京都 四条高倉の占庭から

ボヘミアン・ラプソディ

三連休中日です。

紅葉観光シーズンもピークと思しき週末なので、

京阪電車京都市営地下鉄は臨時列車が走っています。

京阪は、この臨時列車がねらい目。

今朝もぎゅうぎゅう詰めの特急を見送り、5分後の臨時列車に乗りました。

これだと二人掛けの座席にひとりでのびのび座って来られます。

しかも停車駅は特急と同じ。

ずいぶん、おトクでしょ。

 

私事ですが、ここ半年ほど、重い大きな仕事を抱えていました。

それがやっと手を離れまして、この11月は一気にエンタメ月間となりました。

観たい映画もうまくタイミングが合わず、あきらめていたのですが、

先日は出町座で「ゾンからのメッセージ」を、

昨日は「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。

先週は遠出をしてユーミンのコンサートへも行ってきました。

羽を伸ばすというのは、こういうことですね。

 

で、昨日の「ボヘミアン・ラプソディ」です。

言わずと知れたロックバンド”QUEEN”のフレディ・マーキュリー

主人公とした映画です。

45歳という若さで他界した類まれなヴォーカリストであるフレディは、

ひと言でいえば、なにもかもが規格外でギョッとさせる存在でした。

わたしはQUEENの熱烈なファンというわけではなく、

QUEENの音楽、いいよね。フレディ、なんかもういろいろすごいわ・・・・

程度の認識でした。

 

そんな大してファンでもないわたしが観ても、フレディが愛しくてたまらず、

終盤が近づくにつれ、かなしくてたまらず、せつなくてたまらず、

とにかくたまらん気持ちになっていきました。

これ、ホントのファンの人が観たら、つらくてしょうがないだろうな、と。

映画が終わり、外へ出て、しばらく経っても、映画について話そうとすると、

胸がいっぱいになって、涙が湧いてきて困惑しました。

 

フレディはエイズによる肺炎で亡くなってしまうのですが、

エイズに罹らない生き方もできなくはなかったろう。

いまの時代であれば、死なずに済んだだろうに。

もっと幸福を感じる生き方も選べたんじゃないの?

という苦い気持ちと無念さを処理しきれないんですよねぇ。

もちろん偉大な才能も惜しい。

もう二度と新しい曲が生み出されることはないし、

彼の生のステージを見ることは叶わない。

年齢を重ね、変わっていく姿も見られないわけですよ。

そう思うともう、やりきれなくて。

 

好きなアーティストと同時代に生きて、新作を聴いたり、見たり、

直に触れられるというのが、どれほど貴重なことであるかを

改めて感じずにいられませんでした。

 

映画を見終わって楽曲を聴くと、ああ、そうだったか、、、、と思うところもあり、

かつてyoutubeで見た、数々のMVのフレディの奇抜な恰好も、

すべてがわたしのなかでしっくりと収まっていくのでした。

 ああ、やるせない。

 

今日、11月24日は、そのフレディの命日です。