京都 四条高倉の占庭から

絶望にはまだ早い

「若いっていいわねぇ」と羨ましがる人がおられますが、

わたしには若い人を羨む気持ちは全然ないんです。

神様だか、科学者だかに「もう一度若い頃に戻してあげるよ」と言われても、

断固お断りしますねぇ。

やっと、ここまできたのに、また若いときからやり直しなんて、

同じ間違いはしなくても、異なった間違いをするのは目に見えています。

だって、若いってそういうことだもの。

数多の失意と失敗の上に、現在があるんです。

振り返れば死屍累々の恥の数々。

やっとたどり着いた今をわたしはありがたく享受しているので、

もう若い頃には戻りたくないんですよ。

 

中年の声を聞き始めた頃、鏡の中の自分の顔に、細かなシワを認め、

 おおお、これがいわゆるチリメン皺ってやつ?

とショックを受けつつも、大発見をしたような気持ちになりました。

未知の領域が広がっている、って。

年齢と共に体型も、変化していきます。とめどなく。

その変化をゆるやかにすることはできても、逆行させることはできません。

人間は1分、1秒ごとに、みんな死へ向かっているんですもんね。

自然の理、っちゅうやつです。

とは言いましても、若い人の髪や肌がツヤツヤでキレイなのは、

ほーんと羨ましいです。

自分が若かったころ、その美しさをまったく意識してなかったのが、

なんとも悔やまれます。

もっと磨き上げて、もっと見せびらかすべきでした。

ああ、もったいない。

けどまあ、過ぎたことはどうしようもありません。

今の自分だって、もしも90歳まで生きたとしたら、

50代はキラキラしてたわあ、って思うかもしれませんしね。

今を肯定して、大事に使うことが肝心。

 

それなのに、過ぎたことばかりを悔やみ、今を嘆き、

将来に絶望している人がなんとも多いんですよねぇ。

将来はまだ決まってないのに、今の延長線上なら、もうダメ、と

決めつけてしまってはるんです。

人生、どこに一発逆転が潜んでいるかわかりません。

逆に言えば、どこに、奈落の穴が口を開けているかもわかりません。

それならば、今を受け容れ、努力し、将来を夢見た方がいいですよ。

あらかじめ絶望するのなんてバカバカシイ。

絶望的な状況になってから絶望しても間に合うんですから。

 

いい大人こそ楽しそうに生きなければ、と思うんです。

だって、子どもたちや若い人たちに、

「頑張って生きたところで、いいことなんてないのかも・・・・」

なんて思わせちゃいけないですよね。

できるなら、

「早くあの年齢になって楽しみたいなあ」って思わせたい。

それが、親になってからの、わたしの目標でした。

シミもシワもタルミも、もう、どんとこいです。

いまわの際に、

「あー、おもしろかった!みんな、ありがとう!」

と言えるよう、もう少しがんばらなくちゃ、と思う次第です。