京都 四条高倉の占庭から

子を思う親心はいくつでも同じ

今年は長く桜をたのしめるなあと思っていたのですが、

過ぎ去ってしまえば、ほんのひと時だったなと感じますね。

もう山は新緑の美しい季節に移り替わろうとしています。

 

先日、お子さんを出産されて間もないお客さまとお話しました。

以前からのお客さまなのですが、初めてのお子さんを占ってほしいということで。

きっと思慮深く、家族思いに育たれるのだろうなあ、

と思える命式のお嬢ちゃんのお話をしながら、グリム童話を思い出していました。

王女誕生のお祝いに招かれた、白い魔女たちはこんな気持ちだったのかも、って。

そして、いまからどんなお子さんになり、どのように成長していくのか、

親として、どのように接していくのがよいのか、考えてらっしゃるって、

愛だなあ~~~ と感じて、こちらもほんわかしあわせな気分になりました。

 

その数日後には、初占いの高校生の娘さんにお母さんが付き添いでいらしたり、

高校生の息子さんの進路の相談にお母さんがおいでになったりと、

お子さんを思う親御さんのお客さまが続きました。

占庭には、90代のお客さまが3人いらっしゃるのですが、

その方々は、みなさんいつも子どもさんのことを心配されています。

90代の方のお子さんなので、もう60代、70代です。

それでもやっぱりご心配なんですよね。

乳児から、現役をリタイアされた年配の人まで、親御さんから見れば、

同じ「子ども」なのですね。

 

そうしてみると、子育てには終わりなんてないし、心配の種は尽きません。

いつもお子さんのことを占っていて思うのは、

「一生懸命育ててこられたんですし、お子さんを信じてあげましょうよ」

ということです。

親の愛情という名の「心配」は、親御さん自身の「安心したい」気持ちの表れ、

ということが少なくありません。

ひとまず自分が安心したいために、

・進学してほしい

・結婚してほしい

・結婚相手はマトモ(自分の価値観において)であってほしい

・正社員で働いてほしい

など、リスクの低い堅実な道を選んでほしいと願っておられる人の

なんと多いことでしょうか。

 

そうですよね。

危険は避けてほしい、という気持ちはようくようくわかります。

元気でしあわせでいてほしい、というのは親の共通の悲願ですものね。

けれども、安全と思える道から外れた道を行くことと、不幸になるのは

同じではないですよね。

そう、それもだれもわかっているんです。

けれども、自分の子になると、わかっちゃいるけれど、、、、になってしまう。

 

円満な親子関係は夢です。

特に親にとっては。

そのためには、手や口を出さずに待つ、信じて見守る、心配しすぎない、

が大事なんだなあ、といろんな親子さんを見ていて感じます。

親も自立しないと、子も自立できません。

お互いが依存せず、それでも思いやり合っていけたら、

こんないいことはないなあ、と思います。

子育ては難しいですね。

きっと正解なんてないのだと思います。

自分なりに考えて、向き合うしかありません。

親は親として尊重し、子は子として尊重する、

これができてたら十分なんじゃないかな、と。

まだ現役の子でもあり、親でもあるわたしは、

そのあたりを目指したいなあと思っています。

 

親離れも子離れも、放棄するわけでも疎遠になるわけでもないのですが、

親離れ、子離れっていうと、すぅすぅするような淋しさを感じてしまいます。

けれども、それもお互いの自立のためですしね。

いろんな淋しさを胸に抱きながら生きていくのが人の道なのかもなー

なんてちょっとセンチな気持ちにもなったりします。

 

と書いて、いまの若い人に”センチ”とか”おセンチ”とかわかるのかしら、

と思ってしまいました。

えっと”センチ”ってね、センチメンタルのセンチなのですよ。