京都 四条高倉の占庭から

大江千里 Japan Tour 2019

春節で中国からの旅行者が増えるというので、その期間、

デパートの営業時間が延長されていました。

全館ではなくて、化粧品と、ラグジュアリーブランドの階だけでしたけれどもね。

いや、そこだけ延長っていうのもすごいというか、なんだか、なんだか。

最近は年中、インバウンドの人であふれているので、

春節だから中国からの人が目覚ましく多い、とまでは感じないんですが、

実際、販売のお仕事をなさっている方は、実感してらっしゃるのかもしれません。

 

ブログに書きたいこともいろいろとあるのですが、ぐずぐずしている内に、

どんどん日が過ぎていきまして、バレンタインデーも終わってしまいました。

ともかく、最近の私的イベントで感じたことなどを書き残しておこうと思います。

 

1月末に、大江千里Japan Tour 2019 の千穐楽へ行ってきました。

こちらのジャズピアノコンサート、意外なところからチケットを入手できたんです。

知人がSNSで「幼馴染の挑戦を応援します」と書いてらして、

へぇ~ と、読み進めていたら、それが大江千里さんだったんですね。

大江千里さんは、10年ほど前にニューヨークへ渡り、

ジャズピアノの学校で学んでらっしゃる、ということは知っていました。

なんといっても、わたしは昔、大江千里ファンクラブへ入っていたくらいなんでね。

へへへ。

で、SNSで「ファンクラブに入っていたんですよ~」とコメントしたら、

チケットがあるので一緒に行かない? と誘ってくださったんです。

 

実は、誘っていただいたとき、ちょっとだけ逡巡しました。

わたしはポップミュージックの大江千里ファンだったので、

うたわなくなった千ちゃんを、彼が奏でるジャズピアノを

「音楽」として、ちゃんと愉しめるかどうか、自信がなかったんですね。

けれども、これはせっかくの機会です。

だいたい、やるかやらないかの選択は、やるほうを選ぶタイプですし、

ファンクラブに入ってはいたものの、当時、倉敷に住んでいて、

実際のライブには、とうとう行けずじまいだったこともあり、

めちゃくちゃ久し振りの千ちゃんを目撃してこよう、と決めました。

 

取っていただいたチケットは、なんと最前列!

千穐楽ということもあって、会場は超満員で、立ち見の方もおられました。

お客さんは、50代、60代が中心かな、という女性が大半でした。

千ちゃんは、帽子、派手だけど品のいいジャケット、ジーンズ、

タキシードの時にお腹に巻く腹巻みたいなの(あれ何て言うんでしたっけ?)と、

ドレスアップしてるのか、カジュアルダウンしてるのかどっち??

みたいなステージ衣装で、満面の笑顔で登場しました。

周りの席では、泣いてはる人もおられました。

きっと大ファンやったんでしょうね。

わたしも、深々とおじぎをする千ちゃんを見て、なんだかじーんとしました。

昔のスリムな体型とは違うし、髭面だし、もううたわないけれど、

こうして音楽を続けてらして、たしかにそこに存在している。

ファンクラブに入っていたのは20年くらい前だったかなあ。

それだけの時間が「大江千里」にも、わたしにも流れたわけですよ。

全然生きていた場所は違うけれど、同じ時代に生きて、いまここにいるんだな、

と思うと、お互い、がんばったよね、みたいな気持ちになってきての、

じーーーん、、、、です。

もうそれだけで、

今日、ここにいられてよかった! 

と思いました。

もちろん、ライブもとてもよかったんですよ。

関西弁のMCはノリもよくて、サービス満点で、楽しかったし、

かつてのヒット曲をアレンジした作品も、新曲も、どちらも胸を打ちました。

 

デビュー35周年なのだそうです。

いまになって、生・大江千里にこんな間近で相まみえる日がこようとは。

それも、ピアニストとしての大江千里にね。

20年前のわたしには、そのどれもが想像もできないことでした。

生きてると、こうして思いもよらないことと遭遇するのがおもしろいですね。

終始笑顔で、楽しそうにピアノを弾き、話し、音楽を伝えようとする姿を見て、

いまここに自分がいられるって、

めちゃくちゃラッキーなことで、すごーくありがたいことなんだよ! 

ということを全身で感じた一日でした。

いいステージをありがとう!!

誘っていただいて、ほんとによかった~

 

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立春ですね

今朝はまるで春の始まりのような暖かさ。

こんな立春は珍しいんじゃないでしょうか。

けれどもまだ、この暖かさが続くはずないですよね~

気を緩めないようにしときましょね。

 

節分の昨日、夫は山の仲間とともに登山し、山頂で恵方巻きを食べるのだと、

朝からうれしそうに豆と鬼のお面まで持って、出かけて行きました。

心はコドモな57歳です。

 

で、今朝、

「昨日で天冲殺が明けた人もいるの?」

と訊ねるので、

おお、この人も、占い師の夫らしい発言をするようになったのね、

と少々感動しながら、

「天冲殺は2年間だから、ちょうど折り返したところやね。あと1年、ってこと。

 アナタの天冲殺も、もう半分終わったよー」

と言いますと、

「えっ、オレって、いま天冲殺だったの?」

と、やっぱり肝心なところがわかっていないのでした。

けれども、

「そうか。じゃあ、あと1年、いろいろ、そこそこにしとこう」

と神妙に言っていたので、まあまあわかってはいるようで。

 

そうなんです。

戌亥天冲殺のみなさん(戌年亥年の2年間、運気が停まる運勢の方)、

折り返しましたよ~

戌亥天冲殺の方は、自ら葛藤を抱えやすい傾向があります。

自分の内側へ向けて思考していくのがクセというか、

穴を掘って、掘って、その中でひざを抱えてじいっと考えている、

っていうのが嫌いじゃないのです。

それは別に悪いことではないのですが、穴も深く掘り過ぎると、

そこから出てこられなくなってしまいます。

ですので、答えの出ない、正解のわからない考え過ぎに注意してください。

どこかで「ああ、これは不毛だ!」と気づいたら、やめる努力をしてください。

穴から出る勇気も必要なんですよね。

 

戌亥天冲殺の方は、上昇志向が薄く、争いを好まない、穏やかな人が多いのですが、

心中に「アンチ」を潜ませていたりします。

声高に主張することなどは、美学に反するところもあり、

面と向かって批判はしないけれど、心の中には「否!」を秘めています。

実は、人の意見に対して、逆説、裏からの視点などで必ず検証し、

反論はしないけれど、鵜呑みにすることもありません。

また、損得や勝ち負けにはあまり興味がなく、それよりも一種の「哲学」や、

自分らしい思考、自由な空想の世界を守ることのほうを優先したいので、

そこを否定されたり、侵されそうになると、反撃に出ます。

事、そこに至って、意外なシニカルさや、舌鋒の鋭さに、

おおおっ! と驚かされることもあるんですよねぇ。

この人に、こんな面があったなんて、、、、って感じで。

 

けれども、それらも含めて、人間的な魅力になっているのだと思います。

戌亥天冲殺の方は、大器晩成型なんですよ。

才能も、人格も、ゆっくりだけれど、停まらずに成長し続けるということですね。

 

あと1年は、とにかく自分自身の磨き直し。

ピッカピカにしておいてくださいね。

そして、来年から流れ始める新たな10年間、

 どんな人になっていきたいか? 何を目指したいか?

などを考え、そのための準備をしてください。

外へ向けての新しい挑戦、勝負などはできるだけ避け、

自分のレベルを上げるための内へ向けての努力や挑戦は、

惜しまずにしていきましょう。

 

この時期、誤解やちょっとしたスレ違いで人間関係がこじれることもあります。

その場合は、誤解を解くために躍起になったりせず、

静かに見送っていたほうがいいのです。

ほんとうにご縁のある人、あなたに必要な人は、また運気とともに、

いずれ自然に戻ってくることになる、くらいに考えておいたほうがいいですよ。

天冲殺の2年間を必要以上に恐れることはありません。

注意点を胸におき、流れに逆らわずに上手に過ごし、

次なる新しい運気に、レベルアップした状態でうまく乗っていけますように。

誇りを失わないよう 心は気高く

通勤電車のなかからの風景は、京都へ近づくにつれて雪の白さが目立ったのですが、

四条大橋にも、河川敷にも、もう雪は残っていませんでした。

うっすら雪化粧を期待していたので、ちょっと肩すかし。

けれども、風はとても冷たいです。

歩いていると、衣類に包まれていない皮膚の毛穴が、

いま、ものすごく、ぎゅうっと締まっていることをお伝えします、

って言うてるような感触を覚えるほどで。

「寒い」よりも「冷たい」が勝ると、これはこれで冬らしくていい、

なんて思ったりもしますが、それは外にいる時間が短いからで。

外でお仕事をなさってる方は、そんな悠長なことを言うてられへんですよね。

 

昨日、何度もおいでいただいているお客さまと話していたのですが、

「自己肯定感を持て」とか「自己評価を高く」とかよく言われるけれど、

それがイマイチよくわからないんです、とおっしゃるんですね。

自己肯定感とかいうと、なんか特別な心構えみたいに思えますが、

要するに「自分は自分でいい」と思うことが基本です。

はじめの一歩は、単純にそこから始めればよいわけです。

 

「自己評価を高く」は、なかなか曲者。

「自己」で評価するわけなのですが、その際、自分の心のなかで、

 他者と比較して自分はどうなのか?

と考えてしまいがちで、そうするともう自己評価ではないのでは?

ええっと、それではいったいどうすれば??? となるんですよね。

評価って、基準値があって較べるものだと認識しているものですし、

自己の「評価」は、まさしくそれぞれの「自己」の思う基準値があるので。

ああ、ややこしい。

これは、考えれば考えるほど説明しにくくなるヤツです。

 

で、ああ、そういえば、と思い出したのが、子育てしているとき、よく子どもに、

「誇りを失わないように」「心は気高く」

なんてことを言っていたなあ、と。

そういうお話をしたら、

「そっちのほうがわかります!」とおっしゃるので、

ええ~~~、そうなの?? という話でして。

誇りとか、気高くとかのほうが、ずっと抽象的で、

それこそ何をもって誇りとするのか、

気高いというのは、ツンとしてることとどう違うのかとか、

わかりにくいんじゃないかと思っていたんですよ。

けれども、自己肯定感よりも、スッと腑に落ちた、とおっしゃるのです。

これはもう、ことばの感触がピタリとはまったということなのでしょう。

それは、ほんとに個人個人バラバラで、

万人に共通するってものではないものですが、こうしてたまたま掘り当てると、

うれしくなったりもします。

 

で、そのお客さまに、

「そう言われて育ったお子さんは、誇りを持った大人になりました?」

と訊かれてですね、うーーーむ、と思いました。

 

誇り。

どうでしょうかー 誇りというか、非常にマイペースで、自分は自分、

という大人にはなっていますかね。

 

だいたい「自分は自分でヨシ」が確立していれば、むやみに他者を攻撃したり、

貶めたりということは、あまりしないと思うんですよねー

いまのご時世、そういう困った人が目立つのは、

自分は自分、他人はまた違う考えがある、

っていうことをわかってない人が多いから、ってことのような気がしていて、

それは「誇り」を見失っているということなのかも、と思ったりします。

 

誇りって、こういうもの、と説明する類の言葉ではないんですよね。

それこそ、子どもに誇りを持てと言うても、さっぱりわからないでしょう。

けれども「誇りを失わないように」、意味はその内わかる日がくるから、

くらいでもいいと思っていました。

その言葉を胸に持っているだけでも、心気高くいられるのだと思っていて。

また、そうであれば、ヘンに他人におもねることもないだろうし、

ムダに卑屈になることもないんじゃないか、と考えていたわけです。

 

そのあたりのことが、果たしてうまく子どもに伝わったのかどうかはわかりません。

けれども、進学先を選ぶときも、就職先を選ぶときも、

見栄や格好、損得ではなく、自分のモノサシで選択していたように感じています。

親としましては、それでもうじゅうぶんでした。

 

誇りを失わないということは、自分自身を見失わないということに通じるところが

あるのかもしれません。

気まぐれな他人や世間の評価に一喜一憂していると、

自分のありかが危うくなります。

そこを守るために胸に誇りを。

貧しくとも心は気高く、でありたいです。

ええ、言うだけはタダですしね。心意気です、心意気。

あたたかな成人式

今日の成人の日は、風もほとんどない、穏やかな暖かい一日でした。

だいたい、成人式とか、センター試験とか、大雪になったり、寒波が来たりで、

ああ、かわいそうに、たいへんそう、、、、みたいなことが多いので、

今年の成人のみなさんは、ものすごくラッキーでしたね。よかったよかった。

 

毎年、成人の日に開催されるマラソン大会がありまして、

本日定休日のワタクシ、それに出場する夫の応援に行きました。

例年、広々した川面を渡り、河川敷を吹きすさぶびゅうびゅうの風に背を向け、

うーーー 寒い、寒いと足踏みしながらの応援なのですが、今日は、

手を叩きながら「がんばれーーー!」と見ず知らずのランナーを応援していると、

暑くなってきて、上着を脱いでもなおポカポカでした。

こんなことは、ほんと初めて。

ギャラリーとしてはありがたいことでした。

 

我が家の近所の成人式は中学校で行われます。

わたしのころは市民会館だったんですけれどね。

まあ、時代だけでなく、自治体が全然違うというのもありますが。

その成人式に、わたしは行きませんでした。

両親が離婚したばかりで、母と妹と3人で暮らしていた頃で、

親に晴れ着を用意してもらう、なんて境遇ではなかったし、

なによりわたし自身が、成人式に参加する気が全然なかったんですよねー

 

 みんな同じような振袖を着て、白いフワフワを首に巻いて、衣装比べか。

 はっ、アホらしっ! 

 

みたいなかわいくない女子だったわけです。

その裏には、

 

 自分みたいな美しくない者が、着飾っても滑稽であろう。

 

という心理もありました。

ほら、若い時って自意識過剰だし。

 

そんなわたしに母は、貸衣装を借りてあげるから、式に行けば?

と言ってくれたのですが、

 いやいや、晴れ着がないから行かない、って言うてるんちゃうし、

 どうしても行けというなら、ジーパンで行く。

という、ますますかわいくない女子でありました。

そして、母は、ジーパンで行くなら行かないで、と言う人でした。

 

でも、晴れ着のない自分はみじめだ、なんて気はまったくなくて、

行かない選択をする自分自身を支持している心持ちでした。

わたしは高卒で働いていたので、成人式の晴れ着を揃えるくらいの貯金は、

あったんですよ。

けれども、家に生活費も入れ、始末して貯めたそれを

成人式という、なんかよくわからない式典のために使う気にはなれなかったし、

その時もし、晴れ着を買ってあげよう、という裕福な親族がいたとしても、

欲しくないのだから辞退しただろうなと思います。

 

同期入社の友だちに、成人式には行かなかったと話したら、

「わたしも別に行きたくはなかったけど、晴れ着で成人式に行くのも

 親孝行やと思うし~ だって、喜んでくれるから」

と、そんなの当たり前でしょ、という顔で言うわけです。

わたしにしたら、行かないほうが負担を掛けない分、親孝行、

くらいに思っていたので、心底愕然としました。

そうかあ、あるべきものが当たり前にあるところに育った人には、

「親孝行」の感覚は逆転するんだなあ、と。

これはなかなかの衝撃だったので、37年経ったいまも忘れません。

そして、自分が子育てをしていた時に、何度も思い出しました。

たまたま自分の子どもは男の子だったので、この成人式の晴れ着問題は、

わたしのなかで棚上げしたままになっています。

もしも、ウチの子どもがムスメであったら、わたしはどうしていたかしら。

昔の自分の話もし、いまのわたしの気持ちも正直に話して、

ムスメの意志のままに成人式を過ごせたらいい、と考えたかな。

 

と、そういうあれこれを胸の奥に持ちながら、道すがら眺めるお嬢さんたちは、

いつもとても美しく、親御さんの愛に育まれたのだろうと感じられ、

なんだか胸のあたりがきゅうっとします。

 

オギャアと生まれて20年間、育てたほうも、育ったほうも、

どちらもほんとうにおつかれさまでした。

こうして20年を迎えられ、おめでとうございます!

 

と、素直に心からの祝福を送りたい気持ちで満たされます。

わたしもオトナになった、ってことでしょかね。

今年の抱負っぽいもの

明けましておめでとうございます

みなさまに幸多い年でありますように

 

穏やかなお天気が続いている関西です。

お正月ももう4日になりました。

占庭は明日から通常営業となりますが、

5(土)・6(日)は、ご予約満了となっています。

ありがとうございます!

 

昨日、八坂さんに初詣に行き、知恩院さんにもお参りしてきました。

御影堂の工事はまだ終わってはいませんが、覆いが撤去されていて、

十数年振りに美しい姿を見ることができました。

 

年末に発売された本についても、たくさんの方から、

買いましたよ、読みました! とメッセージを頂戴して恐縮です。

本が売れるということよりも、こうして応援してくださっている方が、

こんなにもたくさんいてくださってですね、

出版を我がことのように喜んでいただける、というのは、

ほんとうにありがたいことだなあと、感激してしまいました。

 

占い師というのは、一般的には結構、胡散臭い仕事と思われがちなので、

占いに興味がある人でも、対面での占いとなると二の足を踏んでしまう、

っていうところもあるんですよね。

けれども、そこをグッと後押しするのが、身近な人からの推薦です。

「よかったよ」とか「おもしろかったよ」とか「あなたも行ってきたら?」

と利害関係のないところでの薦めがあると、

じゃあちょっと行ってみようかしら、

という気持ちになりはるんやろなあ、と思います。

ネットのクチコミなどよりも、うんと強力な応援です。

占庭は、ずっとそういうお客さまに恵まれてきました。

それが、今回の出版についても同じように感じられました。

このお気持ちを裏切ってはあかんなあ、と肝に銘じています。

 

わたしは毎年、なんとなくの今年の目標、みたいなものを考えます。

一昨年は「気前よく生きる」で、昨年は「もっと気前よく生きる」でした。

変わり映えしないですね(笑)

でも、この「気前よく」は、なかなかよかったようなんです。

3年前の「地道」に比べると、運気を上げてくれたような気がします。

 

で、今年は何にしようかと、昨夜、夢うつつに考えていたんですけど、

「マイペース・等身大・自分らしく」でいこうかと。

この3つの言葉は、どれも根っこでつながってる感じですよね。

ムリせず、自分を見失わず、ってところが。

でも、それは出過ぎず、控え目に、ってことではないんですよ。

自分の身の丈に合ったチャレンジもしていこう、

という思いも含んでいます。

 

けれども、まずは健康第一。

春夏秋冬、元気にお客さまとお話しできるよう努めます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

みなさま どうぞよいお年を~!

平成30年の営業は、昨日の27(木)で終了いたしました。

新年は、5(土)からの営業となります。

が、5日はご予約満了となっておりますので、

ご希望の方は6日以降の営業日時にて、お問い合わせくださいませ。

 

今年一年を振り返りますと、とにかく忙しかったこと、

ユニークな方との出会いが多かったこと、

初めての経験をいくつもしたことなど、思い浮かぶのですが、

それでもなんと申しますか、

あっと言う間だったなあ~

に、尽きます。

けれども、ここ数年ではいちばん健康に過ごせた一年だったので、

それはなによりもありがたかったです。

たくさんの新しいお客さま、リピーターのみなさんのお話をいっぱい聴いて、

いっぱいお話しできた、貴重な一年でありました。

占庭においでくださったみなさま、ブログをお読みくださっているみなさま、

いつも応援してくださっているみなさま、ほんとうにありがとうございました!

 

今日、初めての著書の発売日だったので、買い物に出たついでに、

書店をのぞいてみましたら、ホントに並べてあってですね、

うれしい! とか、恥ずかしい・・・・とか思いそうなものですが、

 

 あー ホントに売られているんだ~

 

と、書架の前に立って、そんなシンプルな感慨を抱いておりました。

 この本、どんな方が手に取ってくださるのかなあ

 売れなくて版元へ送り返されたりするのかしら・・・・

などと考えたりもしますが、あとはもうなるようになる! ですね(笑)

 

さあ、これから、どういう感想をお聴きすることになるのか、

どういうレビューを目にすることになるのかわかりませんが、

きっとそこで自分の実力を目の当たりにし、

思い知らされることも多々あるのでしょう。

おお、怖い。

でも、とってもいい勉強になると思います。

ええ、転んでもタダでは起き上がりませんよぅ(笑)

なーんて予め覚悟をしておくところが、わたしらしいってことで。

 もし、お読みくださいましたら、忌憚のない感想をお聞かせくださいませ。

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今年も残すところあと3日。

年賀状もやっと投函できました。

大掃除はあまりムリせずできるところまでにしておきます。

みなさまも、元気に年末年始をお過ごしくださいね。

 今年一年、ありがとうございました!

どうぞよいお年を!

本が出ます!

風邪をひいてしまいまして、鼻をグズグズいわせながら占っています。

お客さまにはたいへん失礼なことで、ほんとにすみません。

 

12月もあれよあれよという間に、半ばに差し掛かっています。

先日、家で片付けをしていましたら、

石井ゆかりさんの2018年下半期の運勢が出てきまして、読んでいたら、

「11~12月に旅に出る人も多いでしょう」

と書いてありました。

今年は、年初からいろいろと忙しく、ゆっくり旅行をする間もなかったのと、

夫は、山だ、フェスだ、マラソンだ、としょっちゅうどこかへ旅していたのとで、

一緒にどこかへ出かけるタイミングがつかめずに晩秋を迎えました。

ところが11月から12月にかけて、福岡、宮城、東京へと三度も、

旅することになったのです。

なんかもう偏りすぎ。

しかも、福岡と宮城は、わたしが生まれて初めて足を踏み入れる土地でした。

すごいなあ、西洋占星術。というか、石井ゆかりさん。

しいたけ.さんの占いもそうですが、これからの占いを読むのも楽しいのですが、

振り返って、答え合わせのように読んでいくのがまた楽しいんですよね。

一粒で何度もおいしいです。

 

11月に旅行に出る余裕ができる前の半年は、ほんとにたいへんでした。

といいますのも、人生初の本を書かせていただいていたのです。

そしてそれが今月下旬に発売となります。

三笠書房さんの王様文庫からの発刊です。

初めての本がリーズナブルな文庫本であるというのは、

なんかわたしらしいですね。

こんな無名の占い師に「本を出しませんか?」と声をおかけくださり、

本気で出そうとしてくださるなんて、ふつうに考えたらありえないことです。

長く生きてると、驚くようなことが出来するものですね。

年を取るのも悪くないなー と思います。

 

カバーデザインなどを決める時期に、

ちょうどしいたけ.さんが京都へおいでになったので、

 

 こ、、、、これは「頼んでもいい」ってことなのかも・・・・

 

と厚かましく帯をお願いしましたら、快く引き受けてくださいまして。

超ご多忙のなか、すてきな言葉を添えていただき、百人力、千人力の応援です。

ほんとうにありがとうございました!

 

このたび本を書くという経験を通じて、初めて知ることのなんと多かったことか。

いつも思いますが、なんでもやってみないとわからないものですねぇ。

そして、経験を通じてしか知りえないものだらけなんですね、世の中は。

 

内容は、いわゆる”占い本”ではありません。

というか、そういう本がわたしに書けるはずもないですしね。

これまでブログに書いてきたことや、いつもお客さまに話していることを

「タイミング」というキーワードでまとめた形となっています。

このブログをお読みくださっている方であれば、

うんうん、ここは読んだことがある、と思われるところもたくさん出てきます。

 

発売はクリスマス後なのですが、すでに各ネット通販で予約は可能らしく、

ウェブ上にもうUPされているんですよねぇ。

たくさん売れて欲しいというよりは、出版を現実へと進めてくださった版元と、

親身になって面倒見てくださった担当の編集さんのお気持ちにお応えしたい。

せめて赤字にならない程度には、在庫がはけてほしいなと思うのですが・・・・

 

もし、書店で見かけられましたならば、どうぞ手に取っていただき、

ヨシヨシと撫でてやってくださいませ。

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