよりも、ほんの少しかもしれないけれど、

ご自身をダメージから守り、いまよりも気持ちを落とさずにいるために、

つらい話の最後を苦いお顔で締めくくらないでね、とお伝えしたいです。

 

ひとりでグッとガマンし続けてるとね、その痛みはずっと加算されていって、

減らないんですよ。

「あー も~う、ホントやだ、やだ!」と明るく言い放って、ちょっと手放す。

「ほんま腹立つーーー!」と言ってから、二ッと笑ってみる。

ムリくりでもいいんです。

手放さないとですね、ヘタすると死ぬまで加算を続けることになってしまいます。

この、「どこかで手放さないと、一生モンになってしまう」話は、

また改めて書きたいと思っているのですが、この「どこかで手放すキッカケ」を

見つけるためにも、日ごろの積み重ねが効いてくるだろうと思います。

眉に唾をつけながらでもよいので、どうかひとつ、心に置いてくださいますように。

夢もしくは目標(仮)

突然、ある曲のワンフレーズが脳内で延々とリフレインする、

ということはよくあるわけですが、今朝のわたしはこれでした。

ウルフルズの「A・A・Pのテーマ」の中の、

 

♪ 夢は大きくぅ~ぅ インテーーーリジェンスは低~ぅくぅ~

 

A・A・P って何? と思われた方もおありでしょう。

これ、アホ・アホ・パワー のA・A・P なんです。

なんちゅうか、大阪らしい感じでしょ。

 

何度も意味なく、ここのところだけを口ずさみながら、

 夢は大きいほうがいいのか?

 インテリジェンスは低くても大丈夫なのか?

なんてことを考えていたのですが、まあそういうのは人によるな、

という結論に至りました。

(だいたいのことは人それぞれだな、で決着するわたくし)

 

たまに「何者かになりたい」とおっしゃる方がおられます。

「何」かは定まってはいないけれど、何かに抜きん出たひとかどの存在になりたい、

ということなのだと思います。

他人からそのように評価されたい、ということもあるかもしれません。

もちろん、こういう話が出るのは、40歳くらいまでのお若い方が大半です。

若いってすばらしい。

けれど、選択肢があり過ぎ、未来が広すぎて大変でもある、ということですね。

思い返せばわたくしは、何者かになりたいと、一度も思わずに生きてきました。

現実的な選択肢が狭かったのだと思います。

そう。夢は夢であって、夢を現実に追いかける気力も余裕もなかったわけです。

まことに覇気のない若者であった自覚はあるので、いまになって、

そうか、と答え合わせを見せられるような気持ちです。

 

で、ですね。

占いで「具体的な夢や目標が必要」という星の方がおられます。

目指すものがあれば迷いが払拭され、それに向かって努力もし、ガマンもできます。

ないと、方向性が定まらず、努力もガマンもすることなく、

放浪して一生を終えてしまう。

(わたし個人は、そういう人生も悪くないように思ってますけれど)

 

また、何かに取り組むに当たって「理由」が要る、という方も。

~~のため、という理由なり、目的がないとやる気が起きないのです。

〇〇に役立つ、資格を取れば給料が上がるので勉強する、など、

こちらは結構現実的な理由が効果的です。

 

いずれにしても、何らかの目指すものが必要なんですね。

だけど「これだ!」と思えるものって、そう簡単に見つかりませんよね。

それで、見つけられないということに焦りを覚えてらっしゃる方も多いです。

「どうしたらそういうものに出会えますか?」

「誰かとの出会いによってもたらされることがありますか?」

と訊かれると、ほんとうに困ってしまいます。

 

恋愛も同じだと思うのですが、突然バッタリ出会って、

雷に打たれたように惹かれ合う、なんてことはめったにないことです。

同じように、自分のやりたいこと、自分を生かすことができる道が、

何らかの「出会い」によってもたらされるというのも、

なかなか起こらないことだと思います。

よくね、成功した人たちが、自分の分岐点となったのは、ある人との出会いでした、

みたいな話をされますが、その出会いって、ほんとにバッタリ出会って、

っていう単純な話ではないですよね。

まったくの偶然ではなくて、自分なりに試行錯誤し、行きつ戻りつしている中で、

これかも! と思えるものにたどり着く、ということではないかなあ、と。

 

たとえ、偶然誰かと出会ったのだとしても、そこに至る過程があったはずです。

そして、そのキーマンとの関係をちゃんと築いたからこそ、

今になって思えば、あの時の、あれが、、、、という話になるのだと思います。

出会った誰かを、引き上げたい、応援したい、一緒に働きたい、

というところまですぐには発展しませんよね。

相手に「この人はすごい」「この人のために」「この人ならば」「どうかこの人に」

というような気持ちが湧き上がらないことには。

誰かをそう思わせるだけの人間的な魅力や、才能、愛嬌が備わってこそ、

道が開けるのではないかなあと思います。

運の良し悪しはもちろんありますが、それだけじゃダメ。

結局は、自分の人間的な魅力の底上げをしていくしかありません。

それが、持っている運を生かしたり、やって来る運を掴んだりする力に

なっていくのだと思います。

 

その一歩を踏み出すに当たって、夢や目標を設定しましょう、

ということなのですが、しっかりしたものでなくてもいいんです。

なんとなくのふわっとしたものでも、ないよりあったほうが断然いいです。

「いつかこんな仕事に就きたいなあ」

「憧れのあの人のような女性になれたらなあ」

「いずれは独立してやっていきたい」

なんでもいいんです。ひとまず、でもいいのです。

 わたしの夢(仮)

 わたしの目標(仮)

でいいです。

(仮)だから、これから変わっていってもいいし、増えても減ってもいいわけで、

あんまり思い詰めずに心に置けるのではないですか?

占い師今様

梅雨を飛び越して夏でしょ! という数日間でしたが、今日は雨。

とても梅雨らしい空になっています。

暑さもひと休みというところ。

 

さて、新型コロナのワクチン接種の大騒ぎも、少し収まってきましたね。

日常を逸した事態になると、それ、遅れるなっ! とばかりに殺到するというのは、

災害時のトイレットペーパーの買い占めと同じような群集心理なのでしょうが、

マジメな人ほど、早くちゃんとやらないと、と思われるような気もします。

わたしの母はケアハウスに入居しているので、個人で予約を取る必要はなく、

施設の方で、もう2回の接種を終えました。

家族としましては、ほんとうにありがたいことでした。

副反応は、2回目がかなりしんどかったということでしたが、発熱もなく、

これくらいであれば上々ではないかと思われます。

こうして、着々と高齢者のみなさんのワクチン接種が進んでいくのはいいのですが、

心配なこともあります。

ワクチン打ったから、自分は大丈夫! 

とマスク拒否する人が増えてトラブルになるんじゃないかなあ、って。

これからどんどん暑くもなってきますし、マスクはしんどいです。

開けた戸外を歩くときなどは、適宜取っていていいと思うのですが、

人と話しをするときや、電車やバスの中などでは、

やっぱり着けておかないといけませんしね。

まだまだ世の中は流動的で、落ち着かない日々が続きそうですが、

あんまりギスギスした心持ちにならないように過ごしたいです~

 

かなり前に、占庭のリピーターさんに勧められ、占いの館的なお店に行きました。

そこに出ていらっしゃる占い師さんの中に、前世が視える方がおられて、

「すごく楽しかったんですよー みゆきさんも行ってみて~」

ってことで。

元々わたしは占いフリークなので、楽しかったんですよ。

で、ですね、話はここからです。

その予約を取る際に、ネットでメール登録をしたのです。

最近になって、そのお店からお知らせメールが届くようになりました。

内容は、新しく入られた占い師さんの紹介です。

お顔写真、占術、どういう気持ちで占いをしているか、などが書かれていて、

興味津々で読みます。

みなさん、感じよくて、自己紹介文も上手で、すごい占い師さんなんちゃうやろか、

というムードありありの方ばかりです。

とにかく用いる占術がすごいんですよ。

霊感、霊視、透視、ヒーリング、チャネリング、波動修正、エネルギーワーク、

サイキックリーディング、などなど。

実際にどういうことをなさるのか、ちょっと想像できないものもあって、

よくわからないけれど、なんかすごそう。

しかし、超能力というか、スピリチュアルな特殊能力の持ち主の人って、

世の中にこんなにたくさんいはるの? そんなに??

と驚かされます。

というか「占い」というものが、いまやそういう時代、ということなんでしょうか。

たしかに、視える人、感じる人というのはおられます。

だけど、これほどたくさんいはるとは知らなかったー

 

そういう特殊能力が占いの主流になっているのであれば、

わが身を振り返り考えるに、よくぞまあ占庭のような、

 生年月日と手相とタロットで占いますよー

 霊感? いや、まったくないです

みたいなお店に来てくださるお客さまがあるものです。

ほんとうにありがたいことですよね。

 

こんなことでいいのか? と考えてはみたのですが、

能力のあるなしはもとより、向き不向きというのもあります。

時代には乗っかれていませんが、マジメに占いますので、

ということで、これからも細々とやっていこうと思います。

ナンバープレートの文字

今日も静かな日曜日の占庭です。

時間があるので、また、どうでもいい話を書いてしまいます。

 

自動車のナンバープレートありますよね。

わたし、あの、都道府県や地域を書いてあるロゴがね、好きなんです。

あれって決まったロゴ体があるんでしょうか。

えっと、ロゴ体とかいいませんかね? 書体?

とにかく遠くから見てもわかりやすくて、省略が絶妙だったり、

意外と凝ってる部分があったりして、センスいいなあ、と惚れ惚れします。

 

よくナンバーの数字の並びが気になる、という話を聞きます。

エンジェルナンバーといって、数字に意味があるとか、

人気の数字とかがあるのだそうですが、わたしはそっちは全然興味がなくてですね、

数字より文字です、文字。

 

関西でのお気に入りは「滋賀」。

こう書いてもわからないですよね。

画像はないかと探しましたら、こんなニュースがありました。

www.sankei.com

いやあ、ビックリ。

ゲジゲジナンバーとかイナズマナンバーとか呼ばれていたんですね。

それは全然知りませんでした。

でもやっぱりファンが多かったんやなあ。

 

そうなんです。

滋賀の滋の字のギザギザ具合と、点を省略してるところがいいし、

滋賀の賀の字の、貝の点々が端っこにソファの脚みたいにくっついてるところが

好きなんですよねー

どうしてこのカタチに行きついたのか、作った人に聞いてみたいくらい。

 

それから、あんまり見ないんですけど、「鳥取」も好きなんですよ。

こちらもニュースで拾ってきました。

www.webcartop.jp

ね、いいと思いませんか?

鳥取の鳥の字の4つの点々がですね、同じ方向を向いてるのがいいです。

文字全体が直線ばっかりで、線の間隔がほぼ同じでスッキリしてるところもいい。

まさに飛ぶ「鳥」って感じがします。

そして、取の字はデフォルメされてます。

耳の上の部分が右端まで伸ばされて、その屋根の下に収まる又とのバランスがグー。

見るたびに、美しいなあ~ と感心します。

 

もちろん、京都も大阪も、見ていると、なんとなく土地柄を表しているようで、

シンプルながらいいのです。

 

子どもが小さいころ、ひらがなが読めるようになったら、

ナンバープレートのひらがなを、漢字が読めるようになったら県名を

読んでいたことを思い出します。

 

みなさんも、各地のナンバープレートの土地名を見てみてください。

絶妙なバランスでいながら、個性的な文字がいっぱいですよ~

ドライブのときの楽しみです。