京都 四条高倉の占庭から

翻弄する人

10月から消費税が増税されまして、値上げ、値上げですね。

電車賃も値上がりしてるんですが、区間によっては据え置きのところもあって、

これは四捨五入してるんやろね、と家で話していました。

四捨五入。

これって、日本だけのやり方?

いやいや、世界基準だろう、と夫は言うんですけど、どうなんでしょうね。

 

 

占いのお客さまとお話ししてると、

この人は、周りを翻弄するタイプやなあ、と感じる方がおられます。

家族に翻弄されたりするのはごめんですが、

「男を翻弄する女」なんていうのは、ちょっと憧れませんか?

 

わたしは子どもの頃から、我を通す、というのが苦手でした。

周りとぶつかってまで自分の思いを通すのはしんどいわ、っていうタイプで。

だって、コトが大きくなると、それに対する責任が生まれるし、

うまくいかなければ非難されることだってあるわけで、そんなことを考えると、

いや、もういいです、、、、となっていたんですね。

要するにそこまで強い「我」ってのがなかったってことなんでしょうけど、

ワガママが言える人、譲らない人をすごいなあと感心したり、

時には、めんどくさいなあと思ったりしながら眺めていました。

 

翻弄する人というのは、斟酌、忖度なにするものぞとばかりに、

自分の意志や感情のままに、好き勝手ふるまい、突っ走る人、

というのが、わたしのイメージでした。

強くて、激しい。

そういう人はまぶしく、あんなふうに生きられたらさぞかし気持ちいいだろうなあ、

羨ましい。

と思ってもいたんですよ。

 

ところが、占い師になり、まさに翻弄するタイプの方とも話す機会が増えまして、

翻弄する人=ワガママ放題 みたいな考えはなくなっていきました。

なぜなら、翻弄している当の本人が、すごく苦しんでらっしゃるケースが、

思いのほか多かったので。

当たり前ですが、翻弄してやろうとしてやっている人は、

めったにおられません。

意図的にやっているならば、それは謀略。

ひとを陥れるはかりごとであり、悪だくみです。

そうではなく、必死に生きているだけなのに、

結果的に翻弄することになってしまう、とつらい思いを抱えておられるのです。

そうなってしまうのは不本意であった、ってことなんですね。

 

そういう方から見ると、わたしのような覇気のない人間は、

いつも穏やかでいいですね、と映るらしく、

羨ましいです、とか言われてしまって、えええ~~~! ですよ。

わたしも、自分らしくいるだけで、周りに波風を立てることになってしまう、

という方のつらさを知ると、単純に羨ましいとは言えないなあ、

と思うようになりました。

すみません。やっぱ、わたしはいいです。そういうの向いてないのわかってるし。

とスゴスゴ退却するような気持ち。

 

けれどもですね、そういう人をただ気の毒な人だとも思えないんですよ。

やっぱりそこには輝きがあって、わたしには得難い何かを持ちうる存在なわけです。

人間っていうのは、ほんまにないものねだりの天才やな、

というのは、占いを通していつも感じていることですが、自分もまさにそう。

 

どんな人でも、自分の手のひらにのっていないものを欲して、

落胆したり、焦がれたり、諦めようとしたりするのでしょう。

そうしてジタバタして死んでいくのが人の世ってもんだよ、

なんて達観したように言う人がいそうですけど、

ジタバタ、上等! ですよねぇ。

たぶん、そのジタバタもですね、結局は、自分の身の丈に見合ったジタバタしか

できないんじゃないかと思うんですよ。

それならば、失敗しないように、恥をかかないように、

とジタバタの手前で立ち止まらずに、命のある間、なるべく悔いを残さないよう、

存分にジタバタするほうが、人間らしいといいますかね。

わたしはひとは寿命が尽きるまで、ただ生きれば十分だと思っている派で、

生きる意味とか、目的とかは、案外どうでもいいんじゃないかと

考えているんですけれど、ジタバタくらいはしたほうがいいかなあ。

せっかく生まれてきたんですしね。自己満足ジタバタでいいと思うので。