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京都 四条高倉の占庭から

習い事の適性

お子さんの習い事の相談を受けることもあります。

「この子、何が向いてるんでしょうか?」って。

 

 スポーツで伸びそう

 手先のことがいいみたい

 音楽関係もしくはダンスかな

 ひとりで静かにできるもの

 古くからあるクラッシックなお稽古事に縁がありますよ

 

どんな資質を持ってはるのかは星が教えてくれるので、簡単にお答えできます。

けれども、そこにはDNAっちゅうもんもありますし、

よい指導者に恵まれるかどうかもあり、どこまで伸びていかれるかはわかりません。

 

学校の部活なんかも同じですが、習い事の意味って何でしょう?

スポーツでも特技でも、それを職業にして一生食べていく、

という人は、ほんとうにわずか。

ひと握りどころか、ひとつまみにも至らないでしょう。

それなのに、親までが必死になって、できない子どもを罵倒するなんてのは、

ズレているというか、本末転倒だと思うんですよ。

 

かく言うわたくしも、自分が勉強よりは運動ができるタイプだったので、

わが子に対しては、そんりゃあもうスパルタでした。

勉強はいいんです。

そもそも自分が子どものときに全然やらなかったのに、

やれというのはフェアじゃない、

という自覚があったので、そっちは放置。

運動面です。熱くなってしまうのは。

 

だいたい何事においても、抜きんでたいなんて気持ちが、

コレっぽっちもない、覇気のない子どもだったワタクシが、

中学に入ったとき、自らのリサーチ不足で、

うっかり超スパルタなバスケット部に入ってしまったんです。

恐ろしく怖い顧問。年中無休の朝夕の練習。しかも、めっちゃキツい。

根性のカケラもなかったわたしは、やめたくてしょうがない。

だけど顧問の先生が怖すぎて、やめると言えないまま続けることに。

すりこぎのようだった脚には、みるみる筋肉がつきました。

そのころは、うさぎ跳びなんてのもやってたんですよねぇ。

 

で、転校するまでの2年間、すっかりバスケ漬け生活に。

あれだけ好きだった本を読む時間すらない毎日でした。

でも、あの2年間は、すごく自分を成長させてくれたんです。

体力的にも精神的にも。

ほんとにやっていてよかったと、いまでも思います。

 

スポーツは特に、勝敗が明確です。記録、という場合もありますね。

できれば勝ちたいし、記録は伸ばしたい。

それが当たり前の欲求です。そういうもんなんだから。

けれども、勝てばいい、伸びればいい、ってもんでもないんですねぇ。

それで生きていくんじゃないんだから。

 

どんなに努力しても、どうしてもレギュラーになれない子もいます。

記録会に出られない子もいる。

そういう子は、チームメイトを支える側に回ることもあります。

ほんとは自分だって試合に出たいし、すごいね!って言われてみたい。

それは努力が報われることだし、

その方が、勝利の喜びをダイレクトに味わえます。

だけど、能力が足りず、それが叶えられない。

それがつらくて、おもしろくなくて辞めてしまう子もいますでしょう。

花形選手にはうかがい知れない葛藤がそこにはあります。

 

 そこをどう乗り越えるか

 その立場で自分はどうしていくべきなのか

 チームって何だ?

 

悔しさや、時にはあきらめを抱きながら、きっと考えると思います。

 

そういう子の精神的な成長たるや、いかに素晴らしいものか。

バックアップ側に回らざるを得なかった子は、

その立場の痛みやつらさと共に、その存在の重要さも知っています。

社会に出たときに、それはとても役立つと思うんです。

 

ぐんぐん上達して、めざましい活躍。

あちこちから声が掛かって、モテモテのスター選手。

華々しいですよねぇ。

親御さんにしても、わが子の活躍はうれしいだろうし、自慢でもあるでしょう。

それもスポーツの良い一面でもあります。

けれど、親がそっち方面ばかりを向いて求めるのはちょっと違う。

 

強くなることだけ、記録を伸ばすことだけに意味があるんじゃないですね。

部活でオリンピックを目指すなんてことは、あんまりないですから。

たとえオリンピックに出場できるほどの実力者であっても、

それがすべてではないですよね。

一生オリンピックで活躍し続けることはないんですもの。

 

お稽古事や部活を通じて、何を学ぶか、何を得るかは、ひとりひとり違います。

目先の結果だけに振り回されるんじゃなく、

もっと遠くまで見て、お子さんのことを認めてあげてほしいなあ、

と思うことが多いです、ほんとに。