京都 四条高倉の占庭から

洗濯とは

今年の紅葉は美しいですね。

こんなにきれいに色づくのは、ここ数年なかったのではないかと思います。

外国からの旅行者もいなくて、例年よりは人出も少ないようですが、

今日からの三連休は、ちょうど見頃でもあり、どうなりますでしょうか。

と、気になって、いま、ジャティックで高速道路の混雑状況を見ましたら、

三連休初日にしては少ないかな、という感じでした。

さすがに新型コロナの第三の大きな波がきているところなので、

どっと繰り出す、というわけにはいきませんわね。

 

今日は占いとは全然関係ないことを書きます。(だいたいいつもそうだけど)

先日、洗濯のプロの人の話で、めちゃくちゃ納得できたことがあったのです。

それは、

「洗濯というのは、水に汚れや臭いを移して、キレイにすることです」

ということでした。

え、何? そんなん当たり前やろ、って?

そうそう、そうなんです。

だけど、だからこそ、洗濯はこうやるべし、というやり方に説得力があったのです。

 

まず「少ない水ですすいでもキレイにならない」。

洗剤で汚れを繊維から浮き上がらせて、すすぐわけですが、

その浮き上がった汚れを水に移していかないといけないので、

たくさんの水であるほうが、当然よいわけです。

なので「すすぎ1回でOK!」という高機能洗剤であっても、

やっぱり1回よりは2回のほうがキレイになるのだそうです。

 

これを知ってから、水量をケチらずに洗おう、という気持ちになりました。

水の量が増えれば、当然、洗剤や柔軟剤の量も増やさなければならないし、

時間もかかります。

つい「節約」というキモチで、ちゃんと回ってるし、これくらいでいっか、

と少なめの水量に設定しがちだったんですけど、

どっちか迷ったら多めの方のラインにすることにしました。

 

子どものころ、雑巾をジャーッと水道の流水で洗っていると、

母が目を三角にして「バケツで洗い!」といつも怒っていたのは正しかった。

そして、バケツに入れる水が少なくても叱られ、

すすぐ回数が少なくても叱られていたのも正しかったのだ、、、、

ということを還暦手前で痛感いたしましたことよ。

ゴシゴシ洗って汚れを落とす、という考えではあかんということですね。

 

久し振りにブログを更新したというのに、こんなどうでもいいようなお話でねぇ。

占い師なら洗濯よりは運命の選択について書けよと思われるかもしれませんが、

本日は悪しからず、ご容赦を。