京都 四条高倉の占庭から

長嶋有さんが好きなんです

たまにこのブログで好きな本の紹介をしているんですが、

あまり読まれないようで、人気ないんだなあ、と思っていたら、

数人の方に、本の紹介が楽しみです、とか、

図書館で借りて読んでみました、とか言っていただき、

需要があったんや~~~~、とうれしくなり、また書く気持ちになりました。

 

今日は長嶋有さんの作品。

好きなんですよ~ 長嶋有さんの本が。とても。

長嶋有さんと言えば、そらもう「猛スピードで母は」なわけで、

これがお薦め№1なのは間違いないのですが、

ご紹介するのは「夕子ちゃんの近道」という、地味な作品。

ほんと好み、っていうだけのレビューでして、どうもすみません。

 

 

「夕子ちゃんの近道」長嶋有 

ちょっと物語的に物足りない感じもしますが、わたしは長嶋ファンですので、

読んでいる間その世界にひたっていられたら、それでうれしいのです。

コケオドシの人物造形もなく、どこにでもいるような、善良であくせくしない、

ちょっとどこかダメなひとたちが描かれています。

作品に静かに流れている、そのそこはかとない、哀しみとおかしみが好きなのです。

どこかズレていて、ちょっとダメっぽいひとたちは、ゴリ押しの自己主張はせず、

他人との距離も微妙で絶妙なバランスを保っています。

ズカズカと入っていきそうで、そうでないところに、

自分の魂もそうして守っているのだな、という感じを受けてうれしくなるのです。

周囲の流れに掉ささず、いい加減なようでその実、

己の最後の砦は誰にも侵させない。

わたしはそういう人が好きなんですね。

派手な旗印を揚げて誇示することなく、

もしくは堅牢な城壁を築いて守るのでもなく、

逃げ回ってでも、いちばん大切な自我は守り抜くような人が。

この作品のなかの瑞枝さんが特に好きでした。

図々しいようで繊細で、孤独に対峙する精神をもった、

威張らず媚びない女性でした。

主人公の僕も悪くないけど、古道具屋フラココ屋の店長の

食えなさもよかったですね。

こういう男に女は案外ひっかかりやすいんよ(自分も含めて)と、

僕に教えてあげたい気分でした。

余談ですが、この店のアドレスが長ったらしくて”furacoco-ya-yorozu-soroimasu”と

@までに28文字もあるのです。

これは「長い名前の方がやっきになって覚えようとするものさ」

落語の寿限無と同じだという店長のセンスらしい。

なるほど。それはナイスやと思いましたね。

この小説のひとたちは水彩絵の具のようなひとたちです。

他の色と接触しても、にじんだり、混ざったりしながらも

相手の色に塗り込められてはしまわないんですね。

そんな彼らが、それぞれに人生の途中で立ち止まり、途方に暮れ、

それでも日々は過ぎていき、食べずに暮らしてはいけないんだよ、

やれやれ困ったもんだ。と空を仰いでいるような、いっときの日々の物語でした。

長嶋さんの書く小説には、いつも立派な人が誰も出てこなくて、

教訓めいたものはなにもない、というところがとても好きなのです。

 (2007/1/20)