京都 四条高倉の占庭から

人相が悪くなる心持ち5つ

おかげさまで、ずっと忙しくさせていただいていた占庭ですが、

今日はどうしたことか、ガラ~ン! 

えっと、今日は日曜よね?

とカレンダを見るわけですが、ま、そういう日もありますよね。

こういう時は、普段できない「ゆっくり」を味わおうと、

久し振りに近所の定食屋さん(ここ、穴場なんですよ)に行ってきました。

平日はサラリーマンでいっぱいのお店ですが、土日の早めの時間は空いています。

しっかり食べて、お腹いっぱい!

今日の夕飯はもうお茶漬けでいいかも。

 

先日、このブログで、ヨーガの先生が、

「自分を自分でちゃんと褒めない人は、顔つきが悪くなっていくのよね」

とおっしゃった話を書きました。

そうなんです。

手相よりもずっと変化が著しいのが人相です。

 

人相っていうのは、占い師はチェックすべきポイントを押さえて観ていくわけですが

別に占い師でなくとも誰だって顔を見て感じることはありますよね?

穏やかそうな人だな、とか、神経質っぽい感じ、とか。

もちろん、その人その人の性格や本性が、そのまま顔に全部は出ないけれど、

大なり小なり、みんな、顔を見てなんとなく判断しています。知らず知らずに。

 

だいたい若い人よりも、中年以降の方のほうが、よく出ていてわかりやすい。

長い年月、どういう心持ちで生きてらしたかは、お顔に刻まれている、

ということです。当然ですよね。

笑顔ひとつとってみても、心からの笑顔か、作り笑顔か、おもねった笑顔か、

自虐の笑顔か、慈愛の笑顔か、なんとなくわかるものです。

それらは表情が語りかける部分が大きいのですが、占いによる人相となると、

やっぱり「いい人相」「よくない人相」があるわけです。

福相・貧相と言ったり、吉相・凶相と言ったりします。

 

福相っていうと、耳が大きいんでしょ? いや耳たぶが豊かなのがいいんでしょ?

みたいに、みなさん、どこかで聞いておられることもおありでしょう。

けれども残念ながら、そんな記号のようにわかりやすくはないんですよねー

「大きな耳」にしてみても、厚み、張り出し方、色つや、形など、

観るべきポイントがいくつもあるもので。

福々しいたっぷりとした耳は、いかにも福相に感じられますが、

福相であるかどうかは、耳だけではなく、全体を総合的に観ての判断、

ということになります。

 

誰でも凶相にはなりたくないし、福相だと言われるとうれしいもの。

では、自分で人相は変えていけるのか? 

ってことですよ。

意識することで手相を良くしていくことは難しいと思いますが、

人相はある程度変化させられると思っています。

いままでたくさんの方とお会いし、お話ししてきて、

人相が悪くなっていく心持ちがいくつかあると感じているので。

 

まず「恨む」。

恨む対象は、人であったり、出来事であったり、運命であったりと色々ですが、

常に恨みを抱いて生きてらっしゃると、凶相になっていくようです。

ずうっと、つらいところに注目し続けているということで、

絶え間なくご自身の心の傷から血を流している状態です。

 

次に「憎む」。

恨むとどこが違うのか、って思われるかもしれませんが、

憎む方がエネルギーが強く、このエネルギーは負から正へと転換できる可能性を

感じられる分、恨むよりはマシ。

 

三つ目は「責める」。

こちらは他人を責めるだけではなく、自分を責めるのも含まれます。

責めるというのは、元々は改善を求めるためのものだと思うのですが、

責めることが目的になってしまうと救いがありません。

 

四つ目は「悔いる」。

他人に向ける憎悪ではないのですが、いまさらどうしようもないとわかっていながら

後悔の呪縛から解かれないというつらい状態です。

これは、自分で「もう悔いるのはやめよう」と決意しなければ終わりがありません。

逆に言えば、終わらせることが可能であるということ。

 

最後に「優位に立つことに囚われる」。

ビジネスなどで優位に立つために努力することはちっとも悪いことではないですし、

それで人相が悪くなるなんてことは、もちろんありません。

「少しでも自分の方が優位に立っていたい」が目的になってはいけないということ。

あの人よりも優位でいたい。

という気持ちは、抱きやすい感情ではあるのですが、冷静に考えてみれば、

なんちゅうちっこいことか、とわかるはずです。

「あの人」よりも絶対優位になれば、また次の「あの人」が現れるでしょうし、

そうして成長していく人もあるのかもしれませんが、スマートじゃないでしょ。

どうせならば、もっと高く、自分らしい目標を抱いて成長したほうがいい。

 

ということで、これらの感情をなるべく排除し、

やっぱり、感謝し、笑顔で生きていくことが人相をよくすることになるのです。

ええ、ベタですけれどね。

何をどういうても結局は、感謝する心持ちと笑顔は最強だな、

というところに帰着するのは占い師の実感です。

 

久々の長いブログになりました。

ヒマだったもので。えへへ。

「嵐電」

今日はちょっと寒さが緩んでいる京都です。

少ーしずつ陽が長くなり、高くなってきてもいて、

太陽の光や熱がじわじわパワーを得てきている気配がしますね。

春の片鱗がわずかずつ顔を出してきてはいますが、やっぱりまだ寒い。

花粉の便りは敢えて見て見ぬフリをして、しばらくは冬の名残を味わっておきます。

 

さて、今日は京都の映画のクラウドファンディングをご紹介したいのです。

主役は「嵐電」。

嵐電とはウィキペディアから引きますと

 

嵐山本線(あらしやまほんせん)は、京都府京都市下京区四条大宮駅から右京区嵐山駅までを結ぶ京福電気鉄道の軌道路線である。北野線と併せて嵐山線、通称嵐電(らんでん)と呼ばれる。

嵐山を始めとする洛西エリアの観光地への行楽路線であるとともに、繁華街である四条通へ出るための足ともなっている。

 

です。

嵐電(らんでん)〕と書かれているのを読んで、

そうか、ご存知ない方は、読み方に迷われるのかもなあ、

と思い至りました。

そう。

京都の人は迷いなく誰もが「らんでん」と呼んでいる、かわいらしい鉄道です。

ここを舞台にしたラブストーリーの映画が作られるのだそうですが、

監督・脚本が鈴木卓爾さんなので、直球のラブストーリーではないでしょう。

どんな「ラブストーリー」になるのか興味津々。

先日、主演が井浦新さんだと知り、ますます楽しみになりました。

 

で、この映画のクラウドファンディングの詳細がこちら。

 

motion-gallery.net

 

こんなに太っ腹で盛り沢山なリターンって、珍しいんじゃないでしょうか。

しかも、3,000円から応援できるので、お手軽です。

希望者はエキストラ出演できる、っていうリターンもあるんですよ。

これはとてもいい記念になると思うんですよねぇ。なにしろ映画だし。

京都や嵐電に愛着のある方、一緒にこのプロジェクトを応援しませんか?

 

映画はもうクランクインしているのに、こちらのクラウドファンディング

もひとつ盛り上がっていないような気がするのは、認知度が低いからじゃないか、

と思いまして、頼まれもしないのに勝手にPR。

だってね、嵐電好き、って人、多いんじゃないかと思いますもん。

 

しかし、この「京都芸術造形大学北白川派」って、なんかドキっとします。

どういう派閥なんやろ。

 

あ、そうそう。

こちらの映画を撮るに当たって、古い嵐電の映像を探しておられるそうです。

お持ちの方がおられましたら、ぜひご一報ください。

お願いいたします。

「わたしのせい」again 自分の魂を守ろう

2年前のブログを読み返してみると、いまも繰り返しお話ししていることを

書いていたので、お読みになってない方にも読んでいただけたら、とagainします。

 

「魂」なんて書いちゃうと、なまじ占い師という職業なもんで、

ちょっとスピ系の人? と誤解されるかもしれないのですが、

他に言いようがないのでねー

 わたしの考える「魂」とは、

ひとりひとりの非常にコアな部分。

何を信じ、疑うのか、どこに矜持をもち、どんな嘘を憎むか、

などが何層にも重なっている、とてもやわらかく、傷をつけたくないもの。

っていうイメージでしょうか。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

ちょうど今日、ヨーガの先生が、

「自分を自分でちゃんと褒めない人は、顔つきが悪くなっていくのよね」

とおっしゃっていて、ほんとにそうだな~ と思いました。

誰でもがんばっているところと、足りない部分の両方があるものなのに、

ある人は、がんばっている自分を「えらい、えらい」と認め、

ある人は、わたしはダメだ。もっとできるはずのことができていない、

と責めてばかり。

それがずうっと続いていくと、そりゃ人相も変わっていきますよね。

 

できている部分はちゃんと自分で評価し、

ダメな部分はできる範囲で改善していこう、と前を向くことが大事。

できなかった自分を責めるのは、後ろしか見てないってことですもんね。

できている部分とダメな部分の量や質を比べるのもナンセンス。

「ちょっとだけだけど、ココについては、イヤイヤながらもがんばった!」

「よくやったぞ、わたし」

と誰もいないところで得意そうに胸を張ってみるのもいいと思います。

そんな小さなことでも、あなたの魂は一瞬、誇りを取り戻し、愛に包まれます。

 

なんだ、一瞬取り戻してどうするの? 一瞬だけなんて意味ないわ。

と思われるかもしれないですが、そんなことはありません。

たとえ一瞬であっても、誇りと愛は魂の一番の栄養素。

ちゃんと沁みわたっていくと信じています。

また、自分で自分を愛することは、誰にも遠慮いりません。

イタイことでもありません。

 

さ、さ、誰はばからず、まずは魂をぎゅう~っと抱き締めてみましょう。

 

カードを伏せる? オープンにする?

三連休の初日、中日は占庭の営業日でして、最終日の昨日だけ、

家でのんびりしていました。

で、買ったままになっていた小豆を炊こうと思いついて、コトコト。

小豆のいいところは、洗ってすぐに炊けるとこですね。

火の通りも他の豆に比べると早いですし。

 

小豆の茹で汁には利尿作用があり、むくみ取りに最適、と読んだことがあったので、

茹で汁を残しておきまして、飲んでみました。

思ったほどアクは感じず(もちろんアク抜きした後の茹で汁ですョ)、

コクのある、どっしりした風味があり、ちょっと意表を突かれるお味。

ほー と思いながら、何度かに分けて飲んだのですが、

想像を超える利尿作用があり、そらむくみも撃退できるわ、と。

むくみがちな方、勝負を賭けたい日の前に、小豆の茹で汁、

いいんじゃないでしょうか。

何度も夜中にトイレに起きるので、睡眠の質は落ちるかもしれませんけれども。

 

さて、今日は少し、占いのお話を。

初対面だけに限らず、気心が知れるまでの間、相手に対して、

自分のカードを伏せておくタイプの方と、最初にオープンにする方がおられます。

猫型、犬型という分け方で、お話ししていきましょう。

猫型の人は、心を許せるかどうか確認できるまでは、一定の距離をとり、

差支えないカードだけを表にしておつき合いをされます。

犬型の人は、最初にお腹を見せて敵意や他意のないことを表したいので、

手持ちのカードを伏せるようなことはなさらない。

占庭のお客さまにもそれは言えて、占いに来られているんだけれども、

カードを小出しにされる方、できる限り情報開示してくださる方といろいろです。

 

猫型の方は、用心深く、自分のテリトリーをむやみに荒らされたくない、

というお気持ちが強いです。

いつでも身をひるがえすこともできるよう、相手の出方を見て、

自分のカードも開いていく感じ。

こちらのメリットは、いい関係が作れなかった場合のダメージが小さいことで、

デメリットは、誤解されてしまったり、本来の自分を出しそびれてしまうこと。

 

犬型の方は、自分のこともわかってほしいし、相手のこともわかりたい、

という気持ちがストレートに出るので、早く距離を縮めやすいメリットがあります。

基本的に、相手を認めたいし、いいところを見つけたいという善意の人が多い。

デメリットとしては、安く見られてしまったり、相手ペースにはまりやすいこと。

 

どちらも一長一短あり、どっちがいいとか、どっちのタイプがイイ人であるとか、

そういうことはないんですよね。

このあたりはもう性分ってもんで。

 

ただ、占いのお客さまとしましては、カードは伏せないでいてくださったほうが、

こちらもやりやすいし、いい答えにたどり着きやすいんですよ。

たまに本心ではないことをおっしゃる方もおられるので、

希望要望に沿うように運気を活かしていくには? 

というスタンスで占っているわたしは困ってしまうこともあるんですね。

ほんとうは別れたくないのに「別れようと思ってるんです」とかおっしゃると、

こちらとしましては、別れなくてもいいのに、という相性であっても、

本人が別れようと思うとおっしゃっているのだから、

どうにかいい別れ方ができ、次のよい運気につなげていただくには?

という思いで占うことになりますのでね。

本来、目指すべき道筋とは違う方角へ向かって努力することになってしまいます。

 

ですので、占いに来られる方は、できるだけたくさんカードをオープンに

なさっていただきたいです。

占庭は何でも話せる「場」なんですよ。

何を言ってもいいし、どんな希望をぶちまけてもいい。

それが可能かどうか、よいことなのかどうかは、気になさらず、

とにかく手持ちのカードを広げて見せてください。

よい占いはそこから始まるのだとご理解いただけるとうれしいです。

「婚姻制度と不倫」again

芸能人や政治家などの不倫報道が続いています。

こんなにニュースになるなんて、そんなに他人の不倫って気になるものなのかしら?

と不思議でしょうがないんですけれどもね。

当事者と家族にとっては大問題でしょうけれど、

赤の他人が断罪したり、そやしたりするのは、どうかと思うんですよねぇ。

 

先日もキョンキョンの不倫報道がありました。

その時思ったのは、

 キョンキョンって変わらへんねんなあ。

でした。

アイドルだった若い頃は勝手に髪を切ってしまったり、結婚したり、

既成のアイドル路線は行かず、ワガママと紙一重の独断専行の数々。

それをカッコイイと見せるだけの魅力もあったし、支持者も多かったんですよね。

今回の突然の公表も、それを思い出させるものがありました。

「世間から何を言われてもいい。罰は受ける」

という覚悟はよくわかりました。

芸能人として、そういうはみ出し方はアリなのかもしれません。

 

が、今回のことは自分ひとりのことではなく、相手があり、

さらに相手には妻子がいらした。

公表することでキョンキョン自身は、

 わたしは逃げない。

という態度を見せはった。

 

でも、わたしはそこにスカッとした潔さを感じることはありませんでした。

 そうすることでスッキリしたのはあなたひとりだけだよね?

という気持ちがどうしても拭えなくて。

 

で、以前にこのブログに書いた不倫の話を読み返してみました。

そうすると、今回のことは、不倫のマナーからひどく逸脱していたんやな、

と、わたしの不快感の原因がわかりました。

いや、不倫にマナーもへったくれもないやろ! と思われるかもしれませんが、

わたしは、

 不倫は何が何でも絶対ダメッ! 

というほど厳しいスタンスでもないんです。

占庭のお客さまの中でも、不倫で泣いている方、逆に精神が安定された方、

苦しむ人、元気になる人、いろいろですのでね。

 

けれども、不倫に手を染めるのならば、せめてこれくらいは考えて覚悟しようよ、

と言いたいことを書いたのがこちらです。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

うん。やっぱりいろいろ考えさせられます。

不倫を擁護する気はさらさらありませんが、

ただバッシングし、他人のプライバシーを暴露しておもしろがるのも、

たいがい下劣なことです。

その輪の中には入らないようにしたいです。

 

占い師なもんで、ついキョンキョンの命式を観てみました。

昨年から、きっとメンタルがブレブレやったんでしょうね。

もう少し発表を待っていれば、ソフトランディングも可能だったんじゃないかと

思わずにいられませんでした。

節分ですね

占い上では、この節分で酉年が終わり、明日の立春から戌年が始まります。

 

申酉天冲殺だったみなさん、終わりましたね。

ちょっとホッと息を抜いてください。

2年間、いかがでしたか?

申酉天冲殺の方はこの時期に離婚される人も多いですし、

人間関係全般がギクシャクしやすいので大変だったかもしれません。

停まっていた運気がやっと流れ始め、そこはかとない閉塞感も、

徐々に晴れていくでしょう。

ただ、戌年になって、いきなりパーーーッと晴れ渡るというのではなく、

少しばかりの歓迎しない変化が残る可能性もあるので、

ちょっとだけ用心もなさってください。

けれども、あってもそれは長くは続きませんので怖がらなくて大丈夫。

今年はスローに、次の新しい10年の流れに乗っていきましょう。

 

さて、明日から2年間の天冲殺に入られる戌亥天冲殺のみなさん、

ちょっと怯えてらっしゃいますか?

運気が停まると聞くと、不安にもなってしまいますよね。

けれども、天冲殺は「悪いことが起きる時期」ではないので、

過ごし方に気をつけていただければ、そんなに恐れる必要はありません。

特に、戌亥天冲殺の方は、申酉天冲殺の方のように人間関係がもつれるなど、

目立った影響は出てきません。

ただ、普段から悩みや葛藤を抱きやすい傾向があり、

この時期にこじらせてしまうことはままあるので注意が必要です。

考え込んで悩みを生み出し、それを熟成し、ガスを膨れ上がらせることのないよう、

うまく気分転換をし、煮詰まらないよう気をつけましょう。

メンタルさえそこそこ安定していれば、比較的穏やかに過ごせるはずです。

 

また、今年来年にめぐり来ているふたつセットの星は、おひとりおひとり違うので、

それらのそれぞれ別の影響、対処方法につきましては、個別にお訊ねください。

 

昨年の節分に書いた、天冲殺の方へのこの2年間の過ごし方のポイントを

コピペしておきます。

 

まず、来年以降の10年間を見据えて、

 自分はどうしたいのか?

 どうなっていきたいのか?

という意思と望みを意識していってください。そして、

 そのためには、何が必要なのか?

 どんな準備や計画をしておかねばならないのか?

をなるべく現実的、具体的に考えていきましょう。

 

この時期、結果や、成果に対する評価を期待する時期ではありません。

必死にアウトプットしたところで、手応えを得るのは難しいでしょう。

2年間、ご自身の中をもう一度、磨き直してくださいね。

 

では、その手順をまとめておきましょう。 

まず、これまでの自分を省みる。

反省すべきところは反省し、変えていく努力、補填する努力をしていきましょう。

ここで、もうひとつ大事なのは、がんばってきた部分を褒めてあげること。

きちんと褒めて、そこをもっと伸ばすにはどうしたらよいのかを考えます。

要は、等身大の自分自身を再確認するということですね。

過大でも過小でもない認識をするための、客観的な目が肝要となります。

 

現在のご自身を正確に把握できたならば、その自分をワンランクUPさせるぞー!

という意識を明確に持ちましょう。

どこをどうUPさせたいのかがわかると、どこからどう手をつけていけばよいのか、

道筋も見えてきます。

 

後は、地道な努力を続けるだけ。

その努力に対する評価は、自分自身が下す正当な判断のみです。

他人に、褒められようが、くさされようが、一喜一憂せず、

この期間は、サラーっと流してください。

あくまで自分目線で、ご自身を見つめることです。

 

そうして怠らないでいると、再来年の節分が明けるころには、

いまよりももっとピカピカになった自分で、また流れ始める新しい次の運気に

うまく乗っていくことができるのです。

 

運気が滞っている最中に、ものごとがスイスイ流れるはずがありません。

うまくいかなくて当たり前。

しんどさを感じることがあっても、そう考えて焦らないことです。

焦って、あーでもない、こーでもない、を繰り返すと、体力は消耗するわ、

気力は萎えるわで、ロクなことになりません。

つらいですが、辛抱のし時だと言い聞かせながら、やり過ごしてください。

 

また、お墓参りなどの先祖供養も忘れずに。

 

結果を出そう、評価を得よう、勝負に出る、という外向きのチャレンジではなく、

今後のために勉強する、資格を取る、お稽古事を始めるなど、

ご自身の内側を底上げするためのチャレンジは大いになさってください。

レベルアップのための2年間を上手にお過ごしくださいね。

 

滞り感や閉塞感を感じられたら、占庭へおいでください。

客観的な現状と、これからの心の持ち方のお話をいたします。

しんどい時は占いに頼ってみるのもひとつです。

というか、そういう時のために占いはあるようなものですしね。

文学賞と『こちらあみ子』

このブログを書くようになって丸2年が過ぎました。

1年目はマメに更新していたのですが、だんだんと間遠になって、

最近はポツンポツンとしか更新できていません。

今年は昨年よりは更新の努力をしたいなと思っています。

どうぞおつき合いください。

 

今日は久し振りにカテゴリ読書で。

昔は頭がおかしいんちゃうかってくらい、本を読まずにいられなかったのですが、

それもだんだんとフツウの本好きくらいになって、いまやごくフツウの読書量。

子どもの頃は小説家にも憧れていましたが、いつごろからか、

自分で物語を書くなんてことは、まったくしなくなりました。

それだけ自分で何かを生み出す欲求が薄くなったということでしょうかね。

 

それは年齢のせいだと思っていたのですが、わたしよりも年上の友人が、

先日、文学賞を受けられ、やっぱ年のせいじゃなかったな、と改めて感じました。

創り出す情熱があるかどうか、ってことなんですね。

 

ずっと小説を書いてらっしゃるのを知っていたので、受賞はものすごくうれしくて。

ご自身は案外、それほど喜ばれてなかったんですけど、わたしを含め、

周囲の人間たちの尋常ならざる喜び方といったら、もう大騒ぎでした。

長年の努力が実った喜びというよりは、こうして続けてこられたことが、

いちばんよい形で報われはったと思えて、うれしかったような気がします。

世の中捨てたもんじゃないな、と思えるようなうれしさというか。

 

わかりにくいですかね?

うーんと、がんばりに対する成果、というような「達成感」「成功感」とは違って、

真っ当な、人の想いに対し祝福がもたらされた、

って感じの温かさがあったんですね。

それはそれは予想をはるか超えるうれしさに包まれたのでした。

自分でも、何がそんなにうれしいのか謎なくらいで。

その幸福感は、どうもご自身よりも周囲の人たちの方がより強く感じられたようで、

不思議なものですね。

受賞されたその方のこと、みんな大好き、ってことも大きかったのですけれどね。

自分にはとてもできないことを成し遂げてくれはって、ありがとう!

みたいな気持ちもどこかにあったかもしれません。

自分は何もしていないのに、とにかくとても誇らしい。

思えば自分勝手な感情ですね。

 

今日、ご紹介する『こちらあみ子』は太宰治賞を受賞した作品です。

占庭のお客さまで、小説を書いてらっしゃる方がおられるんですけれど、

この作品を読んで、その才能に衝撃を受けて、もう書くのをやめようと思った、

と話されていました。

そう。

新人賞ですが、すごく力のある作品です。

 

『こちらあみ子』今村夏子 著

あみ子は知的障害があり、母親は継母。 

兄は中学からグレて暴走族に。 

父親の影は薄く、責任感も希薄。 

外側からみた家族の形は、実にステレオタイプな不幸であり、

薄っぺらいのだけれど、物語は実にリアルで、切なくてたまらない。 

みんなやさしくて、いい人間だということがわかるから。 

この、やさしくていい人間という陳腐きわまりない言い回しが、

ぴたりと嵌りながら、ぎゅうっと胸締めつけられる静かな物語というのは、

大したものだと思います。 

社会に適応できずに排除される人間は、ただの異物なのか? 

傷つくこと。 

傷つけられること。 

赦そう、受け容れようとすればするほど乖離していく思いというのもあるのだなあ。 

がんばったってどうしようもないこともある。 

がんばりすぎて罪悪感でがんじがらめになる人だってあるでしょう。 

やさしいってどういうことなんだろ。 

人が誰かと関わりながら生きる、その関係性に正解なんてあるんだろうか。 

もう一篇の「ピクニック」にも同じような問いかけがされているような気がします。 

(2013/1/6)