京都 四条高倉の占庭から

やって来ない

12月に入りまして、京都の紅葉シーズンも一段落した模様です。

街ゆく人は多いですが、先週までの人出ではなくなりました。

冬の京都は、観光というところではオフシーズンです。

なにしろ底冷えがするのでねぇ。

 

さて、今日は久し振りに占っていて思うことを書きますね。

ゲストとの占いの話の中で、

「チャンスはいつ来ますか?」

「転機が来るのはいつですか?」

「どんな人とのご縁が人生を変えますか?」

というような質問をされることがよくあります。

期待に満ちたキラキラしたまなざしで、そう問いかけられると、

申し訳ない気持ちになります。

きっと期待されているだろう返事はできず、お気持ちに水を掛けるようなことを

話すことになってしまうから。

 

チャンスや転機が来やすい時期、いいご縁に恵まれそうな時期はあるので、

それをお伝えすることはもちろんできます。

今年は現状維持で、挑戦は見送ったほうがいい時期です、なども。

けれども、そこまで。

人それぞれの運勢はあれども、運命は決まっていません。

運命は自分がひらいたりつくったりするものですしね。

 

チャンスや転機やご縁は、突然やってきて、あなたの手を取り、

さあ、どうぞこれをお使いなさい、

とてのひらに載せてもらえるものではありません。

それらはなんとなく生きてたら、あちらからやって来るものではないのです。

自分が能動的に選んで、つかむものなんですよね。

タナボタ的に無作為に降ってくるものではないのです。

たとえば、宝くじに当たって大金持ちになることだって、

宝くじを買うことが前提になります。

買わずに誰かにもらったとしても、くれる誰かと接点がなければあり得ません。

何もせず、ただ待っているだけでは、チャンスも転機もご縁もやって来ませんよ、

ということを伝えるのは、案外難しいです。

 

それじゃ、つかむためにはどうしていけばいいのか、という話になります。

いままで、

「そんなことあるんですか? すっごいチャンスをつかまれたんですねぇ~」

と驚くような話もたくさんお聴きました。

そういう方たちの共通点はといいますと、

「それ、結構、無謀なチャレンジでしたよね?」

みたいなことをされていた、ということでした。

そりゃ間違いなくやれる、自信のあることばかりを続けているだけでは、

すごいチャンスなんてつかめないんだろうとなと、心のどこかで納得もしました。

 

 これ、やれそうな気がしないんですけどー

 みんなに迷惑かけることになったらどうしよう

 大失敗したらえらいことやな

 赤っ恥になるかも

 

というようなギリギリを乗り越えた先に、

大きなチャンスも転機もご縁も待っている、

ような気がします。

もちろん、それはやらなきゃよかった、、、、

という結果になる可能性も大なわけだし、

そうなってしまえば、それらは手に入れられないばかりか、

いま居るところよりも後退してしまうことは必至です。

 

損、無駄、恥、迷惑、責任、なんて言葉が頭をぐるぐるするわけですよ。

葛藤しますよね。

それでも、やってみよう、行ってみよう、という勇気をふるうことが、

前に進む運気をつかむキッカケだった、ということはよくあること。

もちろん、世に残らない数々の大失敗の上にそれらは生まれているわけで。

 

「それ、欲しいです!」

「あなたに会ってみたいです」

「その仕事をあきらめない」

と声を上げるだけでも勇気は必要です。

それらは「欲」の発露でもあります。

欲と聞くと、なんか人間のいやらしさを感じてしまうかもしれませんが、

意欲の欲なんですよ。

マイナスの要素を引き受ける覚悟と、欲を他人に表す勇気を持つこと。

そして、チャンスや転機やご縁を見逃さないよう、

「いつ来てもオッケーよ。もれなくつかんじゃうもんね~」くらいの気持ちで

ワクワクして過ごすノーテンキさも、いいものを見つける援けになりそうです。

 

一番ダメなのは「自分には運がない」「運が向いてこない」と絶望すること。

絶望からはドロドロしか生まれませんよー

どうかどうか、どんなにつらいときでも、

「絶望するには早すぎる。もう少し先まで絶望は取っておくことにする」

と思ってほしいです。

これ、絶望の手前でUターンするおまじないですので、忘れないでくださいね。