京都 四条高倉の占庭から

もう8年前のこと

昨夜、遅くに「武道館 伝説LIVE」っていうテレビ番組をやっていて、

ついつい見始めて、最後まで目が離せませんでした。

 

5人のメンバーでのラストステージとなったオフコース(1982)

解散宣言1年前のBOOWY(1986)

ガンからの復活ライブ忌野清志郎(2008)

 

これらのライブのハイライトシーンは、圧巻でした。

それぞれの時代をまとい、その中でキラ星のごとく輝くミュージシャンは、

ただ、きらびやかなだけではなく、表現者としての苦悩のようなものも、

にじませていたように感じました。

 

オフコース。好きだったなあ。

わたしは小田さんよりかは鈴木さん派だったんですけど、

昨日、映像を見ていたら、なんか鈴木さん、エガちゃんに似てるな、って思って。

たぶん、あの少女マンガから抜け出してきたような、

脚が長-くて、浮世の垢にまみれてなさそうな佇まいが素敵、

みたいに思ってたんだろうなあ。

いやあ、年月を経てわかることは、いろいろですね。

 

実は、わたし、武道館へ行ったことは一度しかなくて。

それが、清志郎の復活ライブだったんです。

いろんなライブへ行ってきましたけれど、あのライブは一生モンのライブでした。

あんなに感動したライブはなかったし、

なによりあの会場の空気は、唯一無二のものでしたしね。

 

清志郎 完全復活祭 in 日本武道館。 

入場の際に「快気祝い 忌野清志郎」という熨斗のついた

手拭いのプレゼントがありました。 

みんな、そこですでにやられてしまいます。 

武道館の中は、センターステージでもないのに、

とにかく360度すべて観客席になっており、

立ち見までぎっしり埋め尽くされていました。 

 

どうもあの辺りが”関係者席”らしいな。 

という辺りを双眼鏡で覗いてたら、竹中直人の姿が見えたんです。

昨夜の番組にも出てはって、それを思い出しました。 

 

開演予定時刻6時が近づくにつれて、フライングで会場内が沸き始め、

6時を過ぎたあたりから、アリーナもスタンドも総立ち状態に。 

会場の照明が落ち、いくつかのスクリーンに、

闘病で髪の毛や眉毛が抜け落ちた清志郎の顔写真が映し出されます。 

それはフラッシュバックのように、コマ送りのように変わっていき、

少しずつ髪が生え、伸び、顔にも生気が戻り、ステージ衣装の清志郎が蘇る。

 

「ああ、よく寝た」 

と起き上がる清志郎。 

 

ああ、闘ってはったんやな。 

どれだけ苦しく、辛かっただろうか。 

よかった。ほんとうによかった。 

 

その場に居合わせたすべての人がそう思ったに違いありません。

始まる前から総立ちのファンは、心から

「おめでとう」そして「ありがとう」と伝えたかったんですね。 

 

誰もが、体力も心肺機能も、咽喉も心配していました。 

それでも、復活ライブを清志郎がするからには、ぜひともその場に立ち会いたい。 

席なんてどこでもいいから、その場に居たい。 

そう思っていたのです。 

 

1曲目「JUMP」で清志郎が登場したとき、

地鳴りのようなどよめきが起こりました。 

みんな、元気な清志郎がうれしくて、うれしくて。 

 

こんなに多くの人たちが、こんなに一途に会いたがっている。 

そして「よかった」と、言葉にならない喜びを感じている。 

ああ、もうなんて男なのだろう。 

なんて大した人なのだろう。 

そう思いながら、わたしも嬉し涙を流しながら聴いていました。 

 

6曲目の「デイ・ドリーム・ビリーバー」では、もう泣けて、泣けて。

復活してくれてよかった、写真にならなくてよかった。

ただそれだけを喜んでいたんですね。

 

最後、バンドのメンバーが退場し、アンコールも終了かな? 

と思ったとき、 

「もう1曲やっちゃおうかな」 

と、アコースティックギターハモニカで「LIKE A DREAM」を。 

3時間。最後まで、声はばっちり出ていたし、しんどそうな素振りもなかったです。 

わたしたちも「座ってなんかいられない」と立ち詰めです。 

でも、ちっとも長く感じませんでした。 

 

最後の曲が終わり、退場するとき、息子さんとお嬢さんが花束を持って登場。 

それがもう、ホントに普通の格好をした、良さげな、普通の若者だったんですね。

19歳と16歳だとは、後から知ったんですけど、

見るからに普通のちゃんとした家庭の子どもさんたちだな、

ってわかっちゃうくらい。 

 

「家族を出すな。なんて演出だ・・・・・」と照れながらも、

清志郎は泣いてましたね。 

そして三人並んで、客席にお辞儀をして、舞台から降りていきました。 

いい家庭人やん、とそれもまたうれしくて。

 

チャボが、 

「いちばん誰よりも心配して、支えていた、清志郎のファミリー・家族のみんな。

 よかったね。ほんとうによかったー」 

と言った言葉。 

ありきたりだけど、心にズンときました。 

 

武道館を出て歩きながら、夫が、 

「もういいよ。大阪公演には行かなくていいよ。ここだけでいい。

 この日のことだけをずっと憶えていたいからね」 

と、噛みしめるように言ったのを憶えています。 

それくらい特別なライブでした。

あの3時間の異様なまでの熱狂。 

けれども、それは「温かい熱狂」なのでした。 

「温かい熱狂」そんなものがあるなんて、

その場に居た者でないとわからないと思うのです。

 

その後、思いのほか早く、お別れすることになってしまったのは、

とても悲しいことでしたけれどね。

だけど、あの時の、歓びは、確かに残っています。

はるばる出掛けて行って、ほんとうによかった。 

あんなしあわせな体験ができて、清志郎に感謝したい。

と、いまも思っています。