先日、遅まきながら、アートフェスなどにくっついてる「ビエンナーレ」とか
「トリエンナーレ」の意味を知り、
あ~あ~、そうやったんか~~~~! なるほど~~~~!
と大いに納得しました。
で、息子に、わたしは今頃その意味を知ったよ、と話すと、
「その話、何年か前にも言うてたで」
と言われ、驚愕しました。
ええ、ええ、かなりショックでした。
日頃、人の話を聞かない&覚えていない夫に、
「よくまあ、そんなに何度も初耳みたいに驚けるねー」と呆れていたのに、
おんなじやん!
いや、耳を素通りしたのではなくて、へぇ~~~~!と思ったことを
きれいさっぱり忘れていた方が、重症とも言えるってもんで。
もっと謙虚に生きよう。
と、ひっそり誓いました。
昨日、離婚も人それぞれっていうことを書いたんですが、
そもそも不幸も幸福も、ほんとーに千差万別だなといつも思います。
しあわせ・ふしあわせという言葉は、実にふわふわした観念的なイメージですが、
結局は「欲」がどこに出てくるか、ということでもあって。
その欲が満たされるかどうかで、幸・不幸のどっちへ針が振れるか、
なんていう、身もふたもないものでもあるんですよね。
この「欲」っていうのが厄介なんですよねぇ。
他人の「痛い」「楽しい」がどの程度なのか、実際のところわからないように、
「~したい」「~が欲しい」の欲の度合いというのも、測れません。
なので、やっぱり、他人の幸福とか、不幸なんてのも、
とやかく言う分野ではないのかなと思うわけです。
欲だとか、幸福だとかを改めて考えさせられる、
ああ、人はひとりひとりちがうのだ、と身に沁みる小説があります。
姫野カオルコさんの『リアル・シンデレラ』と『コルセット』です。
姫野カオルコさんは大好きで、ほとんどの作品を読んでいますが、
まず、ハズレがありません。
好きな作品もいっぱいありますが、この二作品は、
「ひとのしあわせって何だろか?」と思わずにいられないものです。
『リアル・シンデレラ』姫野カオルコ
このお話は、泉(せん)というひとりの女性の一生の物語です。
母親に疎ましがられ、存在を否定され、愛されずに育った女の子が、
自分なりに考え、切り換え、切捨てながら、
それでも「しあわせ」に生きていくのです。
がっつかずに生きているのに、たくましい。
うつくしい。
そしてとてもせつないです。
子どものころに出会ったという、この世のものかどうかもあやしい、
貂(テン)に似たムードの人に言われたという言葉。
《ソノトーリ!あたながいなくなっても世の中、困らないざんす。そのとおり。あなたを見るといやな気分になる人、いるざんす。》
《みな同じざんす。そうりだいじん死んでも世の中は困らない。ボクシング世界チャンピオン死んでも困らない。さいざんす。生きて生れてきた者は全員さいざんす。これあまねく平等。なぜあなた、自分だけ選ばれたごとく嘆くざんす?》
《その人、その人いなくなると、その人じゃない人困らせるため生きてない。生きてる人、生きてるから生きてる。》
《生きてるの、本当はいと短きあいだだから。大人になるの、生きてるの、本当はいと短きあいだなこと理解することだから》
《死はすぐそこあるゆえ、あわて死にするべからず》
《あなただけでない。生きてる人、みなすぐそこにある死に向かっているから、怖がらなくてもよいざんす。生きてるあいだは生きてるあいだをたのしく過ごすざんす。あなた、あなたない人の靴を履いてはいけない。あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい。さらば、あさにけかたときさらず、ハッピに過ごせるざんす。ハッピの人のそばにいる人、いやな気分にならない》
そして、子どもの泉はその貂(テン)に似たムードの人に、
願いごとをみっつかなえてもらったのです。
その願い事が、泉の人格をつくり、生き方をつくったのですね。
うん、これは寓話。
”王子様と結婚してしあわせに暮らしました”の対極にある、
しあわせを描いた小説なのです。
『コルセット』姫野カオルコ
ロンド形式というんですかね。しりとり様に物語がつながっていきます。
それぞれに主人公は違い、それぞれが屈折した、
もしくはアブノーマルな性癖をもっています。
一般市民とは隔たった、いわゆる上流階級のヒトたち。
「働かないと食べていけない人たち」とは違う世界で生きています。
ホテルはスイートしか泊まったことがなく、何を買うにも値段はあってないもの。
きっと財布の中にはポイントカードなんて1枚もない。
そういうヒトたちのお話なので、そりゃあ感情移入なんてできませんわねぇ。
それでも、そのカサカサした荒野のような心象風景には、哀れを感じたり。
すったもんだしながらやっと生きているほうが、おもしろいわ、やっぱり。
なんて、少し負け惜しみも入っているかも。
不能だったり、同性愛の夫に命じられてヨソの男と寝て、それを報告する。
というシチュエーションの話は、今までいくつか読んだことがありますが、
姫野カオルコさんにかかると、どんなに直截的な表現をしていても、
卑猥な感じがまったくしません。
それどころか、どこか無理をして書いているようにすら感じます。
硬いんだなあ。とても潔癖。
自己愛が微塵もないのです。
わたしはそこが好きなんだなあ、きっと。
(2011/4/9)