京都 四条高倉の占庭から

可能でしょうか?

いつごろからでしょうか、メールでの問い合わせの際に、

「〇日の〇時ごろの予約は可能でしょうか?」

という文面を見ることが増えてきました。

この「可能でしょうか?」って、なんかすごく違和感があるんですよねぇ。

いったい、どこで発祥したんでしょうか。

「予約できますか?」ではなく「可能でしょうか?」のほうを選択するのは、

どういう理由によるものなんでしょうねー

なんかビジネスライクな感じがしていいと思われるのかなあ。

よくわかりません。

 

それで、もしかしたら最近のビジネスメールではそういう慣習になっていて、

日常的に使われているのかしら、と思って、ググってみましたら、

” 可能でしょうか? をビジネスメールで使用するのは不適切 ”

と出ていまして、ビジネスメールに限らず、特に目上の人には使うべからず、

と書かれていました。

ああ、やっぱりなあ、ヘンだもん、と思ったのですが、

しかし、それならばどうしてこんなに広まっているんでしょうかねぇ。

ついには電話での問い合わせでも、聞くようになってきました。

ふだんの話し言葉で「可能でしょうか?」って使いませんよね。

「〇日、一緒に映画に行くことは可能でしょうか?」なんて。

そういう違和感があるので「可能でしょうか?」と訊かれると、

「あ、出た! 『可能でしょうか』のヒトだ」と思ってしまいます。

 

もし、「可能でしょうか」はこういう理由で使われているんですよ、

という答えをご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけるとうれしいです。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

実はですね、わたくし、ロシアの軍事侵攻が始まって以来、気持ちが晴れません。

病気でも不慮の事故でもないことで、たくさんの命が奪われ、

大切にしてきたもの、日常生活をも破壊されていく人たちのことを思うと、

いつの時代になってもこんな野蛮で理不尽で非人道的なことが行われるのかと、

心がしおれてしまいます。

命令によって、命を奪う側、壊す側になってしまう兵士も気の毒です。

命令されたら立場上とか、役割として、個人では決してしないこともしてしまう、

それが人間だと思い知らされるのも苦しい。

ああ、ほんとうに気が重い。

それでもわたしは夜にはあったかいお布団にくるまって安全に眠ることができる。

平和はありがたい。

けれども、それが永遠に続くと約束されているわけではないですしね。

ウクライナにもロシアにもそれぞれの国の事情があり、

それぞれの正義があるのでしょうが、戦争を始めてはいかんのです。

戦争をしてはならない、それだけが人類の絶対的な真理じゃないですかね。

 

そんな、柄にもないことを書かずにいられないくらい、

やりきれない日々が続いているということです。

戦争に対して、NO!と言うくらいしかできず、

そんなことただ言葉で言うたところでどうなるわけではない、

と言われる向きもありましょうが、そうであっても、NO!と言わずにはいられない。

いられないんですよ。