わたしが子どもを育てているとき、心に決めていた目標は、
「大学を卒業させよう」でした。
特定の大学とか、いわゆるイイ大学へ行ってほしいというのではなく、
とにかく「大学生活」を味わってほしいな、と思っていたんですね。
といいますのも、わたしは高卒で就職したんですが、
大学へ進んだ人たちが、みんな「大学んときは楽しかったな~」と、
心底から話されるので、よっぽど楽しい、いいところなんやな、って
ずうっと憧れていたからなんです。
わたしも進学したかったけれど、家の事情でそれは難しかった。
だけど、本気で進学したければ、奨学金をもらって、バイトしまくって、
やってやれないことではなかったんですよねぇ。
あの頃、そう助言してくれる大人が周りにいてほしかったなー
両親が高卒での就職を望んでいるのがわかれば、
そっかー、と思うしかなく、そこから、
なんとしてでも!
と説得するガッツもなく、高校を選ぶ時点で、就職コースに決めてしまいました。
とても後悔しています。
ま、勉強が好きじゃなかったので、勉強したかった、っていうんじゃなく、
わたしも大学生をやってみたかったなあ、という後悔なんですけどね。
就職したばかりの頃、閉塞感でいっぱいでした。
自分の進む道が就職で、一気に狭められ、選択肢はもはやこれだけしかない・・・・
という絶望にも似た気持ちでしたね。
わたしは、地元の旧財閥系の、でっかい企業の地方工場に事務職で就職しました。
学校に通っているときは一貫して勉強というものをしなかったのですけれど、
進学しないのならば資格なり免許は必要であろうと、
検定だけは受けられるものを全て受けていたのです。
で、試験運はなぜかとても強いので、全部受かりました。
(これは息子にもDNAとして引き継がれていくわけですが…)
就職したら、しっかり働こう。そんで、貯金もして、本もいっぱい買って・・・・
と、胸躍らせていました。
けれども、入社して研修を終え、配属されてみれば、
そんな資格も免許もなにも要らない仕事。
ただ、グループの男性たちの「世話」が仕事です。
掃除・お茶くみ・事務連絡・コピー取り・図面折り、、、、など。
当時はまだ、女子社員は職場の花的扱いで、
そのバカでっかい会社に既婚女性は一人もいませんでした。
結婚=退職 の不文律が、まかり通っていたのです。
入社3年もすれば、もうそろそろと囁かれる。
5年もいれば、超ベテランと揶揄される。
ひとりだけ、40歳くらいの別格の独身女性がいましたが、
この人などいくら長く働いていても、ただお局と怖れ煙たがられはするものの、
役職もつかず、ぺーぺーの女子社員と同じ扱いでした。
学校からは、後輩の就職に差し障るので、最低3年、
ムリでも1年は辞めないように、と釘をさされていました。
「結婚なんてできそうにないし、ひとりで生きていく!」
と鼻息荒かったわたしが、3ヶ月もしない内に、寿退職を夢見るようになりました。
そうするしか、ここから円満に抜けることはできない。
という思いに囚われてしまったのです。
あれよあれよと短期間に洗脳されたも同然です。
そんなわたしの変化を大学に進んだ男友達は『テンポの速い喜劇を見ているようだ』
と、嘲笑しました。
広い構内を事務所から事務所へと移動するとき、書類を胸に抱いて、
毎日空を見上げました。
青い空のずっと先には、いろんな大学へ散って行った、友人が生活しているんだな。
電車に乗ったり、キャンパスとやらを歩いたりしてるんやな。
この空はそこへもつながっているんだよなぁ。
と。
空はつながっているけれど、彼らの生活とわたしの生活は、
もはや地続きだとは思えませんでした。
なんだか取り残されたような気持ちを拭えぬまま、
それでも、マジメに仕事をこなす内に、認められ、
上司や年嵩の社員の人たちにもかわいがられて、
自分の居場所は知らぬ間にできていきました。
その内に恋もし、結婚したとき、同級生はまだ大学生でした。
あの頃、自分はいっぱしの仕事をしていたと思っていたけれど、
今思えば、あそこで学んだことは仕事ではなく、
学校ではない社会での人との関わり方とか、仕事に対するスタンスであったな、
とわかります。
それ以降、なんだかんだと働き詰めで、いろいろな職場や、職種に就いて、
いろんな仕事をする人も見てきて、徐々に気付いたり、理解できたり、
さばくことや、いなすことも覚えてきて、今に至るわけです。
社会に出て、間もない頃。
それは、自分の力なさ、世間の狭さをしみじみと知らされる、苦い季節です。
目の前のことをひとつづつ、自分にできる精一杯を誠意をもって
やっていくしかないのです。
これは、幾つになっても新しい環境に入るときには同じなんですよね。
できなくて当たり前。
ダメで当たり前。
それをまずは自分で受け入れないと、前には進めません。
こんなはずでは・・・・と思うのは、自分の首を絞めるようなものです。
なんてわかったようなことを言いながら、散々しんどい目をしてきても、
まだまだわかっていないことが、いっぱいいっぱいあるんですよ。
幾つになっても、日々コレ精進。であることは変わりませんね。