京都 四条高倉の占庭から

マッチングアプリ疲れ

占いに来られる方は、圧倒的に女性が多いのですが、

それでも最近は男性の方も増えてきました。

男子学生さんも来られるんですよ。

お尋ねになる内容は、就活についてが一番多くて、

適職とか、運勢全体のこともよく聞かれますし、もちろん恋愛についても。

そしてみなさん、

「おもしろかったです」

とおっしゃいます。

そうそう。占いっておもしろいんですよ。

そこをわかっていただけるとうれしくなります。

 

以前、このブログでも、婚活に疲弊する方々について書いたことがあったのですが、

最近、マッチングアプリで疲弊する話をよく聞くようになりました。

この疲弊、どちらも、

「わたし、何やってるんだろ・・・・」という言葉は同じなのですが、

ニュアンスが全然違うなあ、ということに気がつきました。

婚活の場合は、結婚相手を見つけたいという明確な目的があり、

その目的のために積極的に行動することになります。

時間を使い、交通費や参加費を使い、気を遣い。

その結果、これといった成果が残らないことが続くと、

「わたし、何やってるんだろ・・・・」と虚しく、つらくなってくる。

婚活については、向き不向きもありますし、

始めるタイミング、がんばるタイミングもあります。

そこがズレると、こんなこと不毛だ! となりやすい。

それらはある程度、占いでお話できることです。

 

で、マッチングアプリの疲弊ですが、色合いが違います。

一番の違いは、匿名性です。

いやいや、本名でやってるよ、と言われるかもしれませんが、

その人の社会的な情報を正確に知らないという点においては、

一般的な婚活よりもはるかに不明確です。

主催者は介在しないし、共通の知人もいない、まったくの未知の人です。

それは、本来、出会うはずのない人とつながるおもしろさにも通じていて、

プラスとマイナスの両面になっています。

そこが魅力でもあり、不安要素でもあるということなんですね。

 

そして、こちらは「なんとなく」始める人が結構多いようなのです。

よし、やってみよう! というんじゃなくて、ちょっとやってみようかな、

という感じ。

やりとりが始まって「気が合うな」と感じると、急速に親しくなっていくみたい。

この時点では、まだバーチャルに近い。

そこから電話したり、実際に会ってみたりと発展していきます。

誰ともつながりのない人、よく知らない人だからこそ、

誰にも言えない日常の不満や愚痴も言いやすい、

ということもあるそうで、ここでも匿名性が背中を押す形になります。

周りの人には言えないことも話せる。

それはすぐに切ってしまうことが簡単な関係だからなんですね。

お互いがそれでいいのなら問題ない、とも言えますが、

やっぱり傷つくんですよ。どちらの立場でも。

だって、それは「はけ口」に近いことですもんね。

だれかをはけ口にする、だれかのはけ口にされる、って、

どっちにしてもいいことでないのは誰だってわかります。

 

また、短期間に切っていく関係を繰り返すという場合もあるようで、

それも気がラクなようですが、ラクなばかりではありません。

自分の心のどこかでそれを感じてるから、

「何やってるんだろ・・・・」

と自分で自分が気持ち悪くなってきたりもするようです。

自己嫌悪や罪悪感に陥ってしまうんですね。

それがマッチングアプリに疲弊されてる方から感じるものなのです。

 

そういう人の話を聴いていて、ああ、そういうことあるやろなあ、

わたしが若い頃に、マッチングアプリとかなくてよかったなあ、

としみじみ思ってしまいます。

長いこと生きてきてですね、振り返ると「なかったことにしたい」ことや

消してしまいたい記憶なんかが、多々あるわけですよ。

いわゆる黒歴史ですね。黒塗りにしてしまいたいことたち。

ああ、なんであんなことしちゃったかなー

いかに若くて未熟だったにせよ、愚か過ぎやろ・・・・

と思うことがねぇ、ずらずら~っとありますあります。

それが若いっていうことでもあるんですけどね、

できれば、これは後々、黒歴史になるやもしれない、

というよろしくない予感をちょっとでも感じられたらですね、

そこは踏みとどまったほうがいいです。

その予感はたぶん予想以上に悪い現実になる可能性大です。

悪い予感ってのは、本能的な危機感知センサーで、かなり優秀なのでね。

 

もちろん、マッチングアプリですごくいいひととめぐり会い、

しあわせを得た方のお話もたくさんお聴きしています。

要は使いようだし、相手を見極める目も大切ということです。

プラスマイナス両方があることを知った上で、よいご縁を得られますように。