京都 四条高倉の占庭から

春分の日だというのに

早々にソメイヨシノ開花宣言もあったお彼岸なのに、強烈な寒の戻り。

おまけにものすごい風で、一旦気を許した身に寒さがしみ入ります。

でももう、さすがにこの寒さが最終ではないかしら・・・・

と気持ちは春へと逸ってしまうわけですけれどもね。

 

お客さまや知人に、

「知らない人と会って話すって疲れますよね。しんどくないですか?」

とよく訊かれます。

そのたびに、

「いやー それが仕事なんで」

と笑って答えるわけですが、たしかにこれが仕事ではなく、

私的に毎日、初対面の方と会話しなさい、ってことであれば、

そりゃもうクタクタになりそうだなあ、と想像できます。

でもね、それが「占い」のための対面であり、会話であれば、

案外、クタクタにはならないものなんです。

 「お仕事ですから」というプロ意識でくたびれないのではなく、

「話す」ということが、お客さまとの共同作業だからなんだろうな、

と思っています。

 

占い師は、お客さまと「占い」を通して何らかのよい「答え」にたどりつきたい、

という共通の目的をもって、暫時、タッグを組むわけです。

お互いの「理解しようとする努力」と「理解してもらおうという努力」が、

占いにおける「会話」です。

お会いして話をする、というところが出発点なので、

そこをしんどいと思っていては、何も始まらないし、解決への糸口もつかめない、

ということになってしまいます。

 

もちろん、初対面のお客さまとお会いするときは、

「どんな方かなあ?」と思ったりもするし、不安になることだってあります。

けれどもなんせ仕事なもので、そんなことは言うてられないし、

「どんな方かなあ?」が、占い師的好奇心となって勇気を与えてくれもします。

わたしはそれを楽しいと感じるし、まあ、あれです。

詰まるところ、やっぱりこの仕事が好きなんですね。

占い師って、いわゆる儲かる商売ではないですし、好きでないと続けていけません。

好きでやっている仕事であっても、悩んだり、つらいなあと思う日も、

あるにはあるんですよ、当たり前ですけど。

でも、それ以上に楽しいこと、うれしいこと、ありがたいことが、

たっぷりある、ということですね。やめられません。

 

でね、これは占い師だけのことでもないかな、と思うんです。

わざわざ人と会話をするのは、めんどくさいかもしれません。

人間関係を広げていくのは、怖くもあるし、不安だったりもしますよね。

けれども、そこで立ち止まったままでいるのは、もったいないなー

と思うんですよ。

人と関わっていくことで、ややこしいことに巻き込まれたり、

難儀だなあとうんざりしながら、知る真実、なんてのもままあります。

そうしながら知らぬ間に成長していたりもするわけで。

 

今は、SNSマッチングアプリなど、さまざまな出会い方がある時代です。

出会いはさまざまでも、相手を知ること、自分をわかってもらうことの基本は、

やっぱり会って話すところから始まるんじゃないかしら。

なにしろ「会話」っていうくらいですしね。

大事にしたい人との大切なやりとりは、できればメッセージの文章で済ませず、

電話で直接話す、顔を合わせる努力をする、

ってことをおろそかにしたらあかんのですよ。

ええ、気詰りなことであればなおさらに。

こういう便利な世の中だからこそ、手を抜かないのが「気持ち」ってもんでしょ。