京都 四条高倉の占庭から

キミ(あなた)は ひとりでも大丈夫な人だから

街路樹の紅葉が進んできています。

これから葉が落ち、枝だけの姿になるまで、意外と短いんですよね。

日中はよいお天気が続いていて、朝晩はしっかり冷えているので、

今年の紅葉は美しくなりそうです。

 

お客さまからいろんなお話をお聞きするわけですが、紅葉につきましては、

やっぱり嵐山が最高! というお声が多いですね。

また、永観堂東福寺なども、評判に違わぬ美しさだそうで。

その代わり、どこもたいへんな人出らしく、

「止まらずに歩いてください~~~!」とアナウンスされたりするんですって。

そりゃ、みんないい場所で写真を撮りたいですもんね。

思うことは同じなので、どうしても列は滞ってしまうということに。

いやあ、どんなにきれいでも、その人ごみに身を置く勇気と気力が湧かないわー

ってことで、毎年、近所や通勤途上の車窓から楽しんで終わりのわたくしです。

 

さて、恋愛や婚姻が破綻する際に、相手から、

「キミならひとりでも大丈夫だろ」

「あなたはひとりでも生きていける人だから」

と言われたことのある方、おられると思います。

愕然としますよね?

なんで? どうしてそう思うの? 勝手に決めないでよ!

と悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって混乱したに違いありません。

 

そんな風に言われてしまう人というのは、なんというか、

全体的にちゃんとしている感じのする、メンタルを含め安定感のある人です。

いろんな意味で大人で、自立していて、自分の感情をそのままぶつけたり、

相手をコントロールしようなんてことはせず、

相手の人間性をきちんと尊重しようと努めている人が多いです。

そういう人はシッカリして見えるし、何があっても自分を見失ったりしないだろう、

生活や精神を大崩れさせたりしないだろうと思われてしまいます。

 

たしかにそうでしょう。

でもね、だからといって、傷つかないはずはないし、苦しまないはずはないんです。

気持ちの弱い、もろい人と、その悲しみに差なんてないんですよ。

 

「キミなら大丈夫」と言って去る人は、ずるい。身勝手です。

そんな言い草はフル側の後ろめたさを軽減するためのものでしかありません。

相手のダメージを軽んじ過ぎ。

「この人は自分がいなくてもなんとかやっていくだろう」と思いたいのでしょうが、

人をないがしろにするのもたいがいにせぇよ、と言いたいです。

 

逆に「あなたならひとりでも大丈夫」と言われない人はどういう人なのでしょう?

依存されてる感が強くて、この人をフッてしまったら壊れてしまうかもしれない、

もしくは、ものすごく恨まれそう、

なんて思える人、でしょうか。

そういう人をフルことだってあると思うんですけど、

その場合は、どんな言い方で去っていくんでしょうね。

「あなたには、わたしよりももっといい人がいるはず」とか、

「ぼくではキミを幸せにできそうにない」とか?

 

どれも、ありがちで、耳触りのいい言い方ですけれど、

それらは全部、保身以外の何ものでもありませんからね。

もし、こんなことを言ったことがある人がいらしたら、

ちょっと反省してもらいたいところです。

  

だいたいね、

「ぼくにはキミしかいない」

「あなたを失ったら、わたしは生きていけない・・・・」

なんて言う人は、しばらくは自暴自棄になるかもしれないけれど、

予想外に早く、次なる依存先である ”キミ” や ”あなた” を見つけ、

新たなる恋愛や婚姻に没入していかれるものです。

 

それよりは、一方的に「ひとりでも大丈夫」烙印を捺されてしまった人が、

自分の何が悪かったのか、どこが至らなかったのだろうか、と長く傷を引きずり、

気持ちを転換できないまま苦しまれていることがどれほど多いか、ですよ。

 

失恋でも離婚でも、一旦愛した人を捨てるのであれば、

相手を傷つけ、自分も傷つく覚悟くらいするべきでしょう。

その傷を少しでも軽く・・・・なんて小細工は何の効果もありません。

人と関わっていくということは、傷つく、傷つける、

を避けては通れないのですから。

 

スピッツ「ありがとさん」

京都もそろそろ紅葉シーズンに入ってきまして、

観光に来られる方も、ぐっと増えてきている模様です。

電車も週末は増便されていますしね。

占庭でも今日、遠方からのお客さまがありました。

いろんなところで発信されていますが、観光シーズンの京都は、

バスがなかなか動きません。

降りて歩いたほうがずっと速いやん、ってことも多いです。

縦横の移動は、できるだけ地下鉄を利用されるといいですね。

お天気がよければ、レンタサイクルもぜひ。

 

最近、スピッツの新しいアルバム「見っけ」を繰り返し聴いています。

スピッツの音楽は好きで、長年聴いていますが、ライブには1回しか行ってなくて。

なかなかチケットも取れませんしねー

 

先日、NHKの「SONGS」に出演されてるのを見てて、へぇ~ と思ったのが、

草野くんが(いつも草野くんって勝手に呼んでるので、くん、で。すみません)

「音楽がやりたいんじゃなく、バンドをやりたかった」というくだり。

だから、ソロでやるとか、バンドを解散するとか、考えたことがない、

という話でした。

 

今年の夏、車山高原から軽井沢、那須と車で旅行した時に、

スピッツのアルバムをたくさん聴きながら走りました。

毎回、どこかへ遠出する際は「今回はコレ」とミュージシャンを絞って

CDを持ち込みます。

そう。我が家では、まだ音楽はダウロードするものではなく、CDなんです。

で、今回はスピッツ特集だったんですね。

まあ、贔屓だからというのもありますけど、スピッツは名盤がたくさんあります。

その中でも、わたしがやっぱりこれが一番好きだなあ、と思ったのは、

「三日月ロック」でした。

スピッツは、ポップスみたいなイメージを持っている人あるかもしれませんが、

ロックバンドなんですよ。

わたしも元々ロック好きっていうところもありまして、

ロックテイストの強いものに惹かれてしまうのかもしれませんが、

「三日月ロック」は数年ぶりに聴いても、「ああ、懐かしい」にならないんです。

何度聴いても、常に「いま」ゴキゲンに聴けるアルバムなのです。

 

それで、今回の「見っけ」ですが、期待を裏切らない、わたしの思う、

「好きなスピッツ」がそこにあって、うれしいです。

この中の「ありがとさん」という曲がとても好き。

恋愛のせつなさと、はかなさが、甘すぎず、リアルに迫ってきます。

”きみと過ごした日々は やや短いかもしれないが” や

”いつか常識的な形を失ったら” なんて歌詞がいいです。

やや短いかもしれないが なんて、ふつうはラブソングに採用しないだろうし、

常識的な形 って何? なんて思った次に意外な種明かしがあり、

ふふ って、微笑んでしまいます。

なんかスピッツらしいな、ってうれしくなるんですね。

 

さりげないけど、上質な恋愛マンガを一篇読んだような気持ちになる曲です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=I24azAvtwu8

 

フリーメイソンとタロット

これからの季節、電車やバスを使っての通勤は、風邪をもらいそうで、

ちょっとイヤです。

インフルエンザの予防注射も、どれくらいの時期にするのがよいのか、

迷うところでもあります。

 

今朝、電車で、隣に座った年配の女性は、孫娘さんと連れ立ってらして、

会話の端々から、北海道から来られて、宝塚を観劇されたようでした。

孫娘さんの「どんな内容だったの?」のお返事が、

「えっとね、月組のナントカさんを中心としたもの。

 最後にクジャクの羽をつけて階段を下りてくるのがすごかった」

だったのが、なんとも愛嬌があって、クスっと笑ってしまいました。

また、4,5人のグループで乗ってきた高校生男子たちのひとりが、

リーダーの子に「どこの駅で降りたらいいの?」と訊いたところ、

「ヨジョウ」と答えたのもおもしろかったです。

四条をヨンジョウと読んでしまうのはまだ想定の範囲内ですけど、

ヨジョウは意外。

こういうおもしろさに出会えるのが、電車通勤のいいところですね。

 

その通勤時に、長いことかけて読んできた本もあと少しで読了です。

フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』という、わたしには珍しく硬い本。

10年くらい前に、形見分けのようなかたちでわたしの元へきました。

なにしろ難しそうなので、なかなか読めずにいたのですが、

新書で軽いので、電車やバスの待ち時間にちょうどいいかと持ち歩いていました。

乗り物酔いするので、動いているときには読めないため、

ほんとに短い隙間時間に読んできました。

フリーメイソンって、なんか怪しげな秘密集団というイメージだったのですが、

ものすごく大きな団体で、思っていたより秘密っぽい雰囲気ではありませんでした。

 

なんか、秘密結社とかいうと、儀式で生贄とか捧げてる地下組織、

みたいな想像が広がってしまうんですけど、これ、わたしの場合、

昔の子ども向けTVの戦隊ものとかの敵役のイメージからきてるようなところが

 あるんじゃないかと思います。

なんだかよくわからないけれど、世界を陰で操っている悪の組織、みたいな。

幼稚な想像ですみません。へへへ。

 

当たり前ですが読んでみたら、全然そういうものではありませんでした。

それよりも、フリーメイソンに入っていた西欧の著名人の多さにビックリでしたね。

あの人も? この人も! って感じで。

モーツァルトのオペラ『魔笛』が、フリーメイソンの参入儀礼を描いている、

だなんて、全然知りませんでした。

そもそも、『魔笛』自体をちゃんと聴いたことすらないので、論外なんですけどね。

 

そういう知らないことだらけの、へぇ~~~ボタン連打の内容だったのですが、

中にはタロットカードの絵柄に共通するようなところもあって、

おお、そうなんや! とわかる部分もほんの少しですがありました。

 

たとえばこの「Ⅱ 女教皇」のカードです。

 

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黒と白の柱がありますね。

これは、ソロモン王が築いた神殿にあったとされる支柱で、

B(Boas ボアズ)は神の峻厳を、

J(Jahkin ヤキン)は神の慈悲を表している、

と以前に読んだ本にありました。

ところが、このBとJの2本の柱が、フリーメイソンの参入儀礼のところで

現れたので、ええっ? となりました。

実はこの女教皇のカードは、ウェイト版と呼ばれているものの絵柄です。

ウェイト博士という人が、元々のマルセイユ版のタロットカードを編み直したので、

ウェイト版と呼ばれているわけですが、マルセイユ版の女教皇のカードには、

柱は描かれてはいないんですね。

このウェイトさんは「黄金の夜明け団」という西洋魔術結社、秘密結社の人、

だったんです。

てことは、黄金の夜明け団は、フリーメイソンとなんらかの関係があったよね?

とググってみましたら、創設者の3名がフリーメイソンの人であった、

ということで、大いに納得しました。

分派し、完全に違う組織ではあったようですが、流れを引いてはいたということで。

教皇の絵柄が、ウェイト版ではエジプトの女神イシスっぽい姿をしている

というのも、これで納得できました。(フリーメイソンではイシスも重要な存在)

 

ウェイト版には、エジプト系のモチーフが多用されているのですが、

それは、元々、タロットカードの発祥の地はどこか? という謎があって、

昔はエジプト発祥説が根強かったこともあり、

エジプトの匂いをつけたかったんだろうなあ、と勝手に思っていたのですが、

フリーメイソンにも、エジプト色みたいなのが、あちこちに顔を出しているので、

そっちだったのか~ 

と、予想外の勉強になり、おもしろかったです。

本は世界を広げ、つないでもくれるんですねぇ。

子どもを信じるには

本日は気持ちのいい秋晴れです。

休みの日がお天気だとうれしくなりますね。

いつまでも暑い日が続いていましたが、さすがにもう秋です、秋。

ということで、やっとこさ扇風機をバラして洗って、ベランダで乾かしています。

 

そして、2年に一度の乳がん検診を受けてきました。

(1年おきだと千円で受けられます)

占庭のお客さまのなかにも、検診で見つかった方が数名おられます。

もらったリーフレットによると、40代と60代が特に多いのだそう。

もっと早くに行っておけば、、、

と後悔しないよう、みなさん、どうか検診に行ってくださいね。

 

先日、流れてきたツイートで、なるほどなあ、と唸ったのがこれ。

 

 ヤギの人(秋)@yusai00

あまりに過保護で心配性な親って、子どもを信用してないんじゃなくて、親としての自分に自信がない事の裏返しなのかも知れない。自分の自信のなさを、子をコントロールすることで解消しようとしているんじゃないだろうか、そんな事をふと思った。この場合、子どもが信頼されてるかどうかは関係がない。

 

もれなくわたしも、心配性な親なので、ちょっと耳が痛かったです。

過保護、過干渉、心配性な親御さんは、それはもうたくさんおられます。

親側からのお話も、子どもさん側からのお話もいっぱい聴いてきました。

そのなかで、心配性で、つい手や口を出さずにいられない親というのは、

 ・単純に子どもをかまいたい人

 ・世話を焼くことに自分の存在意義を見出している人

 ・子どもの失敗は親である自分の育て方の失敗だと非難されたくない人

 ・とにかく子どもに苦労させたくない人

 ・いつまでも親として特別な存在でいたい人

 ・愛情に飢えさせることを恐れ、加減がわからなくなる人

などに分けられるかなあと思っていたんですが、この、

「親としての自分に自信がない」というところ、

これらすべて 物語っていますよね。

 

そっかあ~

でもなあ、みんな自信を持って親になっているわけじゃないですもんね。

むしろ自信なんてカケラもなくて、必死で育ててるのが実際のところだろうと

思うのです。

にわかに自信は持てるもんじゃないので、自信はなくてもいいから、

なるべく口や手を出さないようにして「できるだけ見守るようにする」

を心掛けるだけでも、過干渉を抑えられるのではないかと思います。

子どもを信じるっていうのは、自分を信じることでもあるんですね。

たしかにそれは難しい。

 

そしてこう続きます。

 

相手に優しくすることで自分の弱さを補おうとする人が時々いる。でもそれはあんまり上手くいかない。自分の欠点を埋めるために相手を利用する事になるから。自覚的な場合はまだ反省できるけど、無自覚な場合は失敗しても「あんなに尽くしたのになんで離れていくんだ」って相手への恨みつらみがつのる。

 

気が弱くて、優しい人だと認知されることはよくあるわけですが、

この場合は、逆で、優しくあることが先行しています。

わたしは優しくすることで、自分の弱さを補う行為を、

そんなにダメなことだとは思えないんですよ。

そういう生き方だってあると思うし、悪くないです。

ただ、それが意図的なテクニックだったら、やっぱりすごくイヤだなあ。

優しければ、相手を傷つけなければ、それでいい、というわけではないですもん。

 

というように、

 なるほどなあ

 ほんとにそうだろうか? 

 それでももしかしたら

などと、いろいろぐるぐる考えます。

もちろん答えは出ないし、たぶん正解もない。

けれども、そうすることで、自分の考えを改めて見つめ直すことにもなるので、

まったくの時間のムダではないんですよね。

いい刺激になります。

 

「ヤギの人」さんは、僧職(ヤギだけに草食ではなくて)の方なのだそうです。

ヤギが好きだからヤギの人なんですけど、ヤギの写真だけじゃなく、

よく「ううむ・・・」と考えさせられるつぶやきが流れてきます。

ツイッターで、見ず知らずの方のつぶやきから学ぶことは多いです。

そりゃ、どうしようもなくげんなりするようなツイートもありますけれど、

それはそれで社会のひとつの顔でもあるのだから、しょうがない。

SNSは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスですもんね。

ソーシャルの善悪、清濁ごちゃまぜです。

でも、どっちかだけでもおかしなことになりそうですしね。

それはそれで実は健全なのかもしれません。

あたたかいってうれしい

ものすごく大きな台風が東海、関東方面へと向かっています。

台風からの雨雲が、日本列島全体を覆いそうなくらいの大きさです。

関西は台風の進路からは外れているのですが、昨夜から雨が降り続き、

風もだんだん強くなってきました。

占庭も本日は臨時休業させていただくことにしました。

申し訳ありません。

 

いい季節の三連休で、ご予定のあった方もたくさんいらっしゃると思います。

今日から明日にかけて、台風があまり被害を及ぼさず、

早く過ぎてくれることを祈るほかありません。

みなさまもどうぞお気をつけください。

 

 

昨日は定休日で、わたしはヨーガのレッスンに行っていました。

台風前で、湿気を含んだ生ぬるい空気の日だったので、先生が、

こんな日は、陰ヨガにしましょう、とゆったりしたレッスンとなりました。

レッスン最後のシャバーサナ(脱力して仰臥するポーズ)の時、

先生が小さなブランケットを腰から下に掛けてくださいました。

いつものレッスンのときは、筋力を使うポーズも多いので、

最後は身体が温まっているし、元々冷え性でもないので、

いままでブランケットを掛けてもらってはいなかったんですね。

(掛けてほしい人は手を挙げて掛けてもらいます)

昨日も、掛けてほしい人? と先生が尋ねられたなら、

たぶんわたしは手を挙げなかったと思います。

けれども、陰ヨガだったし、ということで、先生が掛けてくださったわけです。

 

その、ブランケットを掛けてもらった時ですね、

ふわっとやさしく静かに掛け、足元にすき間ができないよう丁寧にくるみ、

両足先をブランケットの上から、そっと包むように握ってくださったんです。

その慈しみに満ちた、愛情深い動作に、ぐっと胸がつまりました。

心が波立って、うっかり泣きそうになったほど。

きっと、先生のなさったことが、ただブランケットを掛ける「作業」ではなく、

おつかれさま、冷えないようにね、という気持ちがこもったものだということが

ダイレクトに伝わったからでしょう。

 

こんなふうに誰かから、やさしく丁寧に大切に扱ってもらったのは、

いったいいつ振りだろうか・・・・

と忘れかけていた感覚に再会した気持ちでした。

 

相手を思いやる気持ちっていうのは、こうして伝わるんだなあ、

と改めて思いました。

わたし、家族をやさしく丁寧に大切に扱っているかなあ?

と思い返すまでもなく、ぞんざいにしている自覚、ありありです。

自分がしてもらってうれしかったことは、自分も誰かにしていきたい。

思えば、子どもが小さい頃は、お布団を掛けるときも、

そんな風にしていたはずなんですよね。

愛情っていうのは、当たり前の日常のなかで、

どんどん意識から外れていってしまいますね。

時々、ちゃんと意識してつかみ直さないと。

 

わたしの仕事は誰かの身体に接していくものではないので、

直接ブランケットを掛けて、温めることはできないけれど、

言葉を選んでかけていくことはできます。

昨日、ヨーガの先生から感じたような気持ちを

ゲストの方にも感じてもらえるようになりたい、

と強く思いました。

 

あたたかくあるということはどういうことなんでしょう。

手間と愛情を惜しまない、ってことかしら。

いつもいつもそうあるのは難しいと思うけど、

大事なところでそれをすっ飛ばさないようにと、心しておきます。

翻弄する人

10月から消費税が増税されまして、値上げ、値上げですね。

電車賃も値上がりしてるんですが、区間によっては据え置きのところもあって、

これは四捨五入してるんやろね、と家で話していました。

四捨五入。

これって、日本だけのやり方?

いやいや、世界基準だろう、と夫は言うんですけど、どうなんでしょうね。

 

 

占いのお客さまとお話ししてると、

この人は、周りを翻弄するタイプやなあ、と感じる方がおられます。

家族に翻弄されたりするのはごめんですが、

「男を翻弄する女」なんていうのは、ちょっと憧れませんか?

 

わたしは子どもの頃から、我を通す、というのが苦手でした。

周りとぶつかってまで自分の思いを通すのはしんどいわ、っていうタイプで。

だって、コトが大きくなると、それに対する責任が生まれるし、

うまくいかなければ非難されることだってあるわけで、そんなことを考えると、

いや、もういいです、、、、となっていたんですね。

要するにそこまで強い「我」ってのがなかったってことなんでしょうけど、

ワガママが言える人、譲らない人をすごいなあと感心したり、

時には、めんどくさいなあと思ったりしながら眺めていました。

 

翻弄する人というのは、斟酌、忖度なにするものぞとばかりに、

自分の意志や感情のままに、好き勝手ふるまい、突っ走る人、

というのが、わたしのイメージでした。

強くて、激しい。

そういう人はまぶしく、あんなふうに生きられたらさぞかし気持ちいいだろうなあ、

羨ましい。

と思ってもいたんですよ。

 

ところが、占い師になり、まさに翻弄するタイプの方とも話す機会が増えまして、

翻弄する人=ワガママ放題 みたいな考えはなくなっていきました。

なぜなら、翻弄している当の本人が、すごく苦しんでらっしゃるケースが、

思いのほか多かったので。

当たり前ですが、翻弄してやろうとしてやっている人は、

めったにおられません。

意図的にやっているならば、それは謀略。

ひとを陥れるはかりごとであり、悪だくみです。

そうではなく、必死に生きているだけなのに、

結果的に翻弄することになってしまう、とつらい思いを抱えておられるのです。

そうなってしまうのは不本意であった、ってことなんですね。

 

そういう方から見ると、わたしのような覇気のない人間は、

いつも穏やかでいいですね、と映るらしく、

羨ましいです、とか言われてしまって、えええ~~~! ですよ。

わたしも、自分らしくいるだけで、周りに波風を立てることになってしまう、

という方のつらさを知ると、単純に羨ましいとは言えないなあ、

と思うようになりました。

すみません。やっぱ、わたしはいいです。そういうの向いてないのわかってるし。

とスゴスゴ退却するような気持ち。

 

けれどもですね、そういう人をただ気の毒な人だとも思えないんですよ。

やっぱりそこには輝きがあって、わたしには得難い何かを持ちうる存在なわけです。

人間っていうのは、ほんまにないものねだりの天才やな、

というのは、占いを通していつも感じていることですが、自分もまさにそう。

 

どんな人でも、自分の手のひらにのっていないものを欲して、

落胆したり、焦がれたり、諦めようとしたりするのでしょう。

そうしてジタバタして死んでいくのが人の世ってもんだよ、

なんて達観したように言う人がいそうですけど、

ジタバタ、上等! ですよねぇ。

たぶん、そのジタバタもですね、結局は、自分の身の丈に見合ったジタバタしか

できないんじゃないかと思うんですよ。

それならば、失敗しないように、恥をかかないように、

とジタバタの手前で立ち止まらずに、命のある間、なるべく悔いを残さないよう、

存分にジタバタするほうが、人間らしいといいますかね。

わたしはひとは寿命が尽きるまで、ただ生きれば十分だと思っている派で、

生きる意味とか、目的とかは、案外どうでもいいんじゃないかと

考えているんですけれど、ジタバタくらいはしたほうがいいかなあ。

せっかく生まれてきたんですしね。自己満足ジタバタでいいと思うので。

占い師から「言葉を買う」ということ

鴨川の川床の撤去が始まっています。

金木犀が香り、見上げればすっかり秋の空になっているというのに、

気温だけがまだ夏のまま。

10月に入っても、半袖、サンダルで汗だくです。

心身にこたえますねぇ。

 

占庭が入っていますビルが、いま、水漏れしていて、お手洗いの照明が使えません。

大家さんが懐中電灯を置いてくださっているのですが、

昼間でもやっぱり相当暗いです。

修理まで、まだしばらく日数がかかるそうですので、

おいでになるお客さまは、できたら用を済ませていらしてください。

暗いお手洗いって、それだけでめっちゃ不安になるし、不便です。

ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。

 

今年は、なんだかとても忙しくなり、メールや電話での占いを

お休みさせていただいていました。

が、夏を越え、ちょっとゆとりが出てきたので、少しずつお受けしていこうかな、

と考えています。

メールや電話での占いは、見料を先に振り込んでいただいたり、

返事に数日頂戴することになるので恐縮なのですが、

もし、ご希望がありましたら、ホームページのこちらの [予約方法] から、

お問い合わせください。http://kyotouraniwa.web.fc2.com/03charge.html

またすぐに休止することになったら、ごめんなさい。

 

基本的に、情報量としてのコスパは対面占いが格段によいので、

わたしとしましては、どうしても対面占いをお勧めしたく、

お近くにお住いの方は、どうか占庭まで足をお運びいただきますよう、

お願いしたいです。

 

 

今日、こんなツイートが流れてきました。

 

カツセマサヒコ
 
@katsuse_m
 
八百屋で野菜を買うように、パン屋でパンを買うように、占い師から、言葉を買いにいく。そう考えると、「占い」は信じる・信じないではなく、自分専用の言葉を売ってくれる場所であり、人なのだと、気付かされます。

 

これは、実際に占い師に占ってもらった経験のある人ならば、

ああ、ほんとそう、っておわかりいただけると思うんですよ。

そして、それこそが対面占いの一番いいところなんですよね。

こんなふうに、大事なところを簡潔に、わかりやすく切り取って表現できる、

カツセマサヒコさん、すごいです。

 

個人を占うということは、その人のためだけの占いをするということです。

ゲストの言葉を聴き、占い、それぞれの占い師の言葉で答えていく。

ストンと腑に落ちることもあれば、そうでないこともあるでしょう。

そこで、

 当たるの? 信じていいの?

ということが気になるのは、もちろんわかります。占いなんですしね。

けれども、そこにとらわれすぎるのは、もったいない気もするんです。

 

友人でも恋人でも家族でもない人から、自分だけに発せられた言葉を味わう、

って、なかなかないことだと思うのです。

占いに行くというのは、言葉を買うというよりは、その経験を買いに行く、

のほうが近いかもしれません。

 

占い師は、言葉に対して真剣です。

適当にごまかしたり、マウンティングなんかしたら言葉は死んでしまう、

ということを知っています。

 

占いでお話しすることは、ひとりひとり違います。

だって、人の生き方は多様で、多彩ですからね。

誰もが唯一無二なんです。

そして、普段はさらすことのないコアな部分にも触れさせてもらえるのは、

わたしが占い師だからです。

この仕事を通して、わたしはたくさんのことを学びましたし、

それによって人生が豊かになったのは間違いありません。

占い師って、胡散臭いとか思われがちですけどね、実にすてきな職業なんですよ、

と言いたいです。