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京都 四条高倉の占庭から

「毒母」はザラにはいません

親子関係で悩んでらっしゃる方の大半は、母娘関係なんです。

そしてその悩みは、娘側から発せられてることがこれまた大半。

それだけ、娘から見た母親は難儀な場合が多いのでしょう。

 

「毒母」という言葉が出てきたのは、いつ頃からですかね?

娘を支配したがるとか、否定するとか、溺愛しすぎるとかで、

「スポイルされた」と強く感じ、恨んでしまう。

 

たくさんの方のそういうお話をお聴きしてきましたが、

それはもういくら肉親でも縁をお切りになった方が・・・・

と思うくらいの親御さんもおられます。

それこそ、毒母以外の何ものでもない、としか思えないほどの。

そういうお母さんは、やっぱりどこか病的です。

ふつうに生活しているようで、周囲に大変な迷惑もかけてらっしゃる。

それを親だから、娘だから、で引き受けることを強要されると、

娘さんの方の人生まで狂わされることになります。

切ない、悲しいことですが、自分の親が精神的に病んでいると

認めて対処することが必要な場合もあるわけですね。

 

けれど、そこまで深刻なことは稀なケース。

母娘の軋轢は大なり小なりあるものでそれを流行りの言葉を遣うように、

早々に「毒母」だと決めつけ、被害者意識に染まってしまい、

そこまで深刻ではないはずなのに、ものすごくつらい、

と思い込んでらっしゃる方もあるんです。

そう思っているほうが、きっと精神的にラクになるのだと思うのですが、

そんな風に思い込むことは、不幸なのでは?

と心配になる場合もあります。

 

難しいです。

同性だからでしょうか?

じゃあ、父と息子もこじれやすいのかしらと考えると、

あるにはあっても、母と娘ほどじゃないような気がします。

 

子どもが乳児、幼児の頃って、誰もが「お母さん大好き」なんですよね。

親はその時の関係に安心し、それが続いていると思ってしまう。

ある程度の年齢になれば、子どもにも自我が芽生え、

自分の価値観でものを考えるようになります。

親の考えの「間違い」に気づくこともあれば、

自分との「違い」を認識するようにもなります。

そこを親が察して、自分とは違う子どもの考えを認めることができれば、

それほど、こじれてはいかないんだろうなあと思います。

いつまでも「お母さん大好き」の上で胡坐をかいていては、

そりゃこじれもしますよねぇ。

親のほうでも、子どもからシビアな判定を下されるかも、

ってことへの覚悟が必要なのかもしれません。

 

かく言うわたしも、母との関係はなかなかにしんどくて、

いつも母に会う直前に「さ、今日も笑顔で!」

と口に出して自分を励まさねばなりません。

それでも、うん。ウチの母は毒母ってことはないな、と思えるのは、

いろんな方のお話を聴かせていただいてきたからだと思います。

自分の荷物の重さは、自分にしかわかりません。

実は、それほどではないのかもしれないし、

よく耐えているなあというほどの負荷なのかもしれません。

狭い世界で思いつめてしまわないように、

誰かに吐き出して、聞いてもらうことも必要なことだと思いますよ。