わたしは息子が生後8ヶ月のときに離婚して、
その息子が大学へ入学するまでの間、ずうっと二人で暮らしていました。
いわゆる母ひとり子ひとりの母子家庭です。
幼児期までの息子は、起きた瞬間から寝る瞬間まで活動してる、
まったくもって落ち着きのない子どもでした。
迷子になったこと、数知れず。
自分の興味のままに行動し、集中するので、
集団生活には、不向きな個性だったんですね。
それでも、運よく、実にのびのびした保育園とご縁があり、
そこで小学校入学までお世話になりました。
卒園式前の、練習の段階から、
「ぼくは淋しい~~~~!」と大泣きするもんだから、
他の子たちまでつられて泣いてしまって、練習にならない、、、、
ということになるくらい、しあわせな保育園児生活を送らせていただきました。
小学生のときも、いろいろと問題があったり、ちょっとした事件を起こしたり、
そりゃあもう、男の子っちゅーのは、なんで?なんでだす?
ということの連続です。
そういうときに、いつも思ったのは、
「この子の個性をつぶさないためには、どうすべきか?」でした。
あまりにも個性的でおもしろかったので、
これを消してしまうのはもったいない、と思っていたんです。
この個性がこのまま育つと、どうなっていくのか見たい!って。
無責任ですよねぇ。こんな興味本位の親。
だもんだから、担任の先生とぶつかることもありましたし、
お友だちに迷惑をかけることもありました。
その度に、子どもと「話し合い」をして、
お互いの意思確認と、その摺合せをしました。
そこは組織的に。
母子ふたりだけで暮らすというのは、協力なくしては成り立ちません。
子どもも家事分担し、暮らしを支える戦力となります。
親は助かり、子は家事が身に着きます。
Win-Winです。
とでも思わないと、子どもに苦労ばっかりかけて、、、、
と却って重い親になりそうでね。
母ひとり子ひとりの、母と息子で、仲良く暮らしていたというと、
なんか母子密着型の親子と思われそうですが、そういうんでもないですね。
むしろ「同志」みたいな関係です。
お互いを信頼し合って、協力しながら、世間とも折り合いをつけつつ、
なんとか暮らしてきた、という実績は大きいです。
けれども、いつまでも親子で支え合って生きて、
それが相互依存になってしまってはいけない、という意識もあったので、
「一緒に暮らすのは18歳までにしような」と話していました。
というのも、
子どもっていうのは、神様から預かって、育てさせてもらって、
また社会へ還元していくもの。
という話を聴いたことがあり、わたしもそうしないとなあ、
と常々思っていたからなんです。
一緒に暮らすのは18歳までなんだから、と考えると、
期限つきのその短い期間、仲よく、気持ちよく暮らそう、
と思えるものでね。
いま、息子は28歳で会社の独身寮に住んでいます。
家から通えない距離ではないのですが、その方が便利だし。
別に暮らすようになっても、関係性はあまり変わりません。
「毎日そこそこ元気でたのしそう」ならいいんです。
で、たまに、おもしろい話を聞かせてくれたら、もうじゅうぶん。
山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』が大好きで、
その本を紹介しようと思って書き始めたら、
そこへ至るまでが、えらく長くなってしまいました。
ごめんなさい。
本の紹介は、また今度にしますね。