京都 四条高倉の占庭から

「何がやりたいの?」と訊かれても

今年もがんばって越冬してくれたアメリカンブルーが咲き、

オリーブのつぼみは丸々とふくらみ、アボカドがぐんぐん葉を増やし、

ミニトマトは色づく手前。

我が家の狭いベランダにも夏が訪れようとしています。

山の木々の緑も深くなってきましたね。

 

占庭は5月はなんだかゆっくりしているので、

ちょっとどこかへ旅にでも行きたい気分です。

どこがいいかなー? と考えてるだけでも楽しいもので。

旅先でちょこっと占い師をやってきてもいいかな。

いや、やっぱり旅は旅だけを愉しむほうがいいでしょうか。

 

さて、今日は仕事の選び方、働き方、ひいてはそれが生き方にも通じていくのかな、

ということを考えてみました。

このブログでも、個人個人の適職や、働く上での優先順位のつけ方、

仕事と生活とのバランスはどのあたりに設定するとよいのか? 

などについては、いくつか書いてきましたが、

今日は占いを介さない、というか、それ以前のことについて。

 

仕事を選ぶ時、まず最初に訊かれるのは、

「何がやりたいの?」

ですよね。

誰でもが言いがちなことなのですが、そこが明確に定まっている人って、

ほんとうにごく少数だと思うんですよねー

それならば、逆に「これは絶対イヤ!」「どうしてもムリ!」

と思うものは何か? から考えてみてもいいのかなと思います。

 

給料とはガマン料だよと、よく言われますが、選択する時点では、

どうしてもイヤなことや、ムリなものは除外していいでしょう。

じゃないと、ますます何がやりたいのかわからなくなってしまいます。

 

もうね、ふんわりでいいんです。考え始めは。

実際のところ、最終的な「コレがやりたい!」

が見つからない人だって多いのだから、

ギチギチに自分を追い詰めなくて大丈夫。

それに決めるかどうかは別にして、

「これならできるかな」

「ちょっとおもしろそうかも」

のあたりから徐々に絞っていきます。

でも、ここでもざっくりでいいです。

ざっくりでいいのですが、せっかく考えたことを忘れてはもったいないので、

必ずメモを取っておきましょう。

(このメモは大切なので、そこいらの紙の切れっ端ではなく、

 できたらちょっといいメモ帳やノートがいいですね。)

 

それと並行して、どう生きていきたいかなあ、

とこれまた、ぽやぽや~ っと考えてみる。

地元で暮らしたいか、生まれ育ったところではない土地で生活したいか、

いっそ海外はどうか、家庭をもちたいか、子どもが欲しいか、不動産を得たいか、

大金持ちになりたいか、そこそこの生活を確保できれば満足なのか、

趣味を愉しみたいか、仕事で成功者になりたいか、

など、思いつく限りのいろんな切り口で。

ここでは、できそう or できる気がしない の予測はせずに考えてみましょう。

 

で、次にそれらをふんわりと意識しながら、どう働きたいか?

を考えてみる。

サラリーマンか、フリーランスか、経営者になるか、商売をしてみるか。

また、何を自分の「ウリ」に据えるかも考えてみましょう。

資格を活かすか、技術を活かすか、何らかの自分の得意分野を活かすか、

年月をかけて経験を武器にしていくか、など。

 

そうして、ふんわりざっくり考えていると、

なんとなくの「像」がほわほわっとできてきます。

そこから、信用できる人たちの助言を受けたり、当たって砕けたりしながら、

「採用してもらえるところ」ではなく、まずは、

不本意ではない仕事」を得るよう、努力しましょう。

 最初から、天職に就ける人なんて、めったにいるもんじゃありません。

天職になっていくことはありますけれどもね。

なので、最初っから唯一無二の「天職は何なのか!?」

と気張り過ぎなくていいのです。

 

何をしたらいいのかわからない。

別にやりたいことなんてない。

 

という人は多いです。

そういう人は、覇気がないとか、意欲がないと言われてしまうけれど、

そんな人ばかりではありません。

職を得たら、そこで誠意を持って、精一杯の努力ができる人も、

その中には含まれているのです。

 

仕事で自己表現をしたいと望む人ばかりでもないですしね。

 

「どうせ自分は大したことができるような人間じゃないから、

 誰かの願いを叶えるお手伝いがしたい」

というような人もおられます。

 

また、

「自分がこの仕事をすることで、誰の生活が少し良くなったり、

 楽しくなったらうれしい」

という方も。

 

こういうスタンスは非常に利他的な選択のように見えますが、そうではないですね。

なぜなら、そこでご自身は確かな存在価値を感じられるだろうし、

力強い社会貢献につながってもいきます。

 

世の中の人がみんな、何かを成し遂げたいとか、成り上がりたいとか、

認められたい、なんて思ってるわけじゃないんだし、

そこを目標に掲げる就職ばかりでなくていいんです。

ただ、生まれたのであれば、死ぬまでの間に、何らかを社会へと還元していく、

ってことは生きる上での大事な役割のひとつでもあります。

まあ、それは生きていくなかで、意図せず果たしていくものなのでしょうけれど。

 

そうだなあ。

一生の折り返しをとうに過ぎたワタクシ。顧みて、

いったい何を社会へ還元できただろか。

と考えるに、自慢できるようなことはないですねぇ。