京都 四条高倉の占庭から

占い師の適性

電車や街中で「あ、Go Toの人だな」と思うことが増えました。

けれども、思ったほど、人出が激増してるという感じではなくて、

いまは出たくない、とお考えの方も多いということなのでしょう。

今朝は四条大橋の上で、テレビカメラ(?)の撮影をされてました。

ニュース用かなあ、と思って見てたんですけれどね。

 

こうして、どうでもいいようなことをブログに書いているのですが、

毎日お読みくださる方が、一定数おいでになる、ということに、

いつも驚きつつ、感謝しています。

ほんとうにありがとうございます!

だって、いまの世の中、ネットには文章があふれかえっていますでしょう?

どうどうと流れる大河のように押し寄せるほどの膨大な情報のなかで、

よくこのブログを読んでくださっているなあと、不思議に感じるのです。

書いたものを万人が目にすることができるところへ流す、

って、考えてみたら、恐ろしく無謀なことですよねぇ。

自分が若いころ、こういう環境だったならば、

痛々しい心の雄たけびみたいなものを陶酔とともに吐き出していたんじゃないかと

思います。

しばらく経って読み返したら、

ぎゃー! と叫んで、身も世もなく後悔の念に苛まれる、

という失敗を数限りなく繰り返していただろうな、とも。

そう考えると、まだノートに書きなぐるしかない時代でよかったような気もします。

いやいや、いずれにしても、人生は恥かき道中であろうとは思うわけですが。

 

新型コロナの自粛生活が、緩んで以降、タロットレッスンを希望される方が、

増えてきました。

これは、いつか習いたいなー と思っているところに新型コロナで生活が変わり、

いつかとか言うてたら、このまま習いに行けなくなってしまうかも。

またいつSTAY HOMEに戻るかもしれないし、今の内に!

とお考えになったのかなあと思います。

あるいは、家にいる時間が増えたときに、今後のご自身の将来を考え、

 副業で占い師もアリでは?

 占い師なら体力は要らないし、年を取ってもやれそうでしょ?

と思われた方もあったようです。

 

タロット占いは、ほかの占いに比べるとマスターするのが易しいとは思います。

もちろん奥は深いので、すぐにスラスラとリーディングできるわけではないですが、

自分で占いをする入口としては入りやすいはずです。

ときどきお客さまから「占い師になれそうですか? 向いてませんか?」

と訊かれることがあります。

生年月日で占ってみて、占い師の適性がありそうな星かどうか、

というのもあるのですが、それよりももっと大事なのは、

「人の話が聴けるかどうか?」ではないかと思っています。

ラクになれるよう、アドバイスをしてあげたい」というような、

”話してあげたい” スタンスは、実はあまり占い師には必要ないですね。

 

ちょっと考えてみてください。

見ず知らずの占い師に、アドバイスされたいですか?

それよりは「とにかく占いでわかることを教えてくれ」と思いませんか?

それに、占い師の話を聴きたいという方よりは、

自分の話を聴いてほしいという方のほうが、ずうっと多いんですよ。

現状を説明し、理解を得た上で、

いまのわたしは、これからのわたしは、占い的にはどうなのか?

を訊きたい、という方が大半です。

もちろん、何度かおいでになって、すでに信頼関係ができている場合は、

話を聴きたい、というスタンスでおいでになる方もおられます。

おられますが、その場合も、やっぱり聴いてほしい、のほうが勝っているものです。

ですので、占い師になりたいなあ、と思ってらっしゃる方は、

ひとの話をよく聴くようになさるといいと思います。

否定したり、お説教したりせずに、相手が話したいだけ全部を聴いてみてください。

ひとの話を聴くことをおもしろいなあと思えて、

占いが好きで勉強する熱意がおありなら、占い師の適性はかなり高いです。

占い師という仕事は、ほんとうにいろんな生き方や考えを

たくさんたくさん聴くことができる、とてもおもしろい職業です。

霊感や、特殊な能力がなくてもなれます。

占い師になりたい! という意欲と度胸があり、お話が聴ける人であれば、

道は開けるんじゃないかと思いますよ。

相手に期待すること

7月はなんだかとても忙しく、ブログを書く余裕もないまま、

もう月末近くでびっくりしています。

まだ梅雨明けもせず、あちこちで大雨が降り、むごい被害も出ていますし、

新型コロナの感染者も増え続けていて、なんともしんどい夏になっています。

みなさまも、じゅうぶんご用心なさってくださいね。

精神的にも、誰もがかなりきてると思うので、うまくガス抜きもしながら。

 

先日、ツイッターで流れてきた2つのお話を読んで、

その2つがリンクしているように感じて、ずーっと考えていたことを書きますね。

 

ひとつは「妻が口をきいてくれません」というマンガ。

 妻と娘と息子の四人家族として、ごく平和に暮らしていると思っていた夫。

しかしいつの日からか、妻が口をきいてくれなくなる。

なにか気に障ることを言ったのだろうか。嫌がることをしたのだろうか。

なぜ妻は不機嫌なのか。どうしたら機嫌をなおしてくれるのか―。

これと言って思い当たることはなく、あれこれ働きかけてみるものの―。

https://yomitai.jp/series/noharahiroko/

 

かなり長くて、読み応えがあります。

読んでいて、胸が苦しくなりました。

しんどいけど、このマンガ、結婚している人、いつか結婚しようと考えている人は、

読んでみたほうがいいと思います。

妻の気持ちもね、夫の気持ちもね、わかるんですよ。

夫婦って、まったく違う家庭で育った者同士の他人ですもんね。

甘え過ぎたり、馴れ過ぎて、無意識に相手を軽んじてしまったり、ってこと、

誰にだってあると思うんですよ。

伴侶は大事な人だとわかっていても、毎日毎日、それを噛みしめながら生活する、

なんてことは、理想だけれど、現実味がないところもありますし。

だけど、ちょっとした配慮のなさがたび重なったり、

余裕のなさから、思いやりに欠けた態度を取ってしまったり、

ありがとう、ごめんねを言いそびれたり、

という小さなことが降り積もっていって、ああ、もうダメだ、、、、と

糸がぷっつり切れてしまうのは、すごくよくわかります。

そうなってしまったこのマンガの妻は、夫に期待することをやめてしまうのです。

期待を裏切られて傷つくのも、ガッカリすることにも疲れてしまって。

 

ああ、わかるなあ。

期待したわたしがバカだった、、、と思ってしまうことっていっぱいありますもん。

 

と思っているところへ流れてきた、ふたつ目のお話がこちら。

辻仁成さんの日記です。

こちらも長い文章ですが、ぜひ読んでみてください。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-704/

息子さんが、よその家庭を見て感じ、考えたことをまっすぐにお父さんに告げる、

その言葉が胸に沁みます。

 

お互いに対する愛情が感じ取れ、いい親子関係だなあと、うるっときます。

こちらのお話は、家族がお互いに期待し合っているのは素敵だった、という、

お子さんの訴えでもありました。

 

家族がお互いに期待し合うということは、いい面とそうでない面がある、

ということを大人はよく知っています。

過剰な期待は呪縛になる場合だってありますしね。

けれど、これを読んで、ハッとしたんですよ。

わたしは、いろんなことを期待せず、あきらめて、やり過ごしてきたことが、

多すぎたんじゃないか、って。

 

人にはね、いつも言ってるんですよ。

「傷つくのが怖いから、ひとを信じずに生きるよりも、

 裏切られることがあるかもしれなくても信じて生きるほうがいいでしょう?」

なんて。

自分ではひとを信じているつもりでも、期待はしない、というスタンスならば、

それは信じてることにはならないのかもしれません。

期待しないということは、見限った、見捨てた、という意味ばかりではなくて、

期待をかけることで、相手に無用の重圧を感じさせたくない、

という配慮の場合もあります。

けれども、期待が愛である場合もあるしなあ、と思ったりもして。

うーーーん。

「期待する」っていうのは、さじ加減が難しいことだということを

改めて考えさせられました。

ここ最近、ずっと考えてきたのですが、まだ、わたしの思いは定まらず、

誰かに「期待する」ということについて行きつ戻りつしています。

「おっちゃんとおばちゃん」

営業再開後、前日までにご予約のない日は、臨時休業にします、

とお伝えしてきたのですが、ついにその日がやってきました。

7月9日木曜日は、臨時休業いたします。

いままで予約がないから、という理由で休んだことがないので、

なんだかとってもうしろめたいのですが、思い切って。

 

数日前から各地で大雨や土砂災害が続いていて、胸が痛みます。

京都も、大雨・洪水警報が出ています。

今朝は関東方面で、大き目の地震もあったようです。

毎年、日本のあちこちで大規模な災害が起きてしまっていますが、

防災や、保健関連など、地味だけれど命を守る大切なことに、

公的な予算を振り分けてほしいですね。

 

先日、長くおつき合いのある若い女性に、おもしろいフリーペーパーを

教えてもらいました。

その名も「おっちゃんとおばちゃん」。

そんな名前なのに、18~30歳くらいを対象とした企業紹介の内容なのです。

変わった名前だなあ、なんで? と思っていたら、こういう意味らしい。

ツイッターに書かれていました)

「おっちゃん」や「おばちゃん」と呼ばれる年齢になっても仕事が楽しいか? そんな観点で職業を考えてみませんか。自分に合った企業に出会うための「働く」を考えるサイト。仕事への多様な価値観と厳選した求人情報を掲載。仕事の見え方がきっと変わります!

なるほど~

 

目を引くデザインで、パラパラめくってみると、読みたい記事がいっぱいで。

企業紹介といっても、データ的な内容ではなく、

その企業のユニークなところ、ほんとうに知ってもらいたい部分を

きちんと取材して紹介されていて、興味が湧いてきます。

業種の偏りがないのもいいところ。

わたしの半分くらいの年齢の、とても若い人向けの求人誌なのですが、

うんと大人が読んでもおもしろいです。

https://occhan-obachan.com/

 

京都では、”ハンケイ”と親しまれているフリーペーパー「ハンケイ500m」を

発行しているところが作ってはるそうです。

実は占庭も、移転前の店舗のときに、載せてもらったことがありました。

もう7,8年前だと思います。

このときのハンケイを読んで、占庭を知って来てくださったお客さまは、

そんなに多数ではなかったのですが、いまでもご縁が続いている方が、

とても多いんですよ。

それは、きっと「ハンケイ500m」が、占庭とわたしの個性を

適切に伝えてくださったからだと思います。

それで占庭にマッチした方が興味をお持ちになり、足をお運びくださって、

長いおつき合いができているのでしょう。

いい仕事をしてくださり、感謝しています。

 

しかし、ハンケイの他に、こんなにいろんなフリーペーパーを出してはったとは、

知りませんでした。

https://union-a.co.jp/#freepaper

 

紙のフリーペーパーは、全体の数は減ってきているのだと思いますが、

種類はいまも幅広く出されているのかもしれませんね。

webならばスマホでも読めるし、荷物にもならないけれど、

デザインはやっぱ実物大で見たいし、バックナンバーを持っておきたくなるのも、

紙ならではの存在感なんですよねー

とは、紙の本好きな者の思い、ということで。

わざわざのありがたさ

もうすぐ七夕ですね。

占庭は2011年の七夕に、西陣の大宮中立売でオープンしました。

なので丸9年が過ぎようとしてるわけですね。

わたしのように未熟な者が、よくまあこんなに長い間続けてくることができたなあ、

と感慨深いです。

 

4月5月と休業し、6月に再開する時は、

そんなにお客さまはおいでにならないだろう、

と思っていました。

ところが思いの外、6月は忙しく過ぎていきました。

リピーターのお客さまは、

「いま特に悩みはないんですけど(笑)」

「訊きたいことを絞り出して来ました(笑)」

「久し振りにリーディングのレッスンをしたくて」

と、みなさん「全然切羽詰まっていませーん」というお顔でおいでになりました。

どの方からも、

2ヶ月も丸々休んで、あんなはやってないお店、大丈夫やろか?

と心配して、応援に来てくださったのがありありと伝わります。

ありがたいです。

占庭はほんとうにお客さまに恵まれています。

こうして占庭は小さいながらも、なんとか持ちこたえてくることができたんだな、

と改めて身に沁みました。

 

リピーターさんだけでなく、占い、タロットレッスンともに、

新規の方も大勢いらしてくださいました。

知り合いの紹介という方、ネットで見つけましたという方、

店の前を何度か通りかかって、いつか行ってみようと思っていたという方、

キッカケはいろいろですが、よくまあこんな地味な占庭を選んでくださったなあ、

と毎回、思います。

そして、選んでいただいたからには、

見料と時間、損したわ~ と感じられることのないように、

わたしの精一杯をお伝えしなければ、と気持ちが引き締まります。

 

初めてで緊張されている方と、30分ほどの短い間でも、

そっと心を開いてくださって、はかないながらも、信頼関係が生まれ、

きゅうっとお互いの距離が縮まる瞬間があります。

そして、お客さまの表情がゆるんで、ほうっと笑顔をもらされる時、

ああ、やっぱりわたしは占いの仕事が好き、と思います。

この仕事を続けられるのも、お客さまあって、です。

どうぞ10年目の占庭も、よろしくお願いいたします。

見えるもの 見えにくいもの

7月5日の日曜日、勝手ながら臨時休業させていただきます。

ごめんなさい。

 

今日で6月も終わり。

今月は2回、みなづきを食べました。

期間限定で、いままで食べたことのないお店が出店していたので買ったのと、

夫が、やっぱり、こんなお店が出していたよ、と買ってきてくれたものと。

お気に入りのお店は遠いので、こうして、新規開拓をしようとするのですが、

なかなか好みのみなづきにヒットしません。

うーーん、残念~

けれどもまあ、夏越の祓のひとつとしてのみなづきです。

なんとかこの夏も、元気で過ごしたいものです。

 

京都へ出勤してくるときに、時々停める駐車場近くで蓮のつぼみが伸びていました。

城跡のお堀なんですが、鬱蒼と茂った雑草の向こうに蓮があるなんて、

先日、初めて気がつきました。

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右側に石垣があるのが見えますか?

 

寄っていくとこんな感じ。

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これはなかなか気づかないですよねぇ。

また、咲いたところも見られたらいいな。

 

 

占いでお客さまの話を聴いていて思うのが、

他人の幸福と、自分の不幸は、よく見えてしまうんだなあ、ということ。

どんな人もいろんな悩みがあって、人知れず不幸も抱えてらっしゃいます。

だけど、そういうことはあまり積極的にオープンにしないものだから、

他人には見えにくい。

けれども、外側から窺い知れるようなわかりやすい幸福度は、誰にも見えます。

そして羨まれる。

ほんとうは人に言えない苦労もあるのだけれど、幸福に恵まれた人として、

認識されてしまう方も多いだろうなと思います。

 

自分の不幸もよくわかります。

足りないもの、失ったもの、境遇、愛情の過不足など、

実際に痛みを感じてらっしゃることは如実にそこにあるんですもんね。

 

けれど、元々持っているものや、ちょうどよい具合のことは、

当たり前のことなので、自分では見えにくいです。

これがもっと見えるようになるだけで、幸福度は上がっていくのになあ、

と思うわけですが、そう簡単にはいかないんですよね。

 

生きる世界が狭ければ見える範囲も狭いので、想像力も広がりにくいです。

実際にいろんな体験をし、さまざまな人と関わるのが一番ですけれど、

芝居や映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりして、

感度を上げることでも、世界を広げていくことはできますね。

 

幸福って、得るものではなくて、感じるものなんだろうな、

とつくづく思うこと、多いです。

これは、小さなことも幸せと思ってみよう、っていうような単純な話ではなくて、

感性を磨くことが、自分自身を救うこともあるんじゃないか、ってことなんです。

自分のアンテナの感度を上げ、想像力を広げ、育てる。

他人と比べて自分はどうか、というところから、ちょっと離れてみて、

自分はどう感じているか? に向き合う時間も大事にしたいです。

占ってもらいたい欲 上昇中

昨日今日と、この週末は、梅雨らしからぬ爽やかな上天気。

それもあってか、京都の人通りが、どっと増えました。

電車の中でも、ガイドブックや地図を見てらっしゃる方がおられて、

ああ、こういうの、久し振り~ と思いました。

それだけ見なかったんですよねぇ、いかにも観光って方。

一斉に、レジャー復活、という感じです。

 

いつもは四条通の地下道を歩いてくるのですが、

今朝、なんとなく上を歩いてきましたら、

マスク屋さん(コロナの間に開店していたんですよ)で、

洗える冷感マスクを売ってはりまして。

子どもサイズから大人サイズまで、色も数種類あり、3枚550円。

なんだかペラペラだな~ と思ったのですが、試しに買ってみました。

さて、どれくらい涼しく感じるんでしょうね。

 

このブログですが、あんまり占いについてや、占い師らしいことを

書いてないのですが、新型コロナ以降、その傾向が強くなっていまして、

こういう風に偏りがあるのはいかんな、と思いまして、

今日はちょっと占いや、占い師について書いてみますね。

 

少し前に占い師の人と3人で、Zoomで雑談会をしてみました。

占いあるある、占い師あるあるな話題が色々と聴けて、とても楽しかったです。

その中で、

一番占い好きな星座は〇〇座ですよね

〇〇座は占いを信じたがらない人が多い気がするわ

なんていうお話もあって、それがすごくみんなで納得だったりしました。

やっぱり傾向ってあるんですよねぇ。

わたしは、西洋占星術にはそれほど詳しくないのですが、

それでも、うんうん、わかるわ~ と思うお話がたくさんありました。

 

占い師になる人は、みんな占いが好き、もしくは興味があるわけで、

占い師同士が集まると、たいがい占いっこが始まります。

今回はZoomだったので、それはなかったのですが、

俄然、誰かに占ってもらいたい欲が、ムクムクと湧いてきてしまいました。

「コレについて占ってほしい」というコレが特にあるわけではないのですが、

自分が使っていない占術で、わたしの運勢を解説してもらいたいのです。

 

占い方はほんとうに多種多彩、星の数ほどあり、

占い師は、たいがい複数の占術を用いて占っていることが多いです。

多面的に観ることができるし、内容に合った占術を選べるのでね。

自分が知っている占術から導かれる運勢と、違う占術から見える運勢に、

いったいどういう世界の違いがあるのか。

興味は尽きません。

けれども、不思議なことにまったく違う西洋の占いと東洋の占いの結果が、

かけ離れた内容になることは、意外とないんですよ。

おもしろいですよねぇ。

 

自分にはできない占い方や、知識のない占術で占ってもらって聴くお話は、

バーチャルなパラレルワールドをのぞき見るような気分でもあります。

生きていくのは、常に取捨選択を繰り返していくことでもあって、

振り返れば無数のわかれ道を選んだ末の一本道の終点が、いま立っているところ。

無数の違う人生も選べたってことですよね。

そして、これからも、その道はくねくねと続いていくわけですよ。

選ぶのはもちろん自分だけれど、運勢はどんな風景を示唆してくれるのか。

ああ、占ってもらいたい~

人類は進歩していない

新幹線が混み始め、航空機も平常運航へと、世の中がどんどん動いています。

しかしながら、昨日はユニクロのエアリズムのマスクの発売日でしてね、

それが原因で渋滞が起きたりするくらい、まだマスクは重要アイテム。

ミズノのマスクも即完売だったらしいので、転売目的なのかもしれませんが。

とにかくマスク着用は暑いので、少しでも涼しいものを! 

という気持ちは痛いほどわかります。

なんとか夏を快適に過ごすアイデアはないもんですかねー

 

今日は、大きいような小さいようなことを書いてみようと思います。

今回のコロナ禍で、過去の感染症について言及されることも多く、

「歴史は繰り返す」みたいな切り口もよく目にしました。

これまでも「繰り返される歴史」的な問題は、いっぱいあって、

疑いもなく、そういうものかー と思っていたのですが、

最近は、そうじゃないのかも、と考えるようになりました。

歴史が繰り返されているんじゃなくて、人間が同じ過ちを繰り返しているだけ

なんじゃないか、って。

要するに、人間はいまも昔も変わらず愚かである、ってことなんじゃないの? と。

 

文明が発達しようが、過去の出来事を知識として蓄えていようが、

生きてる人、個々の経験値の量は、大昔の人とたいして違いはないのでしょう。

もちろん、世の中のスピードは速くなり、膨大な情報が絶えず流れ、

触れるものは圧倒的に増加はしていますけれどもね。

経験という点では、寿命の違いくらいの差しかないように思います。

人間はもうずーっと大昔から、他人を傷つけたり、何かを奪ったり、

差別したり、ウソをついたりしてきた、利己的なイキモノなんですよね。

だからこそ、人口が増大していけば、法やモラルで抑制しなければならなくなる。

そうしなければ、かならずや争いが勃発して、

結局は種の存続が脅かされることになってしまうから。

ヒトが賢くなって、争いをしなくなったわけじゃなく、

(むしろ武器が発達し、殺傷能力が上がりすぎたこともあり)

比較的良好な状態で、種をつないでいくための方便が、いまの世の在り方、

ということなのかもしれません。

しかし、万人にとってよい状態をつくるのは不可能なので、どうしたって、

いつも世界のどこかで不満が暴発しています。

それはもう世の常というか、ヒトの世の宿命なのかもしれないと思うほどで。

 

だからね、ニンゲンは賢くなっている、って思っちゃだめなんですよ、きっと。

科学や文明が進歩することと、賢明になることは別物なんですよね。

そこに驕りがあると、なんかもうとんでもない方向へ暴走していくんじゃないかと

恐ろしい。

よその国と比べたり、自分ではない誰かと比べたりすることは、

そのまま優劣の比較になってしまいます。

マウントの取り合いは、だいたい感情的になるもので、ロクなことになりません。

そもそも、その比較の基準が個々バラバラですもんね。

ヒトは愚かなイキモノだと自覚することで、愚かな民衆になることを

多少は抑制できるのではないかしら、と思うのはぬるい願望でしょうか。

 

「近頃の若者はなっとらん」みたいな話はソクラテスの時代からあったらしいので、

いつの世も、人間のレベルにそれほど違いはないんでしょう。

それでも、生まれついたそれぞれの時代で生きるしかないから、

みんな必死に生きてきた。

いまもそうですよね。

たまたま生きているこの時代の、偶然につくられた環境のなかで、

与えられた命を生きていくしかない。

 

なんてことをですね、突然降りかかったコロナの中で、つらつら考えていました。

それで凡人のわたしが思ったのはですね、

愚かでもいいから、他者も自分も傷つけないで生きたい、ということでした。

欲を優先するのはどうもまずそうなので、それは後回し。

自分の守りたいものを守り、他人の守りたいものを阻害しない。

そうすれば、お互いを尊重し合って生きていけるんじゃないか、って。

 

ええ、ええ、わかっていますとも。

そんなことは理想であり、おとぎ話にすぎないと、おっしゃる向きもありましょう。

だけどそれができれば、人類は進歩していけるかも、と思ったりもするのです。